何歳から英語? 大手英会話学校について考える⑤ 子ども英会話学校に通わない場合

もうすぐ2歳になる我が子のために、妻が突然あるメジャーな英会話学校の体験レッスンを申し込みました。
私は大手英会話学校で働いた経験があるので、多くのメジャーな英会話学校の最優先事項が会社の利益やスタッフのノルマにあることを知っており気が乗らなかったのですが、子供たちがどのような反応をするか興味があったので、体験レッスンを受けてもらうこととしました。

今回は、子ども英会話学校に通わない場合について考えたいと思います。


留学やインターナショナルスクールなどの例を除いて、一般的には義務教育と受験勉強を軸にして勉強をしていくことになると思います。
 
しかし、日本の英語の義務教育については多様な議論があるところです。

日本人の大人で、英語に対するコンプレックスや憧れを持っている人は多いと思います。端的に言うと、英語が喋れない人が多いです。または、「文法や単語はある程度分かる。聞き取ることは多少はできる。でも喋れない。」という人が多いのが事実です。

このことからも、「話す」「聞く」の観点からは、義務教育の英語は何十年も失敗し続けていると考えざるを得ません。

義務教育で実践的な英語(外国人とディスカッションしたり、英語で大学の講義を受けたり、ビジネス上のやりとりをしたりする実力)が身につかない原因のひとつとして、教師の実力も影響しているように思います。

外国語学習のレッスンにおいては「生徒は先生を超えられない」という現実があります。例えば、先生がTOEIC700点レベルであれば、その先生のレッスンにおいてTOEIC900点レベルを目指すことは難しくなります。TOEIC700点を超えるレベルを目指す場合は、生徒自身がレッスン(授業)以外の範疇で身につけることになり、生徒が先生を超えた時点で、授業の意味はほぼなくなります。受験英語、文法、資格試験対策であれば、優れた教授法や点数獲得のテクニックという観点である程度生徒の成績を伸ばすことはできますが、実践力(会話力)を伸ばすのは限界があります。

私自身の学生時代の先生もそうでしたし、個人的な知り合いの高校の英語の先生などを見ていると、ビジネスレベル以上の英語を話す人は意外と少ないという印象です。
もちろん、教授法が優れている先生もいますが、いずれにしても義務教育で実践的英語力を身につけるというのは、これからも課題として続いていきそうです。
 
そのような状況で、近年、小学校での英語必修科や授業内容の見直しがこれまで以上に盛んに行われています。

その中で、「発音」に着目をした授業内容、評価方法になってきているのですが、これは方向性として非常に良いと思います。

特に日本語母語者にとって、英語(外国語)を身につける際に、発音は非常に重要です。発音の仕組みが分かるか、もしくは自然と正しい発音が身についていれば、簡単に実践的な英語ができるようになるといっても過言ではありません。

そのため、発音に着目する方向性は良いのですが、一方で、義務教育で正しい発音を推しせる人材が十分いるのかは大きな疑問です。小学校から学ぶということであれば、小学校の先生がその役割を担うのですが、現実としては難しい状況だと思います。

ここがまさに、子どもの英会話学習環境を整備することで克服すべき課題であると同時に、子ども英会話ビジネス事業者にとっては狙いどころです。子ども向け英会話学校にとってのブルーオーシャンとも言えるでしょう。

極端な例ですが、性善説で考えれば、公教育でカバーできない重要な課題を解決する社会的に意義があるビジネスであり、対価を支払う価値が十分にあると言えます。一方で、性悪説で捉えれば、子どもを思う親の気持ちの不安な部分につけ入り金儲けをしているとなります。

いずれにしても、「発音」をどうするのかということが、義務教育中心で英語を学んでいく上で重要な課題ということです。


もう少し発音に関して考えてみます。

「幼児は英語教育に適した時期」「乳幼児を過ぎたら聞き取れない発音がある」ということがよく言われます。英会話学校のセールスでは常套文句かもしれません。

理屈の前に体や脳で吸収できる幼少期の外国語学習は、とても大きいアドバンテージです。実際に幼少期で一定の英語学習(英語に触れる)ができている多くの子どもの発音は正しく、美しいです。

しかし一方で、幼少期を過ぎても、正しい発音を身につけることは可能です。ここで詳細は触れませんが、一定のルールと発話のトレーニングをすれば身につく簡単なものです。保護者としては漠然と不安を感じるかもしれませんが、幼少期に英語学習をしないからといって、不安になることはないと思います。

そもそもですが、日本に拠点を置いた「グローバル」ということを考えると、英語のネイティブスピーカーと話をするより、非ネイティブ(主にアジア人)と話をする機会の方が多いですし、世界的に考えても英語非ネイティブ人口の方が多いです。
つまり、英語ネイティブと同様の発話能力が必要なわけではありません。英語という言語の発音ルールが世界共通で存在しているといだけであって、それを知れば良いのです。

「話す」「聞く」の観点から日本の義務教育は失敗していますが、一方で、「文法」「読解」については義務教育や受験勉強で身につけているものを全て否定する必要はないと思います。むしろ高いレベルのものを身につけられていると、ポジティブに考えても良いくらいだと思います。

そのため、義務教育に加えて、プラスアルファで勉強やトレーニングをすることで、実践的な英語力を身につけられる可能性は高いと思います。もちろん義務教育を受けるだけでなく、その内容を一定程度身につけるという前提です。

逆に言えばプラスアルファは必ず必要です。
具体的には、「高校卒業後に英語の実践(国際交流、英語での講義受講、海外滞在など)をする」、「幼少期〜高校の間にプラスアルファの体験(ディスカッションやプレゼンテーション、中長期的な留学など)をする」ということが考えられます。

因みに留学はメジャーな選択肢の一つですが、今の時代において「語学留学」というのは時間とお金が勿体無いと私は考えます。
今の日本国内には一昔前よりも多くの外国人がおり、日本にいながら様々な国籍の人と関わることは可能です。また、オンライン上でのコミュニケーションや外国語メディアへの接触は、今の親世代が子どもの頃よりもはるかに容易にできます。

私が通っていた大学にも多くの国籍の留学生がいました。そして、ある外国人の友人が「この学校に通っているのに語学のためだけに海外留学に行く日本人学生は本当に勿体無いことをしているね。学校の中で語学留学と同じ環境にいれるし、文化も知ることができるのに。」とよく言っていました。


「英語(外国語)教育は早いうちから!」というイメージが強く、実際乳幼児から学習をするアドバンテージがあるということは上述しましたが、実は大人になってから本格的に勉強するメリットも多くあります。

まず、大人は自分で考えて効率的な学習をすることが可能です。自分の強みや弱みを理解し、それに合った学習教材や学習方法を組み合わせて最適な方法で学習をすることができます。

また、学習方法の選択肢が広く、自分で選ぶことができます。例えば、極端な話ですが、留学したければすればよいですし、外国人が集まるコミュニティに参加しようと思えば自分の意志で簡単にできます。時間的にも、休日は1日中、平日は仕事以外の時間の大半を勉強時間に充てようと思えば充てられますし、少しでも外国語が学べる仕事に就いて、働きながら学ぶということもあり得ます。

しかも英語の場合は、高校までの義務教育や受験勉強で既に一定の基礎力は備わっており、恵まれた条件です。

少し飛躍した例えが多くなりましたが、大人になってから勉強するのも十分現実的な選択肢ということです。

ただし、私の経験上でもありますが、年齢的に考えると、外国語学習は30代前半くらいまでが適齢ではないかと思います。

私は現在30代後半なのですが、20代の時に英語とインドネシア語を習得しました。それなりの苦労もありましたが、楽しみながら一定の期間で身につけることは出来ました。

そして30歳を過ぎてからイタリア語を勉強しているのですが、なかな身につきません。年齢に伴う衰えなど生物学的な理由もあるかもしれません。今の私の場合は主に子育てになりますが、半ば趣味の語学学習に割ける時間が、物理的に少なくなったということもあります。


さて、色々と考えてみましたが、そもそも「外国語習得」というのは多くの場合「目的」ではなく、目的を達成するための「手段」です。
通訳者や翻訳者など外国語のプロフェッショナルを目指すということであれば「目的」ですし、趣味で学びたい場合も「目的」ですが、それ以外の場合は「必要な手段」です。

子どもが子どもである時間は限られていて、子ども時代は大きな可能性を秘めています。「こらからの時代英語はできないとダメじゃないか」「受験で苦労する」「幼少期でないと英語は身につかないんじゃないか」「義務教育になってついていけない、成績が悪かったらどうしよう」と不安を感じ、英会話学校への通学をはじめ、英語教育について悩む保護者の方は多いと思います。

最終的に大事なことは、子どもが自立をすることと、幸せになることだと思います。あまり「早期の英語」「早期の外国語学習」に捉われ過ぎずに、子どもと、保護者である親自身の幸せについて肩の力を抜いて考えたいものです。ひと様のお子さんの将来に対して無責任なことは言えませんが、「必要であれば子ども自身で語学を身につける」くらいに考えてもいいかも知れません。

こちらはフランス語の例になりますが、日本人自転車ロードレースの選手で、世界の舞台で活躍した別府史之選手のお話です。大きなヒントがあるように思えました。

 

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