ピアという存在 つづき
前回に引き続き、今回の記事でも「自分にとってピアとは?」ということについて掘り下げていこうと思います。
全体の構成は以下の通りで、前回は第2項までお話ししました。
1.「ピア」とは?
2.なぜ自分にはピアがいないのか
3.ピアの必要性
4.ピアと「つながり」をつくるために
5.まとめ
今回は第3項から最後までをお話ししようと思います。
3.ピアの必要性
それでは、そんな消極的な自分がなぜ「ピアがほしい」と考えるようになったのか考えてみたいと思います。
ピアサポートの一般的な意義については、前回紹介したサイトの同ページの記述を再び引用して考えてみようと思います。
ピアサポートが持っている考え方は以下のようなものです。
人は誰でも適切な機会さえあれば、自分の問題を自分で解決することができる
ここで言う「解決」という言葉はしばしば「リカバリー」という言葉に置き換えられます。 「解決」や「リカバリー」は、単に人に頼らずに自立するとか、障害・症状がなくなる、ということではありません。 自らが抱えた様々な問題に対して主体的に向き合い、困難を抱えた状態であってもその中で自分の生き方を追求していく、ということです。 ピアサポートの活動とは、仲間が、そして自分が、自分の生き方を追求していく自己決定を手助けするためのものです。 仲間や周りが本人に代わって問題を解決することではありません。
要約すると、ピアサポートの意義とは「自分の生き方について仲間とお互いに語り合い助け合うことが、自分の"課題"に対してどのようにアプローチするのか考える手立てとなる」ということだと思います。
小難しいですね。
自分にはピア(と呼ばせてもらいたい人)が数人いますが、彼らとお互いの"課題"について話し合うことは「自分の生き方を追求していく自己決定を手助けするためのもの」などではなく、ただの何気ないおしゃべりです。
飲んでる薬がどうだとか、病院が合わないだとか、同様の診断がついている人間相手でなければ気をつかわれてしまうような内容を気軽に話せる。
それだけで十分「ピアがいてよかったな」と思えますし、自分にとってのピアサポートの必要性なんてそんなものです。
そして、自分にとって、ピアはより多くいてもらった方がいいと考えています。
東京都人権啓発センターのインタビューで、「自立とは何か」という問いに対して、脳性まひの小児科医である熊谷晋一郎さんがこう回答しています。
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
『TOKYO人権』第56号(平成24年11月27日発行)
非常に有名な発言なのでご存じの方も多いと思いますが、ピアサポートもこの考えに通じるものがあると考えます。
どう説明したらいいのか難しいのですが、ピアが少ないと、その数少ないピアに依存していまいます。
ピアが数多くいれば、自分の"課題"の重みをたくさんの人にシェアしてもらえるかもしれませんし、特定の誰かに頼っているという意識も薄くなるのではないでしょうか。
4.ピアと「つながり」をつくるために
そんなわけでたくさんのピアがいるといいなぁと夢想しているのですが、どのようにしたら潜在的なピアと関係性をつくることができるのでしょうか。
…いや、どうしたらいいんですかね?
とりあえず、第2項で並べたような問題点を解決できるように努力することが第一の方法ではあると思います。
相手のことを思いやりながら、積極的にコミュニケーションをとれるようにアクションを起こす。
どちらも発達障害者が空回りしやすいことではあるのでかなり注意が必要ですが、トライアンドエラーの中でやっていくしかないでしょう。
それから、同2項の「ピアがいない理由」を書いていて何かを思い出すな…と思ったのですが、その正体に気付きました。
婚活で自分を棚上げして高望みする人です。
いや婚活したことがないので適当なたとえかわからないのですが、そんな人いそうだなと…。
自分は「発達障害をアイデンティティにしている人と"(同様の)障害者だから"という理由で仲良くするのは好ましくない」と言いながら、noteのプロフィールや記事で書いているのは自分の障害ことばかりなのです。
これはとんだブーメラン。
婚活もそうだと思うのですが、他人とよい関係性を築きたいなら、自分のことについて興味を持ってもらえるようにアピールしなければなりません。
このnoteの目的は自分の「取扱説明書」をつくること、つまり自分が利用するための手引きをつくることにありますから、本来他人の興味を引く必要はありません。
しかし、ピアがほしいと言うならば話は別です。
自分のために自分の情報を整理しつつ、「この人とお互いの"課題"について話し合いたい」と思ってもらえるようにそれを表現する必要があるのだと思います。
…たぶん。
5.まとめ
以上が、「自分にとってピアとはどのような存在か」「どのようにしたらピアを獲得することができるか」という問いに対する考察です。
一生モノの特性と向き合いながら生きていく上で、その体験や感情を共有できる仲間の存在は重要なものです。
今回は上っ面をさらっただけで終わってしまいましたが、このテーマについてはまた折に触れて考えを深めたいと思います。
第3項で「小難しい」と一蹴した「自分の生き方について仲間とお互いに語り合い助け合うことが、自分の"課題"に対してどのようにアプローチするのか考える手立てとなる」という考え方も、この記事を書き終えようとしている今となっては、自分が表現したかったことと一致するような気もしています。
そのように自分の体感をもっと言語化することで、概念的なことと自分の言いたいことが一致しているのか、それとも異なるのか、論理的に判断できるようになるはずです。
そうすることで、一段と自分の「取扱説明書」が充実していくことでしょう。
もしかしたら、その「取説」を"誰か"がいっしょに書き足してくれるかもしれません。
その日を楽しみに、今回はこれで筆を置こうと思います。
長くなってしまいましたが、最後までご覧くださってありがとうございました!