不登校モラトリアム・ミーツ・ガール
序章|不登校
僕はいわゆる「不登校児童」だった。
もう今から30年近く前の話だ。
当時は「不登校」ではなく「登校拒否」、いや、まだそんな言葉すら一般的じゃなかった時代だ。
小学校6年生から中学校全部を、僕はほとんど登校していない。
おそらく登校日数で言ったら、4年間で一ヶ月に満たないだろう。
小学校5年生までは、クラスの中心人物ではなかったものの、学校ではそこそこ人気者の部類だった。
そこそこの成績で、そこそこ人望もあり、学級委員や生徒会の役員などもやっていた。
いじめに遭ってたわけでもなかったが、小学6年生から何故か突然、パタリと学校に行かなくなってしまった。
当時のことはあまり記憶にない。
ただ、毎朝母親に「今日も行けない」と言うのがすごいストレスだったことだけは、やたら鮮明に覚えている。
今僕も親になってみてよく分かるが、僕の親は多分もっともっとストレスだったことだろう。
本当に心配をかけた。
で、毎日何をやってたかと言うと、ぶっちゃけ小6のときはあまり記憶にない。
ファミコンも買ってもらえない家庭だったので、ベッドに寝ながら、姉の漫画を借りたり、本を読んでた気がする。
中学に入ってからは、「勉強をしないとやばい」という強迫観念は人並みにあったので、自習で勉強をしながら、大学ノートに拙い小説を書いていた。
引きこもりだったが、ミステリや国内外の小説にハマり、「小説家になりたい」と親に言った。
学校に行けない自分が持つ夢として、「人に会わなくて済む仕事」みたいな、世の中に対して甘ったれた考えから出た、消極的な夢だった。
当時の僕が今目の前にいたら、「てめえ甘ったれんな」とぶん殴ってたと思う。
でも僕の父親は当時から非常に人間ができていて、
「本気で小説家になるなら、今みたいに引きこもっていては駄目だ。もっと色々な経験をして、色々な人に出会い、外の世界を知りなさい」
と僕を諭してくれた。
当時の甘ったれた頭の僕では、父親の深い愛情やその意味が、10分の1も分からなかったんだけど。
勉強は中学になってもそこそこできたので、普段は家で自習をして、テストだけは受けに行った。
中間テスト、期末テスト。月例テスト、模擬テスト。
学校や友達から見たら、さぞ変人に見えただろう。
流石に思春期の年代では、そんな僕に声をかける人間は一人もいなかった。
みんな遠巻きに「うわ、めずらしい」「イチくんが来たよ…」「またテストだけ受けに来たの?」とざわめく感じ。
そして憎らしいことに、学校に一切行ってないのに、偏差値は55〜60前後、「そこそこ頭がいい」というレベルを保っていた。
学校側も、正直どう接していいか分からなかったんだろう。
1年生のときの担任は、1学期毎日のように自宅まで来た。正直それが僕は苦手だった。
2年生のときの担任は正反対で、僕をいないもののように扱った。それが心地よかった。
3年生のときの担任は若い男の先生で、なんか見ててやたらイライラしたのを覚えている。
今思うとほんとにその先生には申し訳ないし、その不登校のガキをぶん殴りたいんだけど、過去の僕は自分のことは棚に上げて、その若い男の先生に内心とてもイラついていた。
どこか表裏がある先生に見えていた。
本心では僕を見下し軽蔑してるのに、上っ面でにこにこ舌触りのいい、理解のある言葉を述べるみたいな。おそらくその先生も若く、年相応に未熟で、とにかくめんどくさい僕の扱いが分からなかったんだろう。
僕も表向きはいい子ちゃんだったので、イライラしてることを表に出さず、にこにこ先生に接していた。思い返せば、実は似た者同士で同族嫌悪をしたのかもしれない。
僕は大学ノートに小説を手書きで書いていたので、やたら漢字が書けた。中二病だったので、やたら難しい漢字をわざと使っていた。
お陰で国語の偏差値が学年トップだった。
中学の模試で、国語だけ最高で72という偏差値をとったのを覚えている。それが平均点を引き上げてたので、学年の順位もそこそこだった。
でも内申がボロッボロだった。学校に行ってないんだからそりゃそうだ。
これが中学までの僕の人生。
ーーー
ちなみに、なぜ6年生のときに突然学校に行けなくなったのかって話なんだけど、
大人になってから過去の自分を分析すると、おそらく「期待された自分の像」と「本来の自分」に乖離が起き、そのギャップが取り返しがつかなくなるほど広がって壊れたんだと思う。
生徒会に選ばれるわ、小2からやってた剣道で初めてメダルを取るわ、なんか輝かしく注目されたのが小学6年生だった。
「本来の自分」を自覚できておらず、「期待された自分を演じて、それが本来の自分であると思い込んだ」僕の自我がストライキを起こしたというのが、大人の僕が子供の僕を分析した結論である。
ーーー
ま、小6から中3までの4年間を、
まるまる学校に行かなかった人間なので、
この先も当然普通に進むわけがなかった。
1章|引きこもりとヤンキー
自宅学習でありながら、中3の模試ではそこそこの偏差値だったが、内申が悪すぎたのもあり普通高校に進学できなかった。
進学したとしてもどうせ学校には行けないのがわかっていたので、それはいい。
その頃から僕は本の虫が高じて創作活動に目覚めており、15歳まではノートやワープロに小説を書いてて、16歳からは絵も描き始めた。
姉が昔からべらぼうに絵の上手い人だったので、その影響もあった。姉とは仲が良かったので。
まだ世間にはパソコンがなかったので、「書院」というシャープのワープロを買ってもらい、それを寝ても覚めてもずっと触って文章を書いていた。
高校は紆余曲折の末通信制高校を選び、高校に行かない代わりに16歳にして夜間のアルバイトをはじめた。
土日はスクーリングで登校し、平日は夜間アルバイト。
バイトをはじめたのも、僕なりに親に対する負い目があり、学校に行かないならなんとか別の方法で社会に出ないといけないという焦りがあったから。
で、新聞の中の求人広告を見て、地元のチェーン店のステーキ屋に面接に行った。
バイト面接一発目、24歳の大卒のめちゃくちゃ若い店長だったが、僕も負けじと若かったので普通に大人の人だなあと思っていた。
店長は普通に優しい人だったので、ああ、ここでなら僕も働けるかなあと思った。
今考えると、ステーキ屋チェーンの店を24歳のほぼ新卒に任せるなんて、かなりブラックな会社だ。
面接一発目で採用になったのもビビったけど、社員は1店舗2名。24の店長と25の料理長のみ。後はバイトとパートで回っていた。
で、僕は最初厨房に入ったんだが、その直属の上司になる料理長が、それはもうとんでもない人だった。
まず、見るからに元ヤン。眼光がめちゃくちゃ鋭い。触れるだけで切れるナイフのよう。
多分闘争で釘バットで数人◯してる。少年院から出てきて今って感じ。
もうとにかく超怖いの。
元ヤン料理長からの無視
その料理長からは、どういうわけかほぼ完全に無視をされた。
必要なことは一言二言会話をするが、まずほとんど目を合わせてくれない。そばでサイドメニューを作っていた気の強そうな女性スタッフとは割と親しげに会話をするけど、僕に対しては何もいわない。
身にまとうオーラがめっちゃ怖いし、僕は皿洗いしながら完全に萎縮していた。
そりゃね。
「この間まで登校拒否をしていた引きこもりの陰キャ」
と
「暴走族を率いていた元ヤン上がりのコック」
の間で、一体何の会話をしろと?という話で。
今になって思うと、高校に行かず夕方から働いているくせに、別にグレているわけではない、どう見ても「訳あり」な僕に対して、その料理長もどう接していいかよくわからなかったんだろう。
僕はその時すでに、身長も180以上あったし。(今は187cmある)
逆に僕がただの不良なら、一度ボコられれば舎弟にしてくれたんだろうが、僕はそうではなかった。
その元ヤン料理長が、とにかく目を合わせてくれないし声を掛けてもらえないので、僕はなんか悔しくなり、仕事で認めてもらおうと思った。
で、その日から僕は猛烈に仕事をがんばった。
他のどのバイトより働いて、皿洗いをマスターしたら、速攻サイドメニューやら掃除やらを率先して覚えていった。
それまで社会経験はゼロだったが、レストランの厨房はルーティンワークの簡単な仕事だったため、不思議とほとんどミスをしなかった。
そうこうしているうちに、僕を採用した大卒の店長が半年程度で他店舗に異動になり、その元ヤン料理長が今度はその店の店長になった。
元ヤン店長はMさんという人だった。
そのMさんのもと、半年くらいがむしゃらに頑張って働いて、肉焼き以外のほとんどの仕事を覚えたら、ある日Mさんが静かに僕の前に来た。
未知との遭遇
「げ、なにかミスったか?」と萎縮した僕に、いつもの冷たい眼差しのまま「イッチー、今日店閉めたら、飯でも食いに行くか」と初めて食事に誘われた。
ステーキ屋の眼の前がバーミヤンだったので、そこでご飯をごちそうになった。
その時に始めて笑顔を見せてくれたのを覚えている。驚くべきことに、そこまでの半年間その人は一切の笑顔を見せなかった。
このときは考えもしなかったが、このMさんが、僕の「社会人」として初めての「上司」であり、「恩人」にあたる人になる。正直めちゃくちゃ影響を受けた。カルチャーショックだった。
Mさんはもろに昔の不良ってイメージの寡黙な人だったので、食事でも、Mさんはほとんど自分のことを喋らなかったが、僕のことは少しずつ聞いてきた。
お前なんで高校行ってねえの?とか、休みの日は何やってんの?とか。当たり障りのない話。
あと、Mさんが店長になった後、料理長として別の人が入ったわけだが、そのIさんがMさんの昔の舎弟で、チンピラみたいだが根は優しくいい人だった。
その人と仲良くなったら、Mさんの過去を色々教えてくれた。
暴走族のヘッドだったこと。今は結婚して子供ができたからか、相当丸くなっていること。昔は本当に死ぬほど怖かったこと。
Mさんが少し苛ついたときのIさんの怯え方を見て、それが全く誇張ではないのがよくわかった。
僕はゲームや漫画が好きな引きこもりだし、学校では「いい子」だったので、彼らは本当に別世界の住人だった
恩人から学んだこと
Mさんがなぜ僕の「恩人」となったのかというと、僕は結局通信制高校を卒業するまで、そのレストランで勤めた。
理屈っぽく、何事も言葉にして語る僕に対して、Mさんは余計なことを何も語らない人だったが、その代わり何もかもを「行動」で示す人だった。
見た目はどう見ても元ヤンで犯罪者顔なんだが、お客様のクレームに対しては真摯に頭を下げる。
そして、僕がカルチャーショックを受けたのは、「他人にもめちゃくちゃ怖く厳しい代わりに、自分に対してはそれ以上に厳しく、従業員の誰よりも働いていた」ということ。
簡単に人を褒めないし、愛想笑いもない。人に嫌われることを恐れていない。
実際にバイトには怖がられて3日で辞められたりしていた。
それまで僕が知っていた家族や、数少ない周囲の人間は、みんな日本人らしく、「軋轢を避け、愛想笑いをし、可能な限り波風を立てない」ということを是としていた。
Mさんは正反対の人格だった。波風を立てることに全く抵抗がない。
自分が信じたものに絶対の自信を持ち、いくら他人に批判されても曲がらない。
その姿は、親以外の初めて見る「自立した大人」の姿だった。
ああ、こんな生き方があるのか、と思った。
それは自分にないものを持っている人に対する憧れのようなものだったと思う。
ちっぽけでいびつな僕の中で、少し世界が広がった瞬間だった。
Mさんの下で働きながら、10代の僕はずっと考えていた。
なぜ僕はこの、何もかもが正反対で、全く言葉が通じないMさんの下で働くのが心地よいのだろうか。
相性なんか最悪だっただろう。なにせ言葉が通じないんだから。
僕はどう考えても落ちこぼれなのに、雰囲気だけはどこか優等生みたいなオーラを纏っていた。多分それでMさんに最初無視されていたのだろう。
僕は、母親や姉弟とよく、自分の内面のことや、考えていることを話すのが好きだった。お茶を飲みながらよく語り合った。
でも、Mさんはそもそも語る言葉を持たない人で、そういうコミュニケーションは皆無だった。
ただ、「行動」での信頼感があった。
彼は「使える人間」として僕を評価してくれているのが「行動」でわかったし、言葉がなくても信頼関係って作れるんだ、ということをそこで初めて学んだ。
社会復帰のきっかけ
そのレストランでの3年間強のアルバイトは、僕の大きな転機になった。
最初は無視されていたMさんの信頼を、努力と実力で勝ち得たこと。これがひとつ。
そして、何よりも金が貯まった。
僕はとある目的があり、アルバイトでもらった給料、月に6万から8万程度を、ほとんど使わなかった。
結果、3年間10代最後にして200万円もの金を貯めた。
これは、僕が薄っすらと感じていた同年代に対する引け目や劣等感を払拭し、ちっぽけなプライドを満たすに十分な金額だった。
なぜ10代という、金が入ればすぐ使ってしまう年代にして、そこまでの金を貯めることができたのか。
欲しいものがなかったわけではない。趣味ではゲームも好きだったし、絵を描くための画材や書籍、バンドをはじめたのでベースや機材も欲しかった。
でもそれらに散財することをしなかったのには理由があった。
お恥ずかしい話だが、16歳のときに出会い、17で付き合った彼女がいたためである。
この子は今の嫁ではないが、最終的に23歳まで、7年間付き合うことになる。
2章|10代で200万を貯めた話
男子にとってはいつの世も、女と金の力は偉大である。
これを否定する男はおるまい。
僕は盛大に社会不適合をかましていた引きこもりのオタクのくせに、17で彼女ができた。
そのときにインターネットがあれば、世の中の引きこもりの星になれたと思う。
快挙と言っていいだろう。
中学の同級生の女の子(この子は僕が登校拒否をしても変わらず付き合ってくれた数少ない友人)が紹介してくれた子で、和服が似合いそうな雰囲気のまあまあ可愛い子だった。
僕は日中高校も行かずにバンドをしたり絵を描いたり小説を書いたりしながら、趣味人を謳歌していた。
贅沢なモラトリアムに見えてたと思う。(実際は夕方から夜にかけて週6で働いてたわけだが)
そんな変人だったので、なぜかマニアックな趣味の女の子に多少モテた。
そういうアンバランスなアウトローって10代の頃にはモテるよね。
普通に真っ当に学校に行ってる人が一番偉いし、素敵だと今は思うけども 笑
で、その子にも何故か気に入られ、自宅に入り浸られてる内にそういう関係になった。
熱病のような大恋愛
その子とは青春映画で見るような大恋愛をした。そこで僕は初めて人を本気で好きになることを知った。
西野カナが歌ってるようなやつだ。むず痒くなるようなやつ。
めちゃくちゃいい経験をさせてもらったし、そこで僕は「他人に期待する辛さ」を十分すぎるほど学んだ。
「人を変えるくらいなら、自分が変わったほうがはるかに楽だ」と悟った。
で、燃え上がったものは同じ強さで燃え続けないってのも世の中の理である。
当然その恋愛にも終わりが来た。
はじめの転機は、これもありがちだが彼女の「大学受験」および「大学進学」である。
僕らは故郷の群馬にいたが、彼女の志望校は「関西の大学」だった。
ただ、高校で僕との恋愛にうつつを抜かしすぎ、彼女は志望校に落ちた。
一番側にいた僕がレールから外れた落ちこぼれだったから、無理もない。
そして浪人を決めた彼女は僕に言った。
「私は君といると駄目になる。大学に合格するまではもう会わない」と。
「それは別れるということ?」と聞いた。
「そう取ってくれて構わない」と言われた。
別れと決意
その時は普通にいけば高校卒業のタイミングだったが、僕はまだ通信制の高校に通ったままだった。(詳細は省くが、諸事情で4年通う必要があった)
僕は当然別れたくなかったが、彼女の将来の邪魔をするわけにはいかなかった。
彼女は母親だけの片親で育っており、受験の失敗は彼女にとって親に対する裏切りだった。
浪人を決めるにも、親に経済的に相当な無理をさせているため、母親に対してのけじめを示す必要もあった。
そういう事情をすべて知っていたので、「別れたくない」ということがただの僕の我侭で、それを伝えることがその子の負担になることが痛いほど分かった。
なので、僕はそれ以上何も言えず、色々言いたいことを全部飲み込んで、ただ「分かった」と別れることを承諾した。
で、その子とは別れたんだが、僕はその時点でもう心が決まっていた。
1年後、彼女が大学に合格したら、もう一度告白する。それまで何も言わずに待とう。
で、もしその頃まで彼女の気持ちが続いていて、彼女が関西に行くなら、自分も関西に行けるように金を貯めよう。
耐え忍ぶ日々
それは、気が遠くなるほど長い1年だった。
僕は無心になり、バイトを増やし、修行僧のようにひたすら金をためた。
別れる数日前までは、毎日のように彼女と電話で話し、少なくても週に一度は会っていたので、その一切を突然絶ったことで、何もかもを失った気持ちになった。
胸にぽっかり穴が空くという表現がよくドラマなどであったけど、まさしくそれだ。
僕は「別れた」ので、どんなに未練があっても、話したくても、彼女に本当に一切の連絡をしなかった。
彼女からもなかった。
僕は彼女の中で自分の存在が徐々に消えていくのを想像し、本当に苦しくなった。
同時に、僕の中の彼女への気持ちをどうしても失いたくなくて、その気持ちを毎日何度も反芻しては噛み締めていた。
忘れてしまえば楽になれるのに、忘れたくなかった。
彼女の心はもう全くわからない。でも、「自分の中でその気持ちが終わっていく」ことには、断固抵抗した。
虚しい抵抗だった。
でも、僕の中で終わらなければ、またあのときの「続き」から始めることができると信じたかった。
こういうときは本当に男のほうが未練がましいし女々しい。
とにかく1年後、彼女とまた会えることだけを心の支えにして、時間が経つのをひたすら待った。
1日、3日、1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年。
1日1日が過ぎるのが、気が遠くなるくらい永く感じた。たった1年、大人になった今では一瞬で過ぎ去る時間だけど、このときは本当に、10年くらいはじっと待っていた気がした。
春が過ぎ、夏が来て、秋になり、冬になった。
ストイックにひたすら貯めた僕の貯金額は、ついに200万になっていた。
彼女が志望校に合格し、もし再び付き合うことができたら、このお金を持って、僕も今の仕事をやめて関西に行こう。仕事にも地元にも家族の元を離れるのも未練はない。
ただ、もう彼女は僕のことを忘れてしまっているかもしれないし、彼女にとって僕の存在は「過去」になってる可能性のほうが高い。
志望校に無事合格していれば、彼女の前には新天地での新生活が広がっている。僕の居場所など、もうどこにもないかもしれない。
2月、志望校の合否が出た。
彼女の進路
僕は1年間で、ありとあらゆる想像をし、「覚悟」を済ませていた。
彼女が僕のことを忘れてしまっている覚悟。
彼女に新しい恋人ができている覚悟。
彼女の中の僕の存在が「過去」になり、清算されている覚悟。
彼女の人生にはもはや僕が必要でなく、すでに新しい人生を歩んでいる覚悟。
彼女の心がどこにあろうとも、それらすべてを受け入れて、笑って「合格おめでとう」と言う覚悟。
僕は、「1年誰とも付き合わず、ひたすら待っていた」とも、「一緒に関西に行くために金を貯めていた」とも、「気持ちを失わないように必死で維持し続けた」とも、何一つ伝えるつもりはなかった。
その全ては、彼女が望んだことではなく「自分がしたくてしたこと」だからだ。
自分で望んで勝手にしたことなのに、それを「君のために頑張ったんだ」などと、さも見返りを求めるように彼女に押し付けたら、それほどみっともないことはないと思った。
「情」など要らなかった。僕の心は1年前と何一つ変わってなかったし、「恋人」に戻れないなら、バッサリ切ってくれて良かった。
合否が出た日から数日、ひょっとしたら彼女から連絡が来るかなと思って少し待ったが、結局彼女からの連絡はなかった。
日が経つごとに嫌な予感が募っていた。
でも、「例えどんな結果になっても、彼女を恨まないし、彼女のせいにしない」という心だけは決めていた。
意を決して、震える指で受話器を握り、1年前と同じスピードで身体が覚えている電話番号をプッシュした。(※まだほぼポケベルしかない時代なので、家電である)
正直、死刑宣告を待つ囚人のような気持ちだった。
その電話番号は彼女の部屋直通で、1年前までは毎日かけて、何時間も話していた。
数コール後、受話器から懐かしい声が響いた。
「あ、ひさしぶりーー!」
こちらの深刻さとはうってかわって、めちゃくちゃ明るい声だった。
僕は「久しぶり。元気?」と聞いた後、
「結果、出たんでしょ。どうだった?」と聞いた。
受話器の向こうにはちょうど家族がいたらしく、彼女は笑いながら家族に声をかけて、「ちょっとまってて、後でかけ直す!」と言って、一旦受話器が置かれた。
審判の日
改めてかかってきた電話で、彼女は終始明るく今の状況を教えてくれた。
結局色々あって関西の大学でなく、新潟か県内の大学に志望校を変えたこと。
県内の大学にはすでに受かっており、新潟の大学の結果があと少しで出ること。
つまり、県内か、少なくても隣の県で大学生活を過ごすということだ。
僕はその話に一段落ついたあと、自分が一番気になってることを聞いた。
「俺は正直、1年前別れたときと何も変わっていないし、未だに君のことが好きだ。ずっと会いたかったし、話がしたかった。君の今の気持ちを聞かせて欲しい」
全部、今まで幾度となく脳内でシミュレートしてきた言葉だったが、心臓が飛び出るほど緊張した。のどが渇いて声がうまく出なかった。
どうにか伝えたら、受話器の向こうの彼女の空気が変わった。
「あー、そうきたかー…私は1年前に、一人でめちゃくちゃ泣いて、君との関係を終わらせたんだ」
「勝手に終わりにして、結論だけ押し付けてごめん。私も余裕がなかった。そうするしかなかったの」
「1年も引きずらせちゃったんだね」
「私は1年前に君から離れてから、一刻も早く、君を忘れよう、忘れようって頑張った」
「私が望んで君から強引に離れたんだから、君への気持ちを殺すのが私の義務だった」
「君がいない生活に頑張って慣れた。最初はきつかったけどね。予備校や勉強で君のことを思い出さないようにした。私には君を好きでいる資格がなかったし、好きでいたら私は絶対にまた同じ失敗をしちゃう」
「だからごめん・・・私の中に、もう君への特別な感情はないんだ」
僕はそれを聞いて、全身の力が抜けるのを感じた。
「…わかった。言ってくれてありがとう」
この場合に備え用意していた言葉は全くでなくて、こう言うのが精一杯だった。
受話器をおいたあと、僕はその場からしばらく動けなかった。
ああ。
終わったんだな。
1年。長かったな。
よく頑張ったな。
最後までちゃんとやり遂げたな。
もう明日からは、待たなくていいんだな。
そう考えたらもうダメだった。涙が溢れて止まらなかった。1年前は泣かなかったのに、僕はここで初めてボロボロに泣いた。
人生で最も意味のある一年
その後数日、みっともなく涙に溺れたが、僕の長い長い一年はこうして終わった。
僕はこの経験をしたことで、期せずして以下の思考を得た。
「相手に見返りを求めない。愛は無償に注ぐもの」
「自分の努力の責任を、絶対に相手に求めない」
「自分がやりたくてやったことの結果がどうあれ、絶対に相手を責めない」
「例え結果に繋がらなくても、努力したことは消えない」
「つらい場合は相手を変えようとせず、自分をコントロールする」
「どんなにつらい状況でも、耐え続ければいずれトンネルは抜ける」
「どんなに望んでも、基本的に他人を変えることはできない」
「相手に変わってほしいと望むな。自分を変えろ」
「努力は報われなくても、絶対に無駄ではない」
涙が去った。欠片も後悔はなかった。それどころか、ささやかな誇りが胸の奥に残った。
10代最後にして僕は、ある種悟りに近いものを得た。
年月が過ぎ40を超えた今でも、このときの経験が思考の基盤になっている。
思い返せばたった一年、だけど僕の人生の中では最も意味のある一年になった。
3章|7年の顛末
最初の方で言ったが、19のときに僕の中で一度完全に終わったこの恋は、この後4年も続く。
なぜ終わった彼女と、ここから再び付き合うことになったのか。
この顛末を話そうと思う。
再会
彼女は僕みたいに理屈で納得してから動くと言うより、自分の感情に従って直感で動く、猫みたいな人だった。
彼女は結局新潟の大学ではなく、県内の大学に進学した。
そして、彼女の家から2時間くらいかけて鉄道で大学に通うわけだが、その間に僕の家があった。
彼女は、数カ月後のある日、大学に行く途中にある僕の家に来た。
確か「置いてある荷物を取りに」とかだったと思う。
僕に断る理由もなく、快く迎えた。
僕はお茶を出して、「元恋人」として他愛もない話をした。
彼女も大学の話、新しくできた友人の話、今学んでいる西洋美術史の話など、コロコロ笑いながらよく話した。(彼女の夢は美術の先生になることだった)
話しているととても楽しく、付き合っていた頃に戻ったようだった。
でも僕らは別れている。そして僕は、彼女の未来の恋人を祝福できるほど器用ではなかった。
困惑
彼女はその後も、何度も家に来た。何事もなかったかのように。そして、極めて親しい友人のように。
恋人同士の行為がないだけで、めちゃくちゃ僕に懐いていた。
事情を知らない他人が見たら、「元の鞘に戻った」と思っただろう。
僕はどんどん困惑していった。
この子は一体どういうつもりなんだろう。
僕は完全に振られたのではなかったのか?
そして、ついに聞いた。
「あのさ、俺のところにくるって、どういうことだか分かってる?」
彼女はキョトンとして僕を見た。そしてバツが悪そうに苦笑いをした。
「あ、やっぱダメかな?」
「ぶっちゃけ俺、君を諦めきれてないし、俺の我慢にも限界がある。友達とか別れてるとか関係なく、襲うかもよ」
彼女は君は絶対しないでしょ、と笑いつつ、「私にも自分の気持ちがよくわからないんだよね」と言った。
なんか、気がつくと僕の家に足がむいてしまうらしい。
ただ、高校生の時のような燃え上がる気持ちがもうないのは確かで、明らかに前とは感情が違う。
君のことは好きだけど、これが恋かと思うと分からなくなる。
ざわつき
僕の時は高校生の時に止まったままで、彼女だけが、僕がいない1年を過ごしたことで、僕より1年先にいるようだった。ほとんど1年前と変わらないのに、ふと一瞬、僕の知らない表情をする。
それが見えるたびに、僕の心はざわついた。
僕はといえばいまだ、燃え上がるような想いが胸の底にくすぶったままだ。終わったものとしてガチガチに封印しているそれは、一度気を抜けば途端に暴れまわり、僕の心をかき乱すだろう。
だから、僕はこのまま彼女と友達をやるのがきつかった。
「今、俺とは別に、好きな人がいたりするの?」
「それは、いない」
「じゃあ、前みたいに俺に触れたいと思う?」
「どうだろう・・・わからない。でも多分、触れるのも触れられるのも、嫌じゃない」
彼女は目を合わさずうつむいたままで言った。目を合わせてくれない彼女の横顔に「自分の知らない彼女」を見て、僕の心は再度ざわついた。
「じゃあ、試してみる?」
気づいたら口から出ていた。彼女は驚いて顔を上げ、僕を見た。
およそ僕らしくない言葉だったんだろう。自分でも驚いた。
嫉妬
「私は、1年前の私とは違うんだよ」
彼女は明らかに戸惑っていた。
でも僕は、「言ってしまった以上、このまま失うなら失ったほうが楽だ」と思った。
「それでもいいよ。1年も経てば人は変わって当たり前だし、変わっていない俺がおかしいんだ」
「私は、君とまた付き合うって言えないよ」
僕はゆっくりと側に座って、うつむいてる彼女の顔を覗き込むように正面から見た。
「じゃあ、振り向かせる。俺がいらなくなったら拒絶していい。でも俺は、悪いけど君とこのまま惰性で友達になることができない」
「君には俺の知らない世界があり、俺の知らない男友達もいる。正直、その話を聞く度に胃が締め付けられる思いでいる」
彼女は驚いた顔をした。
「確かに男友達はいるけど・・・全然そんなんじゃないよ。でもごめん、私が無神経だった」
「嫉妬だよね。君が俺のところに来てくれるのは嬉しいんだ。俺のストレスは我慢できるから、平気なふりをした。でもこの先に君に彼氏ができると思うと、耐えられそうもない」
僕は続ける。
「君がどう変わってても俺は構わない」
「俺は君と離れてる間の1年間を知らない。だから知りたい。少しずつでも、ゆっくりでもいいんだ。俺のことも話すよ。俺が何を思って1年過ごしてたか、君に言うつもりはなかったけど、君が知りたいと思ってくれるなら話す」
彼女は少し黙っていたが、意を決したように僕の目を見た。
「私はね。1年前、私の束縛から君を自由にしたつもりだった」
別れた理由
「なんていうとかっこいいけど、単純に私が君を嫌いになりたくなかった。君に私の人生の失敗の理由になってほしくなかったし、君を好きなまま浪人するわけにいかなかった」
「私ほら、こんなじゃん?意志弱いし、すぐ自分を甘やかすし。君といるとどんどん自分が駄目になるような気がして」
「誤解しないでほしいんだけど、君は何も悪くないんだ。悪いのは私」
「だから、てっきり君はすぐに私のことを忘れて、他の子と付き合うと思った。君のことを好きな子は、私以外にもいたから」
「それ、めっちゃひどいな。優しいようでいて、俺の気持ちのこと全然考えてないよね」
「うるさいなあ。言ったよね、余裕がなかったんだって」
「ほんとはね、”待ってて欲しい”と言おうとしたんだ。でもそれじゃ意味がないなって。一度君を断ち切らないと、私は私の足で立てなかった。だから私は、君を失う覚悟を決めて、ただ君を突き放した」
「あと、私は1年後の私がどうなるかなんてわからなかった。そんな無責任な気持ちで、君を待たせるわけにいかないじゃん」
僕はその言葉におかしくなって、少し笑った。
「もし君に”待っててほしい”って言われてたら、俺はこの1年どんなに楽だったかな」
「でも待ってたんだね」
「待ってたよ。1年。クソ長かったし、禁欲しすぎて悟りを開くかと思った」
彼女はそこでようやくふふっと笑った。
「私の心は1年も前に、君を諦めている。今落ち着いてるし、前みたいに、君に逢いたくて何も手につかなくなるようなことにはならない」
「うん」
「君が1年前と変わらないなら、多分私は君に、またさみしい思いをさせるよ」
「覚悟しとく。君の気持ちが戻らなかったら、それは俺の魅力が足りなかったってことで」
「じゃあ、いいよ。私も自分がどう変わるか興味ある」
唇
彼女は「よいしょ」と言ってゆっくりと膝立ちになり、僕に近づくと僕の両肩にそっと手を添えた。
彼女の胸が目の前に来る。
僕と彼女は身長差が29センチほどあったので、僕が見上げることは普段はあまりない。
彼女は僕の肩を支えに上体を折ると、長い黒髪の先が僕の頬をなでる。
彼女の顔を見ると、何かを吹っ切ったように彼女の瞳はふわりと笑み、その黒目がちな瞳が伏せられる。
日本的な顔立ちで、相変わらずまつげが長い。
1年前に何度も見たはずのその輪郭が、なぜか遠く昔のことのように感じた。
鼻先が触れ合った瞬間、彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
僕もまぶたを閉じる。彼女はそのまま、自分の唇をそっと僕のそれに押し付けた。
「・・・うん、やっぱ嫌じゃない」
ほんの数秒で唇が離れて、ささやくように彼女の口からそう漏れた。
「でも昔みたいに、うわーいますぐやりたい!って感じにはならないなあ」
すぐに残酷なことを言い出す。こういうところは変わらない。
「・・・俺は結構ギリギリなんですけど」
彼女は微笑む。
「いいよ、しよう」
うたかたの夢
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