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「謎の迫力を感じるもの」を書きたい欲求

革張りのセブンチェアを買った。

最近、「かつての自分が好きだったもの」を思い出そうとする機会が多い。

どうしても「好きに勝る情熱はない」のである。その情熱は書き物において、最後のひと押しになるというか、味付けになるというか。

読んでいて、まったく違うジャンルだし、それまで興味がなかったくらいことなのに、「なんだかよくわからないけど迫力を感じるもの」は、どこか根底にある「好き」の気持ちがこぼれだしている文章なんじゃないかと思う。

ただ、それがイコール良い文章になる、というわけでもない。「好きになろうとする」のも大事だし、「好き」は文章に必須ではない。ただ、その「なんだかよくわからないんだけど迫力を感じるもの」に手が届く近道は、やっぱり「好き」というピュアな情熱を宿すことなんだろうと感じている。

ここで時計の針は、僕が高校生の頃に戻る。ある日、本屋で一冊の雑誌を手にした。枻出版社が刊行していた『北欧スタイル』だった。そこに掲載された色とりどりの、やわらかな印象の家具たちに、なぜか一気に心を持っていかれた。

そのひとつが、アルネ・ヤコブセンの代表作ともいえるセブンチェアだった。今となってはレプリカもたくさんあるし、よく見かけるようにもなったが、僕はそのイスを「完璧だ」と愛した。16歳くらいのことだったと思う。

それからずっとアルネ・ヤコブセンの家具が好きで、いつか手に入れたいと思っていたのだが、国立にある古道具店「LET’ EM IN(レット エム イン)」のガレージセールで、この一脚に出会った。飲み会一回分くらいの、正直言って、ありえない値段だった。

革の状態がよくないことと、一部に破れが見られるため、破格だった。でも、そんなことが吹っ飛ぶくらいに、僕はまたしても心を持っていかれた。オレンジは僕が偏執的に愛している色で、底面には正規品であるフリッツ・ハンセンのロゴもある。

「これが出会いなんだ」と本気で思った。僕に買われるために、君は今ここにいるのではないか、と声に出したくなるほどだった。(いま、こうして書いてみると、若干の暑苦しさを覚える。)

家に持ち帰り、あらためて眺めると、心の中に住まっている「高校生の頃の自分」が喜んでいるのがわかった。やっぱり僕は、このイスが好きだ。好きなところを挙げろと言われたら頑張るが、とにかくこれだけは言える。好きなのだ。

こんなふうに「好き」と思えるものは、幼少期であればあるほど純粋さを増していく。僕は最近、小学生の頃、さらに昔の幼稚園の頃を、どうにかたぐりたい気持ちでいる。

あの頃、誰に言われるでもなく心ときめいたもの。そこに、僕のこれからを「仕事として」導いてくれる旗印があるような気がしてならない。いくつかのタネは、見つけている。

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