舞台『刀剣乱舞』シリーズ全作観た! 歴史時代系モノカキ的まとめ
舞台『刀剣乱舞』シリーズが無料配信された。2020年5月25日から31日の間、1日1本、毎晩20:00スタートで視聴する機会を得た。
刀剣乱舞はもともとオンラインゲームだ。刀がその来歴や形状になぞらえた姿の男性戦士となり、歴史改竄を目論む敵と戦う、というのが基本コンセプト。ジャンルは育成系シミュレーションゲームだ。舞台版はゲームから派生したコンテンツということになる。
私はゲームのほうは未プレイである。育成系SLGが苦手な上に毎日ログイン系も苦手、ストーリーのクリアという概念がないタイプがまた苦手なので(要するに、コツコツ少しずつプレイすることができない性質なので)、登録には足踏みしてしまった。
※直後、せっかくなので審神者はじめました。
ただ、周囲に熱心な審神者《さにわ。プレイヤーのこと》が多い。だから、ずっと気になっていた。
なぜ、刀剣乱舞はこんなに人気があるんだろう?
今回の「#刀ステ一挙無料配信」は絶好の機会だった。歴史と伝統工芸品をモチーフにした、ともすれば古くさいコンテンツになりかねない刀剣乱舞がうら若き女性に人気の理由は何なのか、探るチャンスだ。
そして、自分なりにその答えを得たと思う。自分のエンタメの価値観が大いに揺さぶられた。
※舞台『刀剣乱舞』と書くのがちょっと手間なので、刀ステ《とうすて》と書かせていただきます。
※刀剣男士は本来、刀であるので、ひとり、ふたりではなく、ひと振り、ふた振りと数えます。
◇
ひとさまの目に触れるnoteでこのまとめをするにあたって、1つお断りしておかなければならない。
往年の歴史ガチ勢の中には、刀剣乱舞に対してフクザツな気持ちを抱くかたがおられると思う。私のもともとの立ち位置もフクザツ側に近い。「歴史」にまつわる先入観が、ハッキリ言ってかなり強い。
白状すると、恐る恐るだった。私は本当に、ちゃんと楽しみながら視聴できるのだろうか、と。「歴史」の先入観が邪魔をしないだろうか、と。「史実ではこうだから云々」が幅を利かせないだろうか、と。
そういうわけなので、審神者の皆さまにおかれましては、このnoteに書かれた内容が失礼なものに感じられるかもしれません。
結論を先に申し上げれば、「とても楽しんで観劇することができた!」なので、失礼だったとしても、こりゃ驚いた、変な視点を持ってるやつもいるものだ、くらいの感じで笑っていただけると幸いです。お願いします。
お品書き
〇根幹はSF系ダークファンタジー
〇歴史ガチ勢への刀ステ味見指南
〇書いてみたいタイプの男士
〇宣言!
◇
〇根幹はSF系ダークファンタジー
刀ステの根幹にある発想は、SFだ。タイムリープやループ、並行世界が仕掛けとして機能するタイプのSFである。
テイストは、シリアスなダークファンタジー。個性豊かなキャラクターのおかげで絵面が明るいシーンもあるが、基調はシリアスでダークだ。ファイナルファンタジーシリーズやテイルズオブシリーズを思い出した。
そして、刀剣男士が主たるキャラクターであり、彼らの本来の姿は刀であり、人の身を得ても自分自身である刀を振るって戦う使命を帯びており、女性の登場人物が(過去8作には)いないことからして、実は作風が男くさい。
シリーズ第1部のクライマックスである『悲伝』は特に男くさく、会場に女性ファンしかいないのが不思議になるほど「男!」な信念のぶつかり合いが見どころだった。
(これ、格ゲー要素のあるアクションRPGで出したら、男性ファンがめちゃくちゃ増えるでしょう?)
冒頭でもチラッと紹介したが、改めて、刀剣乱舞というゲームのコンセプトを公式ホームページから引用する。
西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。
この「歴史改変を目論む敵」は、自分たちこそが歴史を正しく導くのだと言わんばかりの「歴史修正主義者」という名で呼ばれている。その点が、個人的には熱いと思う。
ライト層向けの歴史系エンタメコンテンツといえば、まさに歴史修正主義者的な立ち位置で駒を進めるタイプが多いように感じる。私はそれが少し苦手だ。
史実では非業の死を遂げた人物にハッピーでサクセスフルな人生を与える物語──そのやり方だけがエンタメ的な意味付けをおこなう手法ではないだろう、と。この(自分でも制御しがたい)反発心がどこから生まれるのか、自己分析は不十分なのだが。
いずれにせよ、ほかでもない刀剣乱舞に興味を惹かれたのは、刀剣男士が歴史改変を阻む存在として登場するからだ。
刀剣男士たる者、歴史修正主義者と戦い、あるがままの歴史を守らねばならない。その使命は刀剣男士に苦悩や葛藤を強いる。彼らはどんな壁にぶち当たるのか。
わかりやすいのは、『虚伝』のキーパーソン(キーソード?)である不動行光《ふどうゆきみつ》だろう。彼は織田信長に愛された短刀だ。彼自身、その逸話をよりどころにして人格を形作っており、信長を心から慕っている。
その不動行光が1582年6月初頭の京都へ遣わされるならば、彼は何を思うだろうか。彼が遂行すべき任務は、
「敵は本能寺の変を失敗させ、織田信長を生存させようとしている。刀剣男士は敵の介入を妨害し、『正しい歴史』に従って、信長を本能寺で果てさせよ」
である。信長を慕う彼は、どんな行動を取ってしまうだろうか。
あるがままの歴史を守るため、時として、刀剣男士はもとの主と対峙しなければならない。その手に携えた、自分自身である刀で、もとの主を斬らねばならないこともある。
未来の一時点で人の姿として顕現した刀剣男士は、過去に何が起こったかを知っている。彼らは過去へ飛び、歴史の守護者たらんとして戦う。しかし、彼らの度重なるタイムリープは時の流れに干渉する。乱れた流れは絡まり合い、固く結ばれてほどけない「目」が生じる。そして、もし仮に歴史の守護に失敗した場合、その枝分かれした並行世界の歴史の先には――。
刀ステの世界観はこんな感じである、と思う(合ってますよね……?)
私はダークファンタジーが好きだ。シリアスで、SF的要素があればなおよい。刀ステは的のド真ん中に近かった。歴史エンタメコンテンツだからというより、この容赦なくハードなテイストに惹かれている。
〇歴史ガチ勢への刀ステ味見指南
表には出せないけど実は刀剣乱舞に興味があるんだよね、という人へ。
博物館での刀剣観賞が趣味の好事家、地元に刀剣男士コラボコンテンツが出現して戸惑う郷土史家、歴史系エンタメコンテンツだったら一応かじろうかと思っている歴史時代系モノカキ、といった歴史ガチ勢の皆さんへ。
刀剣乱舞が気になるなら、刀ステを味見してみたらいいと思う。過小評価や無視をしていてはもったいないほど、刀剣乱舞を取り巻くコミュニティの広がりにはパワーがある。
ただし、刀ステ観賞にあたっては、いくつか注意事項がある。
まず、これは刀ステに限らないが、2~3時間の舞台という限られた枠の中で歴史上の人物を表現するためには、デフォルメが必要だ。場合によってはどぎついほどに、その人物のある一面を強調しなければならない。
刀ステに登場する森蘭丸や明智光秀、伊達政宗や細川忠興、北条氏直ら小田原勢、黒田親子や弥助、足利義輝、坂本龍馬や土佐勤王党の面々といった歴史上の人物は、「刀剣男士を通した歴史ifのドラマ」を魅せるべく、デフォルメが施されている。その点をきちんと呑み込んだ上で観賞してほしい。
そして、登場する刀剣男士のプロフィールをひととおり眺めておくことをお勧めする。顔は覚えなくていい。名前もあいまいでいい。名前はたぶん、観賞しながら頭に入ってくる。
覚えておいてほしい点、意識して追い掛けてほしい点は、「同一の主を持つグループ or 同一刀派の兄弟刀グループ」×「髪の色と長さ or 衣装の色や形」の組み合わせである(すさまじく雑なことを言って大変申し訳ありません)
例えば、織田信長を主に持った経験のあるグループには、グレーっぽい短髪のよく怒鳴る打刀、ピンクの長髪のやたら美人な打刀、短め黒髪のしっかり者で短パンの短刀、黒髪ポニーテールの酔っぱらいでハーフパンツの短刀がいる。彼らが信長に対して抱いている感情はさまざまだ。4振りの価値観のぶつかり合いが見どころである。
なお、もとの主をハッキリ言明しない、白い布をかぶった金髪の打刀と青い衣装の太刀がいるが、彼らが第1部の主人公である。この2振りだけは名前も覚えておいてほしい。布のほうが山姥切国広《やまんばぎりくにひろ》で、青いほうが三日月宗近《みかづきむねちか》だ。
刀ステは、2020年6月時点で8作品ある。時系列順(と思われるが?)につながってはいるが、単品でも完結したシナリオになっている。
虚伝 燃ゆる本能寺
虚伝 燃ゆる本能寺~再演~
義伝 暁の独眼竜
外伝 此の夜らの小田原
ジョ伝 三つら星刀語り
悲伝 結いの目の不如帰
慈伝 日日の葉よ散るらむ
維伝 朧の志士たち
味見で観てみるならどれがよいか。個人的には、歴史ガチ勢相手だったら、シリーズ第2部の1作品目である『維伝 朧の志士たち』がいちばん推せる。次点で『虚伝 燃ゆる本能寺』。
(『虚伝』から『慈伝』までは山姥切国広が主人公の第1部、『維伝』以降が第2部でシリーズ続行中)
まず『虚伝』のほうから紹介を。サブタイトルのとおり、本能寺の変がメインに描かれ、信長に関わりを持った刀たちと、森蘭丸、明智光秀が「私にとっての信長」によって翻弄され、葛藤する。
どのようなifの蘭丸や光秀が描かれていてもOK、というタイプのかたには『虚伝』をお勧めできる。上演時間が比較的短く、ストーリーのテンポがいい。観劇のおともは「おはぎ」が定番なので各自必ず用意されたし。
『維伝』を推すのは、「既に歴史改変されておかしくなった文久年間の土佐藩」という舞台設定のため、少々どぎつい土佐勤王党が出てきても違和感がなかったからだ。先ほど述べた、歴史上の人物のデフォルメが『維伝』では受け入れやすい。
舞台としての「見やすさ」もあった。第1部の主人公である山姥切国広は、自己嫌悪しがちで突き抜けきれない、ひどく繊細な青年だ。シリーズを通して成長していく姿に胸を打たれるが、1作だけだと魅力が伝わりにくいかもしれず、その点がちょっともったいない。
これに対し、『維伝』の主人公を務める陸奥守吉行《むつのかみよしゆき》は坂本龍馬の愛刀で、龍馬譲りの開けっ広げな性格であり、パッと人目を惹き付ける。初心者が観る場合、陸奥守吉行のほうが無難にお勧めできる、ような気がする。
また、『維伝』に登場する幕末の刀剣男士6振りのヘアスタイルとファッションは、舞台上の装いとして違和感がない程度の派手さに留まる。対照的に、平安時代に打たれた齢1000歳越えの刀2振りの容姿は、幕末の土佐で実に浮世離れしている。初心者の目には、舞台上の絵面の「見やすさ」が感じられた。
もちろん、上述の事柄にとらわれず、自分の地元に関連する作品を観るのも楽しいかもしれない。『義伝』は伊達政宗と細川忠興、および伊達の刀の4振りと、細川組の2振りが登場する。『ジョ伝』は黒田親子と、関連する刀は3振り。
ちなみに『義伝』は、ある人物が天下取りへのチャレンジを延々と繰り返す歴史ifのループもの、である。ループの謎が解けていく感覚が痛快だ。
『ジョ伝』は、舞台ならではの演出を活かしたタイムリープもの。ドラえもんの大長編『のび太の大魔境』をご存じだろうか。あの仕掛けのパターンだ。こちらも、パズルを解くような爽快感がある。
『外伝』は唯一、屋外での公演である。夜、小田原城にプロジェクションマッピングしながらのヒーローショースタイルだ。北条氏直らが登場する、小田原籠城前夜の出来事。時間は最も短く、約70分間。
歴史ガチ勢には、初見で『慈伝』だけはお勧めしない。『慈伝』は、『悲伝』を観て深いダメージを受けた人向けのボーナストラックだ。SF系ダークファンタジー要素もタイムトラベルもない。
『悲伝』については、『虚伝』か『義伝』を観て三日月宗近の語りが持つ「重み」に触れた上で臨むほうが楽しめると思う。
あともう1つ。シリーズ通しての特徴として、殺陣のシーンが長い。1振り1振りの個性が反映された戦型で、かなり独創的なアクションの刀もいる。伝統的な時代劇風ではない(ように見えると思う)ので、ここもまた先入観を取っ払っておいてほしい。
〇書いてみたいタイプの男士
刀ステの非常にザンネンな楽しみ方。自分の小説でこんなキャラクターを書いてみたい、と感じたことのまとめ。推しとか萌えとかいう概念は私にはないらしい。
不動行光
自称「ダメ刀」の酔っぱらい。信長に愛された刀であることを誇りとする一方、本能寺で信長を救う力を持たなかった自分を責めている。自分の感情に素直な行動がことごとく任務違反となるトラブルメーカーだが、物語の狂言回しとしてめちゃくちゃ有効に機能する。
私の課題が擬人化した、と言えるくらいのキャラクター。私は羞恥心を克服できないためか、真人間ばかりを書きがちなので、今度は不動行光タイプに挑戦したい。表現の幅を広げたい。
宗三左文字《そうざさもんじ》
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を倒し、得た戦利品。それ以降、天下人の刀として宝物のように仕舞われ、戦いに用いられることもなく、主の滅亡とともに所在を転々とする。自らを「かごの鳥」と呼ぶ厭世的な美青年の姿で顕現。しかし『虚伝』の彼の成長ぶりは少年漫画の主人公よろしくパワフルだった。
ひねくれた人物はよく書くが、手癖でやると、外向きに尖るタイプになる(肥前忠広みたいに)。宗三左文字のように内向きのひねくれ方で、かつ儚い妖艶さを持つ男性を書いてみたい。
苦手と感じたポイントは私自身の鏡写し
へし切長谷部《へしきりはせべ》の、言っていることは正しくても言い方がきついところ。融通が利かないところ。
歌仙兼定《かせんかねさだ》の、「文系だから。通だから」と格好付けたがるところ。「しまった」と思っても、素直に改められないところ。
同じチームにいたらイヤだなと、ひどくリアルに感じたのがこの2振り。でも、それは私自身のイヤなところそのものだからだ、と不意に気が付いた。ここで得た気付きを、登場人物の成長やギャップの描写に活かせるだろうか。というか、まず日頃のおこないを見直せ。
※なぜ苦手なのかに気付いてからは、彼らに対し、かえって愛着が持てるようになりました。
土佐組の「涙を流す」表現
人斬り(岡田以蔵)の刀であることがアイデンティティだから、苦しげな顔をしながらも戦い続ける肥前忠広《ひぜんただひろ》が、そのとき呆然として流した涙。
最初から不吉を感じつつずっと笑い飛ばしていた陸奥守吉行が、結局最後まで笑いながら、それでも流す涙。
芯が強く、戦うことに迷いを見せない彼らでさえ、心の柔らかい部分をクリティカルに突かれて涙を流すことがある。それが印象的だった。
まとめてみると、カッコよさではなく、弱さや欠点や感情の揺らぎばかりピックアップしている。申し訳ない。しかし、小説の中に書くキャラクター像は、そのあたりの「身近さ」を大事にしたいのだ。
平安時代に打たれた、三日月宗近や小烏丸のように古い刀たちも、浮世離れした在り方が魅力的だ。これは書き手としてではなく、受け取り手としての感性で、そう思う。
最後に、平安時代組からはこの刀を。私が理想とするエンタメの姿として。
小説スタイルは鶴丸国永でありたい
鶴丸国永は、立ち居振舞いが美しくも軽妙、目配り上手のからかい好き、案外好戦的なたちで、血に染まるのも厭わない。古い時代から在り続けているだけあって、実は思慮に富んで達観している。そして何より、とても共感できるのは彼のポリシー。
「人生には驚きが必要なのさ。予想し得る出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」
驚きのあるエンタメを書いていきたい。文章は、白一色の彼のように、シンプルな美しさを目指していきたい。
〇宣言!
最初のほうでも書いたとおり、私は本当に刀ステを楽しめるだろうかと、不安が大きかった。
「歴史」に対しては、ある種のコンプレックスを抱えている。
歴史研究の道に進むことができず、歴史時代小説書きとしては「沼」への入り方が圧倒的に浅い。専門領域は東洋史でも日本史でもなく、そのボーダーライン上だった。いろんな意味で、帰属意識と反発心がめちゃくちゃにとっ散らかってしまった。
だから、「歴史」を素直に楽しめない、どうしてもこだわりを捨てきれないところがある。ちょうど山姥切国広が「俺は写しだから」とこだわり続けてしまうような感じで、そんなもの振り切ってしまえばいいのに突き抜けられないような感じで、私は「歴史」における挫折にとらわれている。
ようやく最近、屈折した何かがマシになってきただろうか。
その手応えを、今回の刀ステ観賞を通して得ることができた。刀剣乱舞は私に安心感を与えるものだと、今は感じている。試金石になってくれてありがとう。
で。
刀について調べている。小説で刀について書きたいと考えているし、実際、動き出してもいる。まだ全然、表に出せないけれども。
刀剣ファンに驚きと楽しさを提供したい。そんなエンタメ時代小説を、遠くないうちにご覧に入れましょう。それをここに宣言します。
また、小説投稿サイトのノベルアッププラスで、刀剣乱舞の二次創作という公式タグを借りて、時代小説短編集の連載を開始した。「刀ステのしんどいとこが好き」と書いたとおりのテイストなので閲覧には注意されたい。
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めちゃくちゃ長文のレビュー(だか何だかわからないもの)をここまでご覧いただき、ありがとうございました。
こんな感じのことを考えている、1985年生まれの新人小説家です。2020年4月にデビュー作が刊行されました。時代小説ですが、文章とキャラの取っ付きやすさは読者さんたちのお墨付き。「そこでその要素使う?」みたいな驚きをいろいろ仕込んでいます。
『維伝』のDVD、買いました。夏の科白劇『刀剣乱舞/灯』が楽しみです。