続)『姉上は麗しの名医』の作り方。下地編。
高校時代に観た舞台とその原作小説、そしてあるテレビ番組が『姉上は麗しの名医』の下地として大いに作用している、という話。
あらすじには一切出てこない部分も含む話になるので、ネタバレを見たい人だけ読み進めてください。
祖父が「時代物」好きだったので、気が付いたら『水戸黄門』の決め台詞は言えるようになっていたし、藤沢周平氏や山本周五郎氏といった御大の名前は知っていた。このあたりの素養がむろん大きいのではあるけれども。
それはそれとして。
『姉上は麗しの名医』の下地として、直接的に影響を受けている作品がある。市川森一氏『夢暦 長崎奉行』だ。
テレビドラマでも放映され、そこから知った読者さんも多いらしい。ドラマを観なかった私がこの作品を知ったのはもうちょっと後だ。高校時代だった。
2000年4月、ながさき阿蘭陀年オリジナル音楽劇「出島 - DECIMA -」として、『夢暦 長崎奉行』を原案としたミュージカルが長崎ブリックホールで上演された。
(当時の情報が記載されたページがまだ存在した。貴重!)
『出島 - DECIMA -』は江戸時代の話でありながら、圧倒的にインターナショナルだった。オランダ語あり、中国文化あり、アンゲリア語(=英語)あり、オペレッタあり。しかもすべて史実の元ネタあり。
そしてまた、ファミリーミュージカルになり得るほど開放的で明るく華やかで同時に情緒に満ちた物語が、江戸時代を舞台に組めるということが衝撃的だった。
昔の話は何となく薄暗くて不気味だ、という子どもっぽい思い込みが私にもあった。思い込みの原因は『日本昔ばなし』のせいかもしれないし、厳めしい表情の大人たちが難しいことをしゃべる大河ドラマのせいかもしれない。白黒映画のサムライがちょっと怖かったせいかもしれない。
何にせよ、『出島 - DECIMA -』を観て初めて、「縛られなくてもいいんだ」と感じた。
原作『夢暦 長崎奉行』を読み、さらに強くそれを感じた。知識と情報は武器だ、とも感じた。知ることで足場を固めておけば、その固い足場を思いっ切り蹴って自由に飛び回れる、と思った。
もう一つ、下地にあるものを挙げると、NHKで放映されていた『コメディー お江戸でござる』だ。伊東四朗氏がいたころは知らない。私が観始めたころには、えなりかずき氏がもう声変わりが終わっていた、そういう時期。
コミカルな人情劇と歌と、杉浦日向子氏による解説の3本立て。もちろん町人ものが多かったが、たまに刀を差した登場人物もいた。
タイトルどおり『コメディー お江戸でござる』も明るい雰囲気の番組だった。なおかつ、杉浦氏による考証がめちゃくちゃしっかりしていた。
思い返してみるに、『姉上は麗しの名医』のキャラクターたちのノリや立ち居振る舞い、「海」の向こうを身近に引き寄せる手法、資料ゴリゴリのチカラワザ、カタカナをぶち込む自由奔放さは、上記の舞台2作品と『夢暦 長崎奉行』に拠るところが大きい。
だから、「目標は舞台化!!!」も、ごく自然に頭の中にあったんだよなあ。
アンゲリア語でぶっ飛んだ読者さんも多かったと思うけれども、長崎が舞台だからこそ本気で外国語バリバリの『夢暦 長崎奉行』はもっとすごいです。オススメ。
ネタバレ話でした。