五島、世界遺産の教会を訪ねる③ #goto201809
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を訪ねる旅、奈留島《なるしま》編。地元の人は「なっじま」と呼んだりする。
父方の実家が奈留島にあるので、祖母の顔を見るのも兼ねて、朝のフェリーで渡った。
前回分、#201809②はこちら↓
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2018/9/17
本土からの直接の船便がない島のことを「二次離島」と呼ぶ。奈留島は高速船が寄らず、長崎とを結ぶ便は昼のフェリーのみでたいへん不便、同県内なのに長崎‐奈留の日帰り出張は不可能。さしづめ「一.五次離島」と言える気がする。
奈留高校には、校歌と別に、荒井由実氏が作った愛唱歌「瞳を閉じて」がある。1970年代、当時の奈留高校には校歌がなかった。ある女子生徒がラジオを通じてユーミンに「校歌を作ってください」とお願いしたところ、本当に作ってもらえたそうだ。
ユーミンの歌碑が奈留高校の敷地内に建てられている。
奈留島では子どもの数の激減を受け、公立の小中高一貫という体制で学校を存続させている。また、高校では2018年度から離島留学生制度をスタートさせ、五島外からの生徒募集をおこなっている。
ギュッと細長く密集して入り組んだ奈留の中心街を散策する。自販機ひとつ探すのに苦労した久賀島に比べると、奈留島はひととおり生活できるだけのお店がそろっている。若松島よりそろっていると思う。
父の実家へ。かつては古くて広い2階建ての家だったが、今は一人暮らしの祖母が住みやすいよう、バリアフリーの平屋に建て替えられていた。新しい家には、私は初めてお邪魔した。
祖母の言う芋畑とは、裏山に拓いた段々畑。少しでも広い面積を取れるよう、垂直ではなく斜めにしてあり、畝の幅も通常より狭い。それが奈留島方式だと、父が言っていた。
父方の家系は隠れキリシタンであり、先祖は西暦1800年頃に長崎本土(大村藩・西彼杵地区)から移住してきた人々だった。彼らに与えられたのは開墾しづらく、農作業に向かない土地ばかりだった。
ちなみに、既に改宗したので、隠れキリシタン云々と公言できる。信者であれば信仰の第一義として隠すものだと、少なくとも福江島奥浦地区と奈留島の関係者は言っていた。
祖母と昼食を取った後、世界遺産の江上天主堂へ。
奈留島の隠れキリシタンは、開国後の「信徒発見」時にはあまり信仰告白をおこなわず、その後もカトリックへの改宗をしない者も多かった模様。比較的近年まで隠れキリシタンの信仰を守っていた家がけっこうあったらしい。
現在、かなり高齢化した隠れキリシタンの家々の悩みは「きちんとした医療施設のある場所へ移ったほうが安全だが、墓が問題だ。永代供養のために改宗しなければならない」だったりする(父の親友の長兄談)
このあたりのことは、本気で調べると十数万字の長編になり得るので、あまり触れないけれども。
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#201809は次回が最終日 。福江島をうろうろしたり、自宅で椿油を作ったりする。