鰰澤 清恵(いなざわ きよえ)さん@陽だまりの湯【富山県高岡市】2023年5月22日
富山県の店舗に2週間ほどお手伝いに行ってきたのですが、そこでものすごいセラピストさんと出会ったので、これはスルー不可能と直感し、休みの日に施術を受けてきました。ボディケア60分コースです。
鰰澤さんは介護職の後、ラフィネ勤務を経て現店舗というキャリアの持ち主なのですが、その介護職時代に、誰でも、そして誰に対しても(それこそ要介護者にも)使える「整膚(せいふ)」というメソッドを駆使する師匠との出会いが、この業界に一歩踏み出すきっかけとなったようです。あ、ちなみに鰰澤さんの「鰰」という漢字は、秋田名物の「はたはた」と打つと、変換できます。すごく珍しい漢字ですよね。さっそく名前にも滲み出てしまう唯一無二感!
整膚について簡単に言うと、最近NHKの健康系の番組とかで取り上げられている「ファシア」と呼ばれる技術に近いな、と個人的には思いました。じゃその「ファシア」ってのはなんなのか。厳密には、皮膚と筋膜の間にある「脂肪と浅層筋」という身体の部位というか層のことらしい(説によっては筋膜以外の、あらゆる人体の膜、たとえば目の結膜とかも含む)んですが、メソッド的には、すげーざっくり言うと、「ひたすらつまむ」やり方のことです。
軽く、何度もつまむ。皮膚を。
それがファシアであり、ひいては整膚だと、ひとまずここではそういう前提で話を続けさせて下さい。
で、鰰澤さんはその整膚を駆使しつつ、さらには二刀流なのです!「左右それぞれ別部位攻め」。しかもよくよく見てみると、同時ではなく、交互、つまり、左手は首をつまんだら、次の一手は右手で腰を圧迫、みたいな感じ。時間差二刀流かつ、一方はつまんでもう一方は圧している。全世界のセラピストの皆さん、こんなの見たことあります? ぜひ富山に行って見てほしい。そして施術を受けてほしい!
受けてみた結果、開始15分で明らかに、自分の身体がみるみるほぐれていっているのを感じました。強い圧で攻められている感覚は全くないのに、です。むしろ軽く揺らされ揺らされ、筋肉の硬い結節点をそれであぶりだした後、ピンポイントで拇指圧迫を加えられると、いとも簡単にその結び目をほどかれる、といったイメージ。風呂敷が鮮やかに広がるような爽快感。笑っちゃうくらいハッキリとその変化に気づけるんです。ものの15分で。
体の緊張がほぐれる。その後で起こることは何か。何も考えなくなる。一緒に仕事をしている最中も鰰澤さんが「ノー思考」と何度も伝えてくれました。これは、自分(施術者)も相手(お客様)もです。雑念ゼロで、ただ「今」の感覚に集中する。誰でもできる整膚だからこそ、ノー思考でいられるわけです。ただし、何も考えないというのは、おざなりに、適当にやる、という意味ではない。自分の手のひらと、相手の皮膚表面の感覚に集中し、一致させ、研ぎ澄ます。それを分析・批評はせず、ただ、観察し、見極める。身体的にも、感情的にも。
……う~ん、ここまで書いてて思ったのですが、こういう言語化すること自体あまり意味がないのではないか、こういう分析こそが「鰰澤メソッド」から遠ざかる要因なのではないか、と不安になってきました(笑)。だけど、この時の感動を一度こうやって文章化しないと(それが正しかろうと間違っていようと)咀嚼できないタチなので、ひとまず書き切りますね。
部位にしぼると、足の小趾、ひざ回り、内・外果(両くるぶし)後面下部(腓骨筋支帯のあたりか)、足裏の土踏まず、頸部の頭半棘筋、を入念に攻めていたと思います。もちろんその時の僕の身体にとってその個所を重点的に攻める必要があったからで、別の人だとまたアプローチは違ってくるのでしょう。
いずれにしろ、伝わってくるのは「ひと打ちたりとも無駄にしない」「感覚を研ぎ澄まし、それに耳を傾ける」「考えない」「自分の手にゆだねる」というスタンスでした。
施術が終わった後、大げさでなく「憑き物が落ちたように」すべてが軽くなりました。「ノー思考(になれた)?」と問われたので、文字通り頭が真っ白だった僕は「ノー思考……」とつぶやき、うなづきました。このために富山まで来たのか、とガチで思ったな。実際、それから5日後の5月27日の昼、仕事中に、小学生以来とらわれ続けてきたネガティブなビリーフ(思い込み)に突然気づき、それを解放することができました。これは鰰澤さんの施術がきっかけだったなと確信しています(が、これはまた長くなるので別の機会に)。
改めて自分の施術を振り返ると、ずいぶんと型にハマったルーティンワークにしちゃってたなあとか、あまりに圧迫至上主義だったなあとか、色々迷いは生じますが、これもすべてスクラップ&ビルドの過程と信じ、また一からやっていきたいと思います。
鰰澤さん、本当にありがとうございました!