【小説】ステルス・ミッション 08

 私は絶対に屈したくなかった。その一心で燃えていた。根がからきじなのだ。親や先生に「チクる」のは、屈する行為に属してしまうから、選択肢になるわけがなかった。松橋先輩のことは私の方こそ完全に無視していた。私の中では、まるで存在していない人物となった。私は彼を綺麗サッパリと殺した。想像の中で。想像の中ではあったが、私の中ではリアルな出来事だった。怒りと悔しさと理不尽さに対するパニックをすべて、想像上の殺意に変えたのだ。あまりに強くそう思い込んでいたせいで、時々ぼーっとしていた時に彼の姿が目に映ると、あれ、変だな、あんな人いたかなと思ってしまって、あ、あっちが現実なんだっけか、と思えるくらいにまでなった。そうしている内に、1年生の中で親しかった部員たちが、本来の部活動を抜けて、私と一緒に練習するようになった。その数は少しずつ増えていき、やがて1年生の大半と少数の2年生も加わるようになり、陸上部は真っ二つに割れた。その頃には松橋先輩もかなり求心力を失っていた。

 初雪を記録した11月頭に、事件は起きた。
 音楽室から戻ってきて、次の体育に備えて着替えようと体操着袋を開けると、私の赤ジャージがズタボロに切り裂かれていた。おそらくはハサミとかの刃物で、上下とも乱暴に、派手に、特に腕や脚の部分が切り刻まれ、いくつもの断片になっていた。でも背中の部分だけは比較的、無傷のままだった。私はそれを広げてみた。黒色の最も太い油性ペンで《クソ女!》と書かれてあった。力強い筆跡。シンプルな悪意に満ち満ちていた。字を見てすぐ、誰が書いたのか分かった。松橋先輩に間違いなかった。なぜなら「女」という文字に特徴があったからだ。右側の「ノ」が上の「一」の傍線を、大きく突き破っている。私は以前、部活の記録ノートに松橋先輩が「女子」という文字を書いているのを見たことがあって、その時も全く同じように「ノ」が突き出ていたから、これは漢字テストだとバツになるレベルなんじゃないかと心配になった記憶があるのだ。きがなそうな先輩に、あえて指摘はしなかったけど。

 教室にいた女子生徒が悲鳴を上げたり、先生に言いに行こうと友人に促されるのを断り、さらに「余計なこと言わないでね、絶対に」と念を押した後、私はジャージを教室の隅のゴミ箱に持っていき、そのまま捨てた。
 その日の体育の授業は具合が悪いという理由で保健室で過ごした。部活も休んだ。

 翌日、予備のジャージを体操着袋に入れ直し、しばらくは体育以外の移動教室の時はもちろん、トイレでも昼休みでも肌身離さず過ごした。そして部活には参加した。松橋先輩がどんな顔で私を見たかは覚えていない。そもそも存在してないし。
 でも、私もいい加減、限界が来ていた。
 夜中に、何度も悪夢で目が覚めた。
 人を包丁でめった刺しにして、殺す夢だ。ものすごい怒りをまき散らし、泣きわめきながら。刃先が、相手の肋骨の間に綺麗に深く刺し込まれ、あまりの苦痛に叫び声を上げると、得も言われぬ甘美な手ごたえがあった。胸がスッとした。あずましい。そうとしか言えない気分だった。目覚めてもまだ、鮮やかに手に感触が残っていた。そして自分の両目から涙が伝っていた。両親が「どうしたの?」と起こしに来た。なんかうだでこと、叫んでたけど、と言われた。そういう日が続いた。日中の間は耐えられた。でも、眠っている間の自分は、制御できなかった。

 事件からちょうど1週間経った、昼休みのことだ。教室にいた私に、他クラスの部活仲間が慌てて駆け寄ってきた。息せき切って「ちょっと来て!」と急き立てられるままに手を引かれ、私は体育館に連れ出された。いつものように、体操着袋を持って。

 そこに、いた。
 クラスメイトの桃川修也が。

 それまで、ほとんど喋ったことのない、頭はいいけど同じくらい頭がおかしいというイメージの彼が、仲間内でバスケットボールに興じていた。身に着けていたのは、つぎはぎだらけの3色カラーのジャージ。ベースとなる赤いジャージに、右腕や左脚は学年が違う1年生用の青ジャージ、そして左腕と右脚とくりぬかれた股の部分は3年生用の緑ジャージで補強されていた。しかも縫製する糸は挽き肉みたいなサーモンピンクの太い毛糸で、ただでさえ強烈なファッションをさらに奇抜な恰好に仕上げていた。

 そして私は見た。


*あずましい:心地よい。気持ちいい。落ち着く。

*うだで:グロい。気持ち悪い。気味が悪い。

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