見出し画像

「いい大人になるのだ!」

という人がいる。屈託のない人。まっすぐ。

考え方と習慣は3ヶ月あれば変えられると嫌味なく、すっきりと言い放つ人。


目標のために鍛錬をつみ、その才を遺憾無く発揮する。


(自分自身が理系学部卒だから、研究職で生計を立て生きていくことができる凄さが心にしみる。そんな贔屓目もあるかもしれんけど)

フィールドワークで全国をひゅんひゅんと飛び回るその人は、新しく習慣を思い立ったらしく、ふと連絡してきた。

自分が研究にて赴いた土地の地酒をコレクションして、手土産にしたり、眺めて楽しむとのこと。

ふ〜〜〜〜ん、いいじゃん!?最高じゃん!?

返事を済ませ、風呂上がり、ベッドへうつ伏せにダイブ。返事が来ていた。なになに。……。

そして冒頭、タイトル回収である。



いい大人、なあ。
非常に曖昧な言葉ではあるんだけど、以前何度かご飯に行った時に話した内容で、ゴール地点である その人にとってのいい大人、はとてもわかる。わかる気分になってるかもしれんが、わかる。


仕事で頑張り、恩師の教えと自分のノウハウに準じて成果を出し、美味しいものを食べ、折に自然に触れ、三大欲求をのびのびとみたし、余裕と豊かさを握りしめて次のステージをひたむきに見上げる大人。わかるよ。わかる。わかる…

彼のように、名前としてあげられる恩師は、私はたぶんいない。



この時代の私にはこの人の一部分が必要だった。そんなカケラを拾い集めて生きていた。


私が転職を繰り返し西から東へ飛び回ることになったのは大阪で出会った人のちょっとした一言で。水よりも安いビールを飲んでみたいとドイツに執着するようになったのは、四条河原町の飲み会で喋った人の呟きで。明日死ぬとしたら今日の私はどうかな、って考えるようになったのは、息を引き取るのを帰宅する最後の1秒まで待っててくれた母親の在り方で。

西にいた時でも、その時その時の私に必要だったかけらが沢山あるなあ。一度取り込むと当たり前になってしまうから、意識しなくなっちゃう。

恩師がいて、「いい大人」をより具体的に定義できているその人の事も本当に羨ましい。いつかしっかりとキラキラと明るい展望を屈託なく話す顔を見て、自分の言葉で対話できるようになりたい。


今日も一生懸命生きているであろう、私の愛しいかけらの皆々様。もう一度ふとしたご縁で巡り会えた時、あなた達にいいね、面白いね!ってちょっと笑ってもらえるような。

私今これを選んでます!ってにこにこしながら死ねる、そういう選択肢を歩いて行くしかねえんだな〜〜〜と思いました。


今は目下7月に海外に向かうため、今の自分にできる一番効率のいい方法でお金を貯めるべく、正社員にて現職場で働いてます。
もう少しお付き合いください〜。それでは!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?