自分次第。
なにも書くことを考えずにnoteをとりあえず開いてみた。
今なんとなく思いついたことを書いていきます。
誰の為に、何の為に表現活動をしているのか。
ずっと悩んできた議題。誰かの為にと言い聞かせてきたのかもしれない。
誰の為でもなく自分の為なんだと最近気がついた。いや、気がついていたのだけど、気がつかないフリをしていたのかもしれない。
自分の為が、他人の為にもなっていることが理想的。
自分が幸せでなければ、他人も幸せにできない。
自分の為にやってるくせに、他人の為だと思ってやってきたのだから、不健康なやり方だったに違いない。限界はくる。
ある程度ワガママでないと、付き合ってくれている仲間たちに失礼なんだと知った。
低姿勢で他人の為にやっている風に装うことは、ある意味タチの悪い暴力なのかもしれない。そんな気はなくとも、低姿勢でいることにより他人を加害者のような気持ちにさせてしまう時があるからだ。
他人に嫌われることを恐れすぎて壁をはり、違和感を与えてしまってきたのかも。完璧にできればいいが、僕の根本は雑な人間なので完全に相手に不快感を与えないように振る舞うことができない。なのに、完全を目指して振る舞うせいで期待させてしまい、失望させてしまう。
大切なのは等身大の自分でいること。他人の目は気にしない。そんな自分について来てくれる人だけがいればいい。
諦めではない。自分を理解して無理をしなければ他人に不快な思いもさせずにすむということ。無理をしないというのは、全てにおいてではない。もちろんある意味では無理はしていく。これからだって成長したいから。限界は突破していきたい。闘いはする。でも無理しないほうがいいところはしない。ちゃんとコントロールする。
今回なにが言いたいかというと、これからもワガママに表現活動たくさんしていくよという話。これからだって、たくさんの方を不快に思わせるかもしれないし、怒らせるかもしれない。でも、逆にたくさんの人を幸せにもするし、笑顔にもすると思う。だから、自分軸で。面白いものを作る。面白いことをしていれば誰かしらついてきてくれるものだ。その都度、反省し前に進んでいればなにかしら上手くいくだろ。
こういうこと書いてると、自分にとっての成功ってのは何なんだろうという話にもなってくる。そのことは次回にでも書こうかな。
こうやって寝る前に、なにも書くことを決めずに思いついたことをつらつら書くのも良いね。自分の心の整理になる。
おやすみなさい。
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