寝れなかったから。
どうも。クレオパトラの長谷川優貴です。クレオパトラというお笑いコンビでネタをしたり、エンニュイという劇団を主宰したりしています。
久々にnoteを更新。
日記でもなく雑記。雑に記す。
最近考えたことをつらつらとランダムに。
忘れないように日々記したい。忘れないことなんてあるのだろうか。昨日の自分は今日いないし、明日には今日の自分もいない。今、現在、目の前に在るものをなにも考えずに楽しみたい。後先などという幻想より、目の前の現実を。
人生に焦ってどうする。全て意味なんてないのに、無理に意味をつけるからそうなる。意味をつけるという行為が無意味。
原因は感情で誘導できるから、人は理由や理論を欲するのだと知った。
感情さえも自分のものではない。感情に支配されないようにしよう。
意味も意義も目的もない、ただ「あること」や「いること」を楽しみたい。合理的だとか効率的だとかよくわからない。無駄や余白から生まれる現象にしか興味はない。
自分の「生きるリズム」を大切に。
ガンジャンセウという韓国の海老の醤油漬けが気になっている。食べてみたい。ケジャンが好きなのだが、海老バージョンがあるとは知らなかった。食べたい。
幸せには退屈という一面がある。これと同じく、面白い作品には退屈なシーンがある。
日々を生きていく中、様々なことが起きるけど、目の前の生活を大切にしてほしい。全ては繋がっていて、悲しい顔をしていればそれが伝染する。だから、世界をしっかり見つつ、目の前の大切なことを忘れないで。笑顔でいれば笑顔は伝染する。自分にはできることが何もないとか言って無力感を感じることはない。周りの人を笑顔にしたり、自分を笑顔にしたりしているだけでも充分だよ。
すべての動植物、細胞や細菌にまで存在する生物の共通項、それは「主体的な認識」なんだそう。生物は全て、外界と自分を別のものだと認識して、自分自身を維持していくだけの感覚などを備えているらしい。
知らぬ間に戦争になっていた。
当たり前だが、戦争は反対だ。当たり前なのか? 当たり前だったんじゃないのか? 無知な僕にはわからない。でも、どんな理由があろうと僕は戦争反対だ。
人々の尊い命と平和な暮らしを奪う軍事侵攻はやめてほしい。平和的解決と1日も早く平和な日常が戻ることを切に願う。
なぜ人類は悲劇を繰り返してしまうのか。
人の命は国よりも金よりもなによりも尊い。
正義や大義なんていうのは記号でしかない。本当に大切にしなければならないのはもっと多角的で立体的な視点だ。
個人の身に起きることも、小さな共同体で起きることも、
国同士で起きることも似たようなもの。個人と世界を行き来する感覚を持っていたい。Googleストリートビューから直ぐにGoogleアースに切り変わる様な感覚。そして、それらは断片的ではなく、しっかりと地続きになっていて、自分の身の回りにも干渉してくるということを忘れないように。逆に、僕の行動だって世界に干渉しているはずだ。自分は無力だなんて思わない。これからも、個人の身に起きること、身近な共同体のことを演劇にする。その演劇を観て身の周りの視点が代わり優しさや労りのある想像力のある人が増えれば、きっと微々たるものでも世界は変わると信じている。
どれだけ考えようが、悲惨な映像を目の当たりにしようが、僕は戦争を体験していない。だから、想像するしかない。そんな歯痒さを具現化したような作品を今作っている。
最近、演劇が楽しい。演劇が難しくて他のことをやっている暇がなくなってきた。演劇をメインで全力でやる決心が去年末についた。そう思わせてくれる若者達に出会ったからかもしれない。なに老人みたいなこと言ってんだ。
朝日がさしてきた。
夕陽だと言えば夕方にも思える。
この雑記に意味なんてない。ただ思いついたことを書いただけ。書き直しもしないし、読み直しもしない。明日になれば言ってることも考えてることも変わる。
おはよう。おやすみ。
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