1993年有馬記念 奇跡とは一体何なのか

天才はいる。悔しいが。

2011年JRAが製作したCMの日本ダービーでトウカイテイオーに充てられたフレーズである。
「天才はいる」というのは分かるが「悔しい」という表現は実に興味深い。
野球でいえば昔ならイチロー、今なら大谷翔平のように天才のトップアスリートというのは普通なら尊敬や憧れの印象を抱く表現を使うであろう。
にもかかわらずトウカイテイオーには「悔しい」という表現を使っている。
それはトウカイテイオーの持つ才能は尊敬とか憧れを通り越して「なんて奴だ」みたいな嫉妬が競馬関係者にあったのではと推測する。
事実デビューしてから全く危なげのない競馬でダービーまで6連勝している。
日本ダービーを制覇するべく関係者は日々トレーニングや食事を考えて馬を鍛えているというのに、最早努力ではどうすることもできない才能をまざまざと見せられてしまっては「悔しい」以外の心情しかないであろう(勿論テイオー側も同じように努力はしているが)関係者の思いを代弁しているのだろうか。

そんな彼にも試練の時が訪れる。
ダービーを制覇した直後、左後脚の左第3足根骨を骨折、全治6ヵ月となり無敗三冠の夢が絶たれる事となる。
ならば古馬路線を蹂躙せんと天皇賞春で最強ステイヤー・メジロマックイーンに挑戦状を叩きつけるも返り討ちに遭い5着、またも骨折してしまう。
復帰後、天皇賞秋は調整不足で敗れてしまうがジャパンカップは父シンボリルドルフ以来となる日本馬での制覇を果たし、天才ここにありを示した。
しかしながら有馬記念はレース中に筋肉痛を発症して11着と大敗。その後の調整も上手くいかず、またも骨折をしてしまい復帰したのは前年の有馬記念から数えて363日後の翌年の有馬記念ということになってしまった。


奇跡その①スタート直後の攻防

レースが始まると大外からメジロパーマーがダッシュよく逃げの手を打ち、前にはビワハヤヒデ、レガシーワールドの人気馬が先行策を取り、トウカイテイオーはスタート直後こそ先行したが少しずつ控えて行き、その近くにはウイニングチケット、ライスシャワーやナイスネイチャ、ベガ、セキテイリュウオーが陣取る展開となった。

最初にトウカイテイオーが恵まれたのがスタート直後である。
抜群のスタートこそ切ったものの逃げ馬にメジロパーマー、先行にビワハヤヒデがいる展開はレース前から誰でも考えうる展開。ならば最初の位置取りはビワハヤヒデをマークしつつ前過ぎないポジションを取りたいのだ。後ろ過ぎては馬群を捌くリスクも高いし何より届かない可能性が高いからだ。
だが速過ぎるスタートは逆に諸刃の刃になりかねない。下げたくても後ろに馬がいたら下げられないからである。変に減速して後ろの馬への妨害が認められてしまっては元も子もない。
今回トウカイテイオーが恵まれたのは右隣側の馬(エルカーサリバー、セキテイリュウオー、ベガ)と、左隣のウイッシュドリームらが2000m以下の実績中心で長い有馬記念の序盤は抑える作戦またはパーマーのペースに付いて行く気も無かったからか全て控えたのだ。
これによって少しずつポジションを下げつつインコースに位置付けることが出来、最初の位置取りは上手くいった。
この調整が上手く行かなければ今後の道中の立ち回りに大きなロスが生じた。
奇跡その①である。

スタート直後 前後がフリーの状況

1993年有馬記念のペース・王者ビワハヤヒデ

最初の500mのラップは7.0-11.2-11.9で進み30.1秒の速いペースで進んだ。
基本的に有馬記念の最初の500mのラップを感覚で言うならば31秒以上はスロー、30.5~30.9が平均、30.0~30.4がハイペース、29秒台に突入すれば超ハイペースと考えてよい。

超ハイペースに準ずる30.1秒というペースでありながら、前年の逃げ切りは許さないと言わんばかりにメジロパーマーから後続の隊列は大きく離されずマークする形となった。
この場合有利なのは差し馬勢である。
ハイペース計算の1コーナーを5番手以内で過去に勝ったのはゼンノロブロイ、ハーツクライ、ダイワスカーレット、サトノダイヤモンド、キタサンブラックの5頭。
全頭GⅠを複数回勝っており、実力馬しかいないのが見て取れる。
それだけにトウカイテイオーが好スタートから控えて体力を温存できたのは作戦勝ちであろう。

しかし、こんなハイペースでも先行ながら理想的な位置を取った馬がいる。
ビワハヤヒデである。

皐月賞、ダービーと共に2着に敗れたビワハヤヒデは、夏場の栗東トレセンの坂路トレーニングで秋には圧倒的なスタミナと持久力を兼ね備えた全くの別馬に変貌し、以降のビワハヤヒデの競馬は一つのパターンが完成された。
それは「3コーナー~4コーナーで徐々に加速して直線入り口には先頭に立ち、そのまま逃げ切ってしまう」戦法である。

神戸新聞杯 12.1 - 11.9 - 11.8 - 11.7 - 11.7
菊花賞   12.4 - 12.0 - 11.5 - 11.5 - 11.6
翌京都記念 12.4 - 11.7 - 11.8 - 12.5 - 12.7
翌天皇賞春 12.6 - 12.1 - 12.5 - 11.9 - 12.3
翌宝塚記念 12.3 - 12.1 - 11.6 - 11.6 - 11.8

復帰後の神戸新聞杯、菊花賞をいずれも残り3ハロンから11秒後半のラップを刻んで突き放し、翌年の京都記念・天皇賞春も馬場が悪いながら残り4ハロン~3ハロンでペースアップし、宝塚記念は残り3ハロン以降を11秒後半で締めて圧勝。
ビワハヤヒデより前はスタミナを温存しようにも向こうから仕掛けて来る上、このラップで逃げ切るのは至難の業、ならば後方から仕掛けようとスタミナを温存し過ぎては上り3ハロンのタイムでは勝っても差し切れないと先行馬の理想とも言える競馬をビワハヤヒデはマスターしてしまった。
この競馬に勝つには正攻法ではビワハヤヒデの真後ろから刻んだラップを上回るタイムで勝つか、残り1000mからディープインパクトばりの圧倒的なスピードと持久力で捲って逃げ切るかのいずれかしかないだろう。

奇跡その②枠順の有利不利

話を有馬記念に戻すと最初の500mから進んで700m、900mとそれぞれ11.4、11.7とやはり速いペースが刻まれる中で、ビワハヤヒデは少し離れた3.4番手をキープし続けた。
トウカイテイオーもビワハヤヒデを射程に入れつつ中段に、その外にウイニングチケットが並ぶ展開となったところで先頭のメジロパーマーがペースを落とし始める。
スタートから1100m地点で12.4、1300m地点で13.3とかなり息が入るようになった。
メジロパーマーとてペースを落とさずに逃げ切るのは不可能。本当は最初のラップでもっと後続との差が開ければ早い地点でペースを落として息を入れるなんてことが出来たのだが、今回のレースはそうはさせんと先行勢が付いて行き中々ペースダウンする事が出来なかった。
このペースをなるべくコーナーギリギリまで維持して体力を温存したいところであるのだが、後続に楽をさせすぎては今回のリードでは逃げ切るのは難しい。ここから一転してメジロパーマーのペースが上がり始める。

1300mから1500及び残り1000m地点。先頭のメジロパーマーは先程の13.3から12.4とペースアップし始める。
先行勢もぴったりと付いて行く中でビワハヤヒデはまだ仕掛けない。
ここは駆け引きの一種である。今までのビワハヤヒデとしたらそろそろ仕掛ける頃合だが今回のレースはハイペース。ギリギリまで仕掛けを待ってからゴーサインを出したいところである。
対する後続もビワハヤヒデの仕掛けを待ちつつポジショニングの調整の攻防が繰り広げられた。
ウイニングチケットはビワハヤヒデの左後ろのポジションに付けるが掛かり気味、その後ろにライスシャワーとトウカイテイオーが少しずつであるがポジションを前に調節する。

残り1000m手前 ビワハヤヒデの後ろ約1馬身半の位置をキープしている


本当に細かい調整、この調整が無ければ最後に影響したかもしれない。
そうしていく内に残り800m。遂にビワハヤヒデが仕掛け始めて周りも呼応してペースアップし出すが、この時先行策を取ったホワイトストーンは脱落、レガシーワールドも中々ペースに付いて行けずに少しずつ遅れだし始める。

残り1000mから800m、600m、400mと3ハロンに掛けてメジロパーマーのペースは上がりきらずとも止まらない。その間のラップは実に12.1 - 12.2 - 12.0。
前半のハイペースを演出した中でこのラップをキープ出来るのは驚異的である。メジロパーマーとてまぐれで逃げ切った訳では無い。だがビワハヤヒデのペースアップは止まらず直線入口手前でメジロパーマーを捉える。
この間にビワハヤヒデ付近の先行勢は完全に脱落し、残るは道中控えて体力を温存した差し馬勢が接近してくる。
中でもビワハヤヒデの仕掛けに道中付いて来られたのはトウカイテイオーとウイニングチケットの2頭。
しかしこの2頭には明確な差が一つあった。枠の利である。
トウカイテイオーは3枠4番、ウイニングチケットは6枠11番とウイニングチケットの方がより外を回らされていた。中山2500mのレースは内枠有利、外枠不利とされているが何が一番不利かというとスタート直後の位置の差である。

2023年有馬記念パトロールビデオより 

スタートして直後にコーナーがある形状の都合上、内枠はそのままコーナーに突入出来るが外枠の馬は前に行こうにも内の馬がいる為インに切り込めず外を回らされてしまう。
しかし控えようとすると前との距離が離されてしまい最後の差にそのまま繋がってしまう。
ビワハヤヒデも13番からの発走であったがスタートの上手さと内の馬達の多くが控えたことでスムーズにインを取ることが出来たのでロスは最小限にすることが出来ている。

極力インを回ったトウカイテイオーと外を回り続けたウイニングチケット。その上完璧に折り合ったトウカイテイオーと道中掛かり通したウイニングチケットとの差は直線入り口で手応えが明確に分かれ、ウイニングチケットは完全に脱落した。
3枠4番という良い枠を引いたことで体力を温存する事が出来たトウカイテイオー。これがもし外目からの発走であったらスタートでの立ち回りも含めて復活は絶対に不可能であったと断言できる。
これが奇跡その②である。

最終直線 強い馬の後ろはベストポジション

「強い馬の後ろはベストポジション」
某界隈の競馬ブログを見ている読者はこの言葉にピンとくるだろう。
理由を簡単に話すと強い馬というのは要するに「目標」「的」である。今回のビワハヤヒデの様な馬が非常に良い例で、先行馬のビワハヤヒデが仕掛けに入ればその真後ろは自然と誘導の目標となる。競輪の誘導車やF1のセーフティーカーをイメージしていただければその感覚が分かるであろうか。その後ろに付いて行けば道案内をしてくれて且つペース感覚を教えてくれる様な有難い存在である。

ただ誘導車ことビワハヤヒデの問題が1つある。誘導車が速過ぎるのである。
競輪やF1の誘導車は自然とレースからいなくなってくれるが、ビワハヤヒデはレース途中から突然ペースを上げ始め、そのままゴールまで圧倒的な持久力で逃げ切ってしまうのである。
この誘導車に勝つには圧倒的な実力を除いてただ一つ。「誘導車に付いて行って最後の最後に速度を上回ってゴール前までに差し切る」である。
ただそれを実行するには言うならばビワハヤヒデと同等以上の実力がなければ到底出来ない問題だ。しかしそれを可能にする馬がいた。天才ことトウカイテイオーである。

3コーナーからのビワハヤヒデのペースアップに付いて行ったトウカイテイオー。その進路は誘導車ことビワハヤヒデの真後ろを綺麗に通って行っているのが映像でも分かる。

4コーナー出口付近
直線入り口


これがパトロールビデオでも残っていればより分かりやすく伝えられたのだが仕方ない。
直線に入ったら後は簡単。外に出してビワハヤヒデを交わすだけである。

だがこれが簡単に出来るのであればどれほど楽なものか。先頭のビワハヤヒデは最後のダメ押しと言わんばかりに残り400mから200m地点の200mを11.5秒で駆け抜ける。
あれだけ12.0付近のラップを刻んでおいてまだ11.5を出せるのか。恐ろしい以外のコメントがない。最後にこんなラップが出てくるのは普通に考えて差しは届かない。
だが天才トウカイテイオーは付いて行った。ラスト200m、遂に体力の限界が近づいてペースが落ちたビワハヤヒデにトウカイテイオーが襲い掛かる。
1完歩、また1完歩と少しずつ近付くトウカイテイオー。残り50m付近でトウカイテイオーは先頭に躍り出た。
流石のビワハヤヒデもここから逆転する脚は残っていない。ラスト200mを11.8。
合計2分30秒9に渡る熱戦はトウカイテイオーに軍配が上がった。

レース結果 JRA公式より

奇跡その③勝ちパターンの王者を差し切った事

勝ちタイム2分30秒9は歴代の有馬記念で見ても2023年ドウデュースと並んで6位タイに相当する優秀な時計である。
これより速いのは以下の通り。

1991年 ダイユウサク 2.30.6
2003年 シンボリクリスエス 2.30.5
2004年 ゼンノロブロイ 2.29.6
2009年 ドリームジャーニー 2.30.0
2019年 リスグラシュー 2.30.5

2着のビワハヤヒデのタイム2.31.0も当然優秀も優秀。例年の有馬記念なら普通に勝てるレベルであり、3着のナイスネイチャに3.1/2馬身も差を付けている。普通ならビワハヤヒデの圧勝劇として語り継がれるはずである。

オークス後に秋華賞を直行で勝ったデアリングタクトにリバティアイランド。ダービー後の天皇賞秋を直行で勝ったエフフォーリア、イクイノックス。
現代競馬は1戦必勝の如く仕上げ、上記のように半年近く休んでからでも勝つことは珍しくなくなってきた。
だが今より技術が発達する前で1年休んで例年よりもタフな競馬となった有馬記念を勝つというのは奇跡以外の何物でもないのだろうか。

そんなトウカイテイオーの奇跡を奇跡たらしめているのは完璧な競馬を実行したビワハヤヒデを差し切ったからだ。
事実秋から覚醒して翌年の天皇賞秋で怪我する前までのビワハヤヒデが後ろから差し切られたのはトウカイテイオーただ1頭なのである。
これがそんなに強くもない相手に1年振りに勝ったところで評価は高いと言えないが、あの時点のビワハヤヒデは歴代の3歳馬の中でも最上位付近に位置する名馬であったからこそ1年振りの勝利に拍が付くと言って良い。
3歳で有馬記念を制した馬は数多くいるが最速は2.31.9のゴールドシップなのである。それよりも0.9秒も速いのだ。それもゴールドシップより19年前の当時の馬場で。
これこそが奇跡その③だ。

※余談
負けた中での3歳最速は2009年のブエナビスタの2.30.1である。
他にも2004年の有馬も何頭か2.30秒代で走っているが異常なハイペース且つ高速馬場という事と勝ち負けには絡んでないのでノータッチとする。

1993年の有馬記念は「①スタートしてからの細かな位置調整」「②有利な枠」「③強い相手に1年振りのブランクで差し切る能力」の奇跡が要因となってトウカイテイオーが優勝を果たした。
今後同条件の馬が有馬記念に出走したとして、①、②の奇跡はともかく③の奇跡を実行できる馬がいるのであろうか。
筆者は1年振り以上の間隔でGⅠを勝つ馬は今後現れるとは思う。
だが③の様に強い馬が強い競馬をしたレース内容を上回って勝つということが果たしてあるのだろうか。相手が調整ミスしたり騎乗ミスしたりして実力を出し切れなかったのに勝ってもトウカイテイオーの如く奇跡の復活とは筆者は思わない。
ビワハヤヒデの様に実力をフルに発揮して完璧な騎乗をした相手に勝ってこそ奇跡と初めて言うのではないか。

天才はいる。悔しいが。
もしかしてこのセリフの発言者はビワハヤヒデなのではないだろうか。

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