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歩くあるく:みちのく潮風トレイル日記・ 第7日(2021年8月16日、ようやく名取トレイルセンターに。逢隈駅ー名取トレイルセンター96.62km)

トレイル完歩という新たな目標

 梅雨に逆戻りしたような雨が数日続く中、天気予報で本日8月16日は降水確率が10〜20%程度であることを確認。思い切って出発する。幸い雨には降られなかった。

 松川浦を出発して、ようやく7日目にして、名取トレイルセンターまでたどり着いた。名取トレイルセンターに到着したのは17時20分。既に閉館していたが、あらかじめ電話を入れていたこともあって、スタッフの西澤さんが親切に対応してくださった。

 板橋さんの話では、松川浦から4日間でトレイルセンターに到着する人は珍しくないそうだが、よほど体力自慢の猛者だろう。筆者のような初心者は7日かかった。既述のように、鹿狼山、深山、四方山のような山道が時間がかかった。

 ともあれ公式Map Book のNo.10、1冊目が完了。八戸までの1000kmの約10分の1が終わったことになる。この6月10日に、板橋さんから「みちのく潮風トレイル」の存在を教えてもらうまで、このトレイルセンターの所在も、そもそもトレッキングやトレイルという概念も身近なものでは知なかった。

 66歳の人生の一大転換だ。のべ約70日、3年がかりになりそうだが、人生の新たな目標だ。運動不足の解消にもなるし、日々のストレッチにも力が入る。

 幸い翌日の筋肉痛もそれほどではない。

【今日歩いた距離】——人生でもっともたくさん歩いた日

 曇り空で涼しく平坦なコースだったから、ルート上では25.82km進めた。7日間でもっとも多い。万歩計上では、自宅を出発して戻るまで、1日で計7時間22分、33.6km、,41954歩あるいている。1時間平均で4.02km。コンスタントに毎時4kmの目標を達成できたことはうれしい。目標の逢隈駅から名取トレイルセンターまでの歩いた距離は、万歩計上では30.09km、7時間23分、37558歩だった。阿武隈川沿いの8.45kmをはじめ、わが人生でもっともたくさん歩いた日だ。

阿武隈川を渡る

 7時44分常磐線逢隈(おおくま)駅に到着。逢隈川は阿武隈川の古い呼び方であり、隈は川が蛇行する場所を指す。柴田町から亘理町・河口にかけても、阿武隈川はS字を3回書くように大きく蛇行している。栃木県との県境付近に発し、福島県の須賀川市・郡山市・福島市など中通りを北上し、岩沼市と亘理町にはさまれて太平洋に注ぐ。

 常磐線沿線は震災以降は自動車で来るばかりで、10年間常磐線に乗ったことがなかった。みちのくトレイルを始めてからは今日で7往復目だ。いつも仙台駅7時18分発の常磐線に乗っている。

 準備運動をして7時55分、歩き始める。電車からよく見えるセキスイハイムの工場がある。左手の大森山で、阿武隈山地が終わる。阿武隈川以北には仙台平野が拡がる。

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 川に出て、説明板横の階段(ややわかりにくい)を少し降りると4体の田沢磨崖仏がある。やや不気味。昔はここから渡しが出ていたと説明板に記されている。

 この磨崖仏付近から、阿武隈川の土手を歩き始める。河口から11kmの地点という標識が出ている。連日の雨で、阿武隈川は流量も多く濁っている。サイクリングの人、ジョギングの人、犬を散歩させている人などがちらほら。対岸には、日本製紙の工場が見える。阿武隈大堰はなかなか迫力があるが、堰内は保安上の理由で全面的に立入禁止だ。

 阿武隈橋の手前で、ランニングで軽快に追い越していった人が一休みしていたから、何kmぐらい走るのかと尋ねたら、夫婦で町内を10km走るとの返事。すごいな。 

 橋の手前に、逢隈駅5.3km、仙台空港14.5kmというトレイルの標識。距離が入っているのはうれしい。橋の中間に、亘理町と岩沼市の境界がある。橋を渡り終えると、標識は逢隈駅5.9km、仙台空港13.9kmに代わっている。歩き始めて約2時間弱、快調だ。阿武隈川を渡って、岩沼市に入ると、はるけくも岩沼まで来たかという感動がある。橋の上からは、仙台市内の大年寺山のテレビ塔・八木山の東北放送のテレビ塔などが見える。ここから始まる仙台平野の拡がりを実感する。

 近くのヨークベニマルでトイレ休憩後、今度は河口に向かって川の左側、岩沼側の土手を歩く。

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 写真上は、阿武隈大橋付近から見た深山(左)、四方山(右)。この稜線を歩いてきたんだと思うと感慨深い。

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千年希望の丘

 河口まで4kmという地点で土手を降り、千年希望の丘(第12号丘(写真下))でおにぎりを食べ、昼食休憩する。途中、貞山堀(写真上)を渡る折に、2組の家族連れが釣りをしていた。5・6歳ぐらいの息子を連れたお父さんに「何を釣ってるんですか」と尋ねると、「天然うなぎ」と、わんぱく少年がそのまま大人になったような日焼け顔で、愉快そうに答えてくれた。この数日の雨で川は濁っているが、うなぎは夜行性のため、濁っている方が動きが活発で好都合とのこと。釣り餌はミミズ。はたして、天然うなぎは無事釣れただろうか。

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 千年希望の丘は旧盆のためもあってか、どこも草を刈ったばかりできれいだ。岩沼市内だけで、14基ある。土台には震災がれきを用いている。海側から順に防潮堤、千年希望の丘、貞山堀の護岸、かさ上げ道路で4重に守る仕組みだ。https://sennen-kibouno-oka.com/about/

津波に耐えた大いちょう

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 岩沼市内の被災地の中でもとくに印象的なのは、高さ6mの津波に耐えて生き残った神明社の18mの大いちょうだ。樹齢約400年。周囲の長谷釜地区では全ての家屋が流出し、計37名が亡くなった。今は玉浦西地区などに移転し、住む人はなくなったが、今もなお旧長谷釜地区の住民にとってのシンボルがこの大いちょうだ。「この地を離れても大イチョウと共に生きていく決意をし、慰霊碑を建立するものである」という慰霊碑が建っている。

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 この時点で13時15分、名取トレイルセンターまで12.82km。4km1時間として最低3時間かかる。営業時間内の17時までに辿り着けるだろうか。トレイルセンターに電話をして、17時を過ぎる可能性を伝えた。

 残り12.82kmを必死で歩いた。時間との競争だ。14時30分、仙台空港が見えだした。岩沼海浜緑地などを通り、7時55分から約20km歩いて、仙台空港との接点に到着したのは15時45分。休憩も含んで、7時間50分。トレイルセンターまではあと6.61km。1時間半はかかりそうだ。

かつての空港周辺の賑わい

 空港に駐車してよく出張したから、仙台空港周辺には震災前は年に何度も来ていた。3月11日までの空港周辺の賑わいを知っているだけに、夏草が丈高く生い茂ったり、更地になっているのを見るのはとても辛い。旧盆なので、旧住民の方が何組か、昔の住まいの跡を訪ねてきているようだった。2号丘には、被災前と現在とを対比するパネルがあった。

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 名取市側には一軒だけ、取り壊していない家があった(冒頭の写真)。強烈な反骨の意志を感じさせる。

間に合った!

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 北釜ファームを過ぎて、下増田地区に入ると貞山堀の内陸側は津波被害を受けていないことがよくわかる。更地の続く北釜地区とのコントラストが哀切だ。トレイルセンターまで直線で2km、増田川の堤防の上を歩けば、すぐに届きそうだが、コースは下増田の青田の中を進ませる。被災しなかったところとのコントラストを体感せよという意図なのか。もう稲穂が垂れ始めている。既に16時40分、職員がいなくなる17時30分まであと50分しかないが、まだ3km近くもある。必死で歩く。

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 17時10分、市の斎場付近で、ようやくトレイルセンターの屋根が見え出した。17時20分過ぎ、何とかトレイルセンターに駆け込むことができた。

 西澤さんにねぎらいの言葉をかけていただき、17時28分、センター発のなとりん号という、市が民間に委託して運行している乗合バスに乗り込んだ。

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