歩くあるく:みちのく潮風トレイル日記・ 第4日(2021年7月22日、震災遺構中浜小学校など。新地駅方面接点ー山下駅方面接点48.74km)
津波被災地を歩く
8時40分、新地駅前をスタート。幸いにもこの日は一日曇り空。ただし、3日前に登った鹿狼山の頂上が雲に隠れて一日中見えなかったのは残念だ。
4日目のコースは、龍昌寺を経て、宮城県に入り、震災遺稿の中浜小学校を経て、常磐線の坂元駅から山下駅に至る15.68kmだ。坂元駅付近での約1時間半の昼食休憩を入れて、山下駅に到着したのが17時40分。9時間の津波被災地の旅であり、龍昌寺境内の慰霊碑を含めて、まさに巡礼の旅だった。
国道6号線よりも海側に足を踏み入れると、胸がドキドキする。
松川浦を出発して38.37kmの地点で、12時12分常磐線の下をくぐる。ここで、いよいよ宮城県に入った。素朴にうれしいが、宮城県に入るのに、3日半もかかった。福島県側は看板があるが、宮城県側にはまったく看板がない。
宮城県側に入って、道路の向こう側に中浜小の建物が遠くに見えだしたときは感動した。津波襲来前、周囲には400棟以上の民家があったようだが(『震災遺構中浜小学校ガイドブック』による)、今は1軒の民家もない。青田の中に、ぽつんと建っている。
中浜小を過ぎて800m北上したあたりで、松川浦のルート上で、マラソンの距離42.195kmを超す。マラソンの長さをあらためて実感した。
坂元駅から山下駅まで6号線を歩いていると、戸花川の付近で、震災の後に、山元町の避難所を訪れた記憶が蘇ってきた。
【本日歩いた距離】
自宅ー東北福祉大前駅、帰途の最寄りのバス停から自宅までを含んで一日の歩いた距離は計27.53km、7時間21分、34,369歩。3日前の第3日をややしのぐ。
龍昌寺
北上ルートの場合、遠望しても、虎嘯山龍昌寺はいかにも名刹という趣の曹洞宗の寺だ(南下ルートでは裏側から入ることになり、有難味が薄れるだろう)。開祖は伊達政宗の孫にあたる伊達右近。前回の「右近清水」の名の由来の方でもある。境内に墓がある。
胸を打つのは、津波で流出した釣師地区(県道相馬亘理線の海側、釣師浜漁港の周辺の地区、本トレイル第2日分の旧新地駅などの写真を参照)の墓102基や遺骨を集めた集合墓である。墓碑文と傷まみれの墓石が痛々しい。
境内にある日中戦争(昭和12年、1937年)以来の戦没者40名の慰霊碑の碑文(1987年建立)からも、新地町岡地区の従軍戦友会の方達の、戦死した友らへの深い情愛が感じられる。
神社と郵便局
まだ4日目だが、みちのく潮風トレイルを歩いていて感じるのは、社や神社の多さだ。今日のコースの前半だけでも、水神社、福田諏訪神社、八重垣神社、天神社などがある。また要所要所に郵便局がある。新地郵便局、福田郵便局、坂元郵便局、山元郵便局。神社と郵便局は、トレイルの格好のメルクマールだ。小学校とともに、神社と郵便局が伝統的なコミュニティのシンボルであり続けてきたのだ、と実感する。
一方、コンビ二や食堂は、新地駅の近く6号線沿いのセブンイレブンを除くと、坂元駅までの11km間に1軒もなかった。あじさい主婦の店を通ったのは、10時の開店前だった。坂元駅に隣接する「山元町農水産物直売所・やまもと夢いちごの郷」に隣接するフードコートでようやく昼食にありつけたのは、14時半頃だった。
震災遺構中浜小学校
中浜小学校では、2011年3月11日に大津波に襲われながらも、児童・教職員・保護者など90名が、校長の指示で屋根裏倉庫で一夜を過ごし全員が助かった。宮城県南にある唯一の震災遺構だ。2020年9月から一般「公開されているが、本年5月の落雷の影響で、私の訪れた7月22日は非公開だった。8月上旬から公開を再開するという(公開中か否かは下記を参照)。https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/soshiki/20/8051.html
管理棟で、詳細な『震災遺構中浜小学校ガイドブック』(200円、36頁)を販売している。とてもよく出来ている。
なぜ90名全員が助かったのか。1989年に新校舎を建設した際、1960年のチリ地震津波、63年、65年、68年の津波、68年、80年の高潮などの経験を踏まえ、地域住民の要望を受けて、①地盤を2mかさ上げしたこと、②住民が学校に逃げ込めるように外階段を3つ設置したことがある。③1978年の宮城県沖地震の前日にあたる6月11日に毎年避難訓練をしてきたこと、④震災2日前の地震発生を受けて、3月9日にも児童は校庭に避難をし、3月10日には校長・教頭・教務主任が避難マニュアルを再確認していたことなど、丁寧に詳細な検討を行っている(数年間避難訓練を怠ってきた石巻市立大川小学校とは全く異なる)。
昨年2020年に作られた震災復興ポスターには当時の在校生、PTA会長とともに、一番右側に当時の校長先生が写っている。この校長先生が90名の命を守った方だ。
https://www.fukkomiyagi.jp/wordpress/wp-content/uploads/2020/12/NOWIS_POSTER_B2-_yamamoto.pdf
やまもと夢いちごの郷
坂元駅の側に、「やまもと夢いちごの郷」という農水産物直売所がある。ここでようやく昼食にありつく。
地元産の果物を使ったジェラートがオススメ。「このゆびトマトスタンダート」というトマトジュースは300mlで880円といい値段だが、とても美味。いちじくのジャムとグラッセを自宅への土産にした。
坂元駅から山下方面駅接点までのルート4.74kmはなぜか国道6号線を通るが、大型ダンプなどが往き来し、騒音もひどく味気ない。田園地帯の真ん中を通る町道、常磐線海側のストロベリーラインを歩かせるべきだ、と提案したい。