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歩くあるく:みちのく潮風トレイル日記・ 第9日(2021年9月7日、浦戸諸島めぐり。本塩釜駅——あおみな145.47km)

 第9日9月7日は久しぶりの好天、塩竃市営汽船に乗って浦戸諸島の島めぐりコースをスタート。桂島から野々島、野々島から寒風沢(さぶさわ)島は塩竃市営の無料の渡船。寒風沢島から宮戸へは予約していた漁船で渡る。トレイルコースの仙台ー女川間には、計6つの島めぐりコースが入っている。混雑しがちな松島海岸を避けているのも、見識だ。先を急ぐな、途中をゆっくり楽しもう、見落とすなかれ、というメッセージを感じる。しかも、まさに潮風を体感する。

 芭蕉は塩釜から船で松島海岸に向かっている。島々の魅力の描写は、「おくのほそ道」の中でも白眉の名文だ。

 島は持続可能性を問いかけ、また地域の歴史と全体像を教えてくれる。

 写真は、松島四大観の一つ、大高森からの松島湾の島々。夕日が柔らかな黄金色に染めている。大高森観光ホテル泊。

【本日歩いた距離】——本塩釜駅から宮戸のあおみなまで、コース上では、19.42km(島と島の船での移動距離も含んでいる)。万歩計上では、大高森山頂までの往復を含んで、18.70km、6時間06分、23353歩。1時間あたり3.07km。

汽船で通学する子どもたち

 このトレイル開始以来、一番早起きし、最寄り駅5時43分発の電車に乗り、本塩釜駅に6時33分着、塩竃港7時15分発の汽船に乗船。ランドセル姿の小学生や鞄を背負った中学生が30人近く乗り込んでくる。あとで宮戸に渡してくれた船頭さんに聞いて、野々島にある浦戸小中学校に通う子どもたちとわかった。先生方もたくさんいらして、サポートしておられる。

 浦戸小中学校は全校の児童生徒44人(同校のサイトによる)。島で唯一の学校だ。学区外からの児童生徒の受け入れが認められており、今では、島外からの子どもたちの割合の方が高いという。同校のサイトを見ると、小中併設の島の小規模校の特色を活かし、演劇活動などに力を入れているようだ。

 浦戸諸島にある有人の島は4つ。そのうち3つ、桂島・野々島・寒風沢島がみちのく潮風トレイルに入っている。塩釜市のサイトによると、浦戸諸島の島の数は230という。

遠浅の松島湾

 松島湾は水深2mの遠浅の湾だ。カキの養殖がさかんだ。塩釜港付近にはノリの養殖場があった(写真下)。

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桂島

 すぐに桂島に着く。降りた客は少ない。桂島は震災後、環境団体MELON(みやぎ・環境とくらし・ネットワーク)の食部会のツアーで、カキ剥き作業などを見学するために、6年ほど前に来たことがある。さらに遡ると、小学校4・5年の頃に、最上町から潮干狩りに来たことがある。

 桂島は2017年度末で人口159人。4つの島の中でもっとも多い。

 準備運動をして8時から歩き出す。6年ほど前に比べると案内板などが新しくなり、下草も刈られたばかりだ。気持ちよく、歩きやすい。松崎神社に詣で、二度森展望台から駒島を見る(写真下・右)。

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 こちらは西の山展望台から見た大藻根島(左手)。真ん中少し奥が鐘島。その左奥が馬放島。のん気に軽快に歩く。観月崎(みづきざき)展望台からは仁王島が見える(写真下)。奥は七ヶ浜町。

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 この展望台を降りると海水浴場がひろがる。約50年前潮干狩りした浜だ。こちらは外洋。

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 これは鬼ヶ浜。ベンチに腰掛けて、ぼんやりしていたい。かつては菜の花畠だったという。ここの菜の花から仙台白菜の種を取った、と看板に説明がある。朴島の菜の花畠も有名だ。島の菜の花は交雑しにくいので、純粋種の種を取るためによいそうだ。

 ちなみに日本で白菜栽培が本格化するのは大正時代からであり、その先頭を切ったのが仙台白菜だ。時代劇などで、外に白菜が積んであるのはいかにももっともらしい気がするが、もしそういうシーンがあったら、時代考証の根本的な誤りだ。

 桂島の南側は石浜地区。津森山を歩いて、白石廣造邸跡に至る。説明板によると、豪快な人だったようだ。

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 桂島桟橋から石浜桟橋までのルートはマップ上で、3.65km。写真を撮りながらゆっくり歩いて2時間弱のコースだ。北東側に向いている石浜地区は、津波の被害を受けなかったようだ。

野々島

 石浜桟橋で携帯で渡船を呼ぶとすぐに来て、野々島桟橋まで運んでくれた。塩釜市営で無料。渡船は、2004年に在外研究先のオランダのワーヘニンゲンで何度かライン川の渡船に乗って以来のことだ。

 桟橋付近には津波被災者が再建したと思われる新しい家が並んでいる。みちのく潮風トレイルで、新しい家が集中している箇所は、被災者の家だ。

 熊野神社に上り、野々島の古道を通る。春は椿の花が見事という。写真のような野仏が並んでいる。

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 のどかで気持ち良かったのは宇内浜。海を見ながら、何時間でも、ぼーっとしていたかった。置いてあるベンチに座ってのんびしていたが、このベンチは、寒風沢島から世話になる船頭さんが自作して、夕方仕事を終えてそこでビールを呑むのを楽しみにしているのだという。実際特等席だった。

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 浦戸小中学校下の野々島学校下桟橋(写真下、寒風沢側から撮った)から渡船で、12時頃寒風沢島に渡った。野々島のマップ上のトレイルコースは1.20km。

寒風沢島

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 対岸の桟橋の写真を撮った際ふと見ると、足元で猫が熱心にカレイをムシャムシャしゃぶっていた。シャッターを向けると、気配を察して猫が飛びのいた。漁師が魚をあげているのだろう。この島で見かけた猫は、どの猫もふてぶてしかった。

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 浦戸諸島でもっとも面積が大きいのが寒風沢島。江戸時代には幕府の天領からの年貢米や伊達藩の米を江戸に運ぶ積み出し港として栄え、遊郭などもあったという。震災で流され、あらためて今年3月に設置された説明板の写真(下)。50歳代後半の船頭さんによると、子どもの頃にはその面影も少し残っていたそうだ。

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 江戸後期に漂流民としてロシアに漂着し、大西洋から南米を経由し、日本に戻ってきた4人のうち、2人は寒風沢の出身、もう2人は宮戸の出身だという説明板もある。

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 日和山展望台から幕末の仙台藩の砲台跡、神明社を経て、湿原や田んぼのある地帯に降りて漁港に戻った。寒風沢島のデータブック上のトレイルコースの距離は2.09km。

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 閖上のトレイルセンターを通じてあらかじめ予約していた船頭さんが、14時10分予定より50分ほど早く船を出してくれ、せっかくだからと野々島の周囲をサービスで一周してくれた。ちょうど、天気もいい。松島の地層、松枯れの深刻さ(写真下)、カキ養殖の歴史と現状、それぞれの島の高齢化・人口減の現状など、色々教えてくれた。島の防潮堤は高さ4mで、他の地域の7mよりも低いのだという。チリ地震津波(1960年5月24日)のときの浸水高を基準にしたという。寒風沢島には、「チリ地震津波被災の地」という石碑があった。

 小さな島の形も波で削りとられたり少しづつ変化している。浦戸諸島の人口は311人、野々島は31世帯、朴島に至っては7世帯ぐらいという。野々島のカキの養殖は400年前に始まっていることや浅い海で1年半ぐらい育てて、もう少し深い海で太らせて2年で出荷することなど。とてもありがたかった。

 松の間に見える野々島の熊野神社の屋根を教えてもらう。あそこを歩いたんだと思う。

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 爽快な船の旅だ。

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大高森

 15時半、宮戸に着く。実は宮戸も島だが、野蒜海岸と松ヶ島橋とで本州とつながる陸繋島だ。遊覧船案内所のあおみなで、ようやく昼食にありつく。浦戸の島には店がなかった。

 大高森観光ホテルにチェックインし、ひと風呂浴びた。17時、大高森に向かった。一週間ぶりの好天なので、夕日を期待して、学生数名やカメラマンも来ている。寒風沢島・朴島など、さきほど通ってきた島々を見下ろすのも感無量だ。

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 上は北側の写真。左が松島湾、右側が野蒜海岸。


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