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【劇評268】戦争なんてそっちのけ。イヨネスコの『二人で狂う……好きなだけ』の奇妙な現実感。

 一九六二年にパリのステュディオ・デ・サンジェリゼで初演されたイヨネスコの『二人で狂う……好きなだけ』(安堂信也訳 豊永純子演出)が、東京・池袋のスタジオ空洞で上演されている。

 初演から六〇年を隔てた戯曲が、なんとも生々しく迫ってくる舞台となった。

 舞台の背面には、黄色の風船が壁のかわりに敷き詰められている。左右には、動揺にピンクの風船がびっしりと並べられていて、色彩といい素材感といい、奇妙な部屋である。

 この場所で繰り広げられるのは、男女のいさかいである。亀と蝸牛は、同じなのか、違うのか。こんな取るに足らない話題について、自分の方が正しいとふたりは、主張し、罵り合い、相手を罵倒する。
 髭で長身の男(山森信太郎)と、小柄で気の強い女(中村早香)は、議論のシーソーゲームを果てしなく続ける。窓の外から人々の争う声や爆発音が聞こえても、ふたりは議論を止めない。

 争う声が戸口の直ぐ側から聞こえる。手榴弾が投げ込まれる。この危機的な状況もまた、ふたりの争いの種になる。やがて、ふたりのどちらかが正しいなどという理屈はなく、これは戦争で争う当事者たちにも当てはまるのだと明らかになる。
 
 次第に浮かび上がってくるのは、ヨーロッパからは遠く離れて、よそごとのようにテレビやインターネットの報道を見つめている日本人の姿である。
 安倍首相の暗殺のとき、痛烈な爆発音がしたにもかかわらず、街路にいる人々は、逃げまどうどころか、携帯を手に映像を撮ろうと逆に、現場との距離を縮めた。

 演出の豊永は、風船の破裂する音をはじめ、さまざまなノイズを劇に投入する。けれども、男と女にとっては、ふたりの争いの行く末のほうが重要なのだ。地球を脅かすような社会的な事件よりも、今、家庭内の諍いの方が、優先度が高いのである。古今東西、あらゆる部屋で行われてきた諍いの不毛さが、ひしひしと伝わってくる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。