遠くに行きたい
先日、たまたま森高千里さんの「風に吹かれて」という歌を聴きました。あまり邦楽は聴かないのですが、なかなか良くてそういえばコレクションの中に大正時代の旅行のガイドブックがあったなと思い出しました。
文章は以前勤務していた資料館の館報に書いた「時は大正、ロマンの時世」というコラムを加筆修正した内容です。自由に旅行ができる時代になった大正時代の空気を感じていただければと思います。
私の好きな画家に橋本邦助という明治時代から活躍した人がいます。彼の描いた絵が欲しくて探し回っていると古本屋で2冊の旅行のガイドブックを見つけました。1冊は大正7年、もう1冊は大正13年に発行された本でした。本自体はそれほど興味が無かったのですが、橋本の描いた挿絵が使われているとなっては買うしかありませんでした。
満足して本をめくると著者は谷口梨花という女性でした。大正時代の女性が書いた旅行本に俄然興味がわき調べてみました。
大正時代になると全国的に鉄道の整備が進みます。大正天皇も鉄道が大好きで鉄道政策を推進した原敬を話し相手にするなど信頼していました。
ご紹介する『汽車の窓から』は著者が鉄道院運輸局に勤務する谷口梨花という女性で、この方は余暇に全国ほとんどの路線の鉄道に乗車し、そのルポタージュとしてこの本を執筆しています。いわゆる鉄子の元祖ではないでしょうか。
鉄道が登場するとそれまでは徒歩で数日かかった移動が短時間で可能になり、宿泊費も安上がりになったことで遠く離れた場所へ一生に一度ではなく何度でも行けるようになります。鉄道はそもそも軍隊や近代産業の輸送を目的としていましたが、それだけでは維持するのにコストがかかりすぎます。民間利用の促進で目をつけたのが旅行でした。明治32年には鉄道料金の団体割引が始まりますから力を入れていたことは間違いありません。
大正時代以降、鉄道院と鉄道省による官製の日本全体を対象とした温泉や寺社など遊覧目的の旅行案内書が出版され始めます。これは印刷技術が向上したことによってカラー刷りや写真の掲載が安価で大量に作れるようになったことが関係していると思います。
大正時代の後楽園には鶴がいたんですね。本に写真があると臨場感があって自分もその場所に行った気になります。実際、戦時中は娯楽が無くなったこともあり、鉄道案内をめくりながら「戦争がすんだらどこへ旅行しようか」と楽しい夢を描いていたようです。100年経った今も当時の日本へ旅行できる旅行の本は不思議な本です。