自己紹介(はせたくクソガキ編)
こんにちは、はせたくです!
実はnoteを始めて(アプリをダウンロードして)からはかなり経つのですが、最近改めて「やってみよう!」となり、更新をしていくことにしました。
僕のnoteを読んでくれた方には、Twitter等でつながりもあって僕の事をご存じの方もいるかと思いますが、いつもよりプライベート面を少し詳しめに自己紹介(過去の振り返り)をしてみたいと思います。
大学までの僕は、地元から出たことがほとんどない自転車で動ける範囲が生活圏というどローカルな人間でした。高校と大学も自転車通学でしたし。。笑
僕の家は、僕が幼少のころ両親が離婚し、それから僕が中学生になるまで母と妹と一緒に祖母の家(母の実家)に住んでいました。いわゆる母子家庭です。
(当時、母の旧姓(小島)だったので僕は「こじたく」でした。)
母子家庭の事を特に何とも個人的には思っていませんでしたが、父親がいないことをからかってくる同級生や、母子家庭だから、、といったレッテル貼りをする先生がいたので反発しまくっていました。
小学校の低学年の頃は手の付けられないクソガキだったと思います。児童ホームの窓ガラス叩き割ったり、ケンカは日常茶飯事で、口より手が先に出るような子どもであったと思います。
気が付くと他の児童館で隔離されていたり、遠足に連れて行ってもらえなかったりしました。
あと、学校外でもよくケンカをしてました。
その都度、母が謝りに来ていたのですが、その姿を今思い返すと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、学校に母と一緒に謝りに行くと、「母子家庭だから云々と、母に偉そうに説教をする先生」に対しては、謝意より別の感情が湧くことがほとんどでした。(※母は僕を20歳で産んでいるので、先生たちよりかなり若かった。)
そういった先生とは母も真正面で戦っていました。悪いことは謝るけど、母子家庭云々の筋の通らない説教に対しては、「それは関係ないやろ!」と元ヤン感満載で戦っていました。
あの時、母が守ってくれなかったらもっと良くない方向に進んでしたかもしれません。
僕には、1つ下に妹がいるのですが、当時は僕と違ってのほほんとした穏やかな子でした。妹をいじめるやつは許しません。実は多くのケンカはそういうものでした。
でも、僕には「喧嘩っ早い、悪い子」のレッテルを貼られているので、誰も信用してくれないんですよね。
なので悔しい思いはたくさんしました。大人が嫌いになりました。
そんな僕も、すぐに変わることはできなかったけど、変わる転機は小学5年生の春頃にありました。
当時の僕は、勉強はからっきし(これは今も笑)、相変わらず先生たちの評価も良くない、公園でどろどろになるまで遊んでたような子でした。
4年生の担任は、同級生の自分の息子と僕たちを比べてマウントを取ってくる先生だったので、ちょうどまた大人が嫌いになっていた頃でした。笑
家庭訪問で、僕と自分の息子を比べるようなこと(高槻中学を受験がどうだとか)を言って、母がマジ切れして帰らせたのを憶えています。笑
通信簿は「ふつう」か「がんばろう」ばかりで、「よい」が0個だなんて時もありました。笑
まずはそんな僕の周りから変化がありました。
それは何かというと「友だちの多くが塾に通い始めた。」です。
極端に遊び相手が減りました。話題にもついていけなくなりました。
塾が何かは良く知らないし、勉強は嫌いやけど、「僕も塾に行きたい」と自然に思いました。
そうなると必要なのは母の説得です。
でも、母の答えは「ホンマに勉強したいわけでもないなら、月謝も高いから無理。みんなって誰?ホンマにみんな(全員)なん?」でした。笑
僕「何も言えねぇ。。」
(↑この言葉は、北島康介さんより僕が先やった説があります。笑)
そう、当時の僕には塾に通う理由が全くなかったんです。笑
それから何とか塾に行かせてもらえる理由を探しました。考えました。
でも母を納得させる材料はなかなか見つかりませんでした。
今思い返すと人生初の自己分析をしたんです。
そうすると見つかりました。「僕が勉強をしなくちゃいけない理由」が。
(これすんごく長くなりそうなんで、分けて書きます。)
続く
P.S. 次回は、はせたく大人を見返す編です。
はせたく
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