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あなたがいなくても大して世界は変わらない

私はTwitterを10年以上続けている。その中の多くのフォロワーはもうTwitterをやめ日常に戻り家庭をもっていたり仕事に明け暮れている。よくライブに一緒に行っていた人たちも、もうライブにはほとんど行ってない人が多い。そんな中私は相も変わらずTwitterを続けライブに行く生活を送っている。

2013年ごろ私は本格的にTwitterをはじめ、今より高頻度でどうでもいいことをツイートしフォロワーたちと日々戯れる生活を送っていた。当時の私は引きこもりで学校にも行けておらず、インターネットが人との繋がりの場所だった。同じ趣味、共通の話題で話して実際に会ったりすることもあった。私はそこで当時の恋人と出会い付き合うことになったのだけれど、そこを介して再び交友関係が広がっていった。その年はKANA-BOONやゲスの極み乙女。、キュウソネコカミなどが流行っておりロキノンという言葉が死に邦ロックという単語が定着していたころだった。その中にKEYTALKというバンドがいてKEYTALKで繋がった私たちは総称としてKEY勢と呼び合っていた。規模でいうと大体30人ほどはいてラインのグループもあったりした。年齢層も幅広く、私が最年少(98年生まれ)で上は7つ上くらいの子もいた。年齢性別問わず分け隔てなく交流があった。けれども住んでる地域もバラバラだったので会ったことのない子もいたと思う。
仲のいい子たちは「遊びにいこっか!」といって会うより同じライブに行くのでついでに遊ぼうか、ということが多かった。なので会う頻度の高い人たちは自然と仲が良くなったしご飯を食べに行くこともあればみんなでカラオケに行ったり、ディズニーに行ったこともあった。けれども2016年に仲の良かった子の一人が亡くなった。まだ24歳だった。

彼女は北陸のほうに住んでいた。遠くなのに東京や大阪色んなところに遠征していたと思う。私はその時神奈川に住んでいたので東京のライブでかぶったりすると会っていたしよくご飯も食べたりした。
亡くなる2日ほど前、彼女は東京に来ていた。キュウソネコカミのライブを見に。私はライブに行く予定は無く仕事も休みだったので彼女に会いに行こうか迷っていた。けれど当時お金がなかった私は「また会えるだろう」と思い会いに行かなかった。一生会えなくなるなんて思ってもみなかったから。
酷く後悔した。どうして会いに行かなかったんだろうと思った。私と会って彼女の未来が変わるかどうかなんて分からないがそれでも会いに行かなかったことに、酷く、後悔した。そこから数か月しないうちに私は当時付き合っていた人と別れた、仕事もバックレた。まともに働けなかった。誰かが死ぬことでこんなにも自分が追いやられるとも思ってなかった。そこからみんなとも疎遠になっていった。

その年か次の年か忘れたが、一番彼女と仲の良かったKEY勢の子が「みんなで富山に会いに行こう」と提案し、それから毎年富山に会いに行った。私は地元の沖縄に戻ってしまったのもありお金もなかったためなかなか行けずにいた。そしてコロナ禍があり会いに行くのもなくなってしまったよう。そして今年友人から連絡があった。「今年富山に行くらしいけど長谷川は来る?」と。やっと会いに行ける、と思った。でもそれと同時に怖かった。彼女に会うのが。死を受け入れてしまうのが。会いに行かなければただ連絡が取れないだけなのと変わらないのに、会いに行ってしまえば彼女が死んだことを実感してしまうと。自宅に伺って一人ひとり仏壇に手を合わせた。遺影があることで本当に彼女がもういないのだと現実を突きつけられた。お母さんは「もう8年も経つのにわざわざこんなところに来てくれてありがとうね」と涙をこらえながら話してくれて我慢していた涙が出そうだったけど私がここで泣くのはなんだか変な気がしてただ我慢をした。

10月だっていうのに富山は、というか日本は暑くて半そでで過ごせるほどで、彼女に会わないうちに私は大人になって24歳であなたは死んでしまったのに私はもう27歳になってしまうんだよ。大人になってからまた色んな話をしたかったなあ、生きてたらどういう風に世界が変わったんだろうなあ。あなたが死ぬくらいなら私が死んだほうがいいのに、変われたら良かったのに、何度も思ったよ、何度も願ったよ。顔と声と匂いと、どんどん思い出せなくなっていくのが酷く寂しいよ。9年ぶりだったね、telephonesのラストパーティで会ったのが最後だったから、もうあれから9年が経ってしまったんだ。色んなことを思い考えるよ。また抱きしめてほしいよ。バカみたいに笑いたいよ。また絶対会いに行くよ。

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