滋賀球団の面接を受けたお話
滋賀球団が活動を休止して2年目。
時間も経ったのでnoteに記しておく。
2021年秋。当時高校3年生の僕は進路を決める大切な時期に差し掛かっていた。
とはいえ、中学生時代からの夢を追いかけるために迷うことなく航空系専門学校をAO受験。
無事合格をいただき、入学金を支払い冬休みに入った。
2021年12月29日。
小学4年時に手術で症状が消えたはずの癲癇(てんかん)発作が左半身を襲う。
久しぶりの発作だったということもあり主治医のいる病院に救急搬送され、少し時間を置いて今後の話をされた。
「2年間は運転免許を取得出来ない」
そう告げられた。
航空専門学校を受験するにあたり事前に主治医から、症状はないので学校側には癲癇の事を伝えなくて良いと判断されていた。
しかし、発作を起こした以上そういう訳にはいかない。
そして、年が明けて2022年。
1週間程経ったところで合格取消という判断になった。
年明け、合格が取消になってからでは遅いと考え、専門学校からの結論が出る前に次の学校を探すことに。
そんな時、僕は気持ちをぶつけるところがなく、Twitterに「持病で合格取消になった」「今後どうしよう」という旨の書き込みをしたところ、そこまで時間も経たずに当時の滋賀球団前代表取締役を務めていた方からDMが送られて来た。
その3日後くらいだろうか、あまり時間がないということで早くもZOOM面接を行う事になった。
画面は4分割。
当時の球団社長、当時の球団代表、オセアン本社人事担当(後の球団社長)の3名が面接官となり、志望理由等よりは現状と今後の流れについてを主に聞かれた。
基本的には本社がある横浜から球団社長と人事担当が質問をし、地理的な事だったり現場に関する事は滋賀県内の球団代表が質問をするという形。
やはり免許を取れないというのがネックになるような事を言われ、約2週間後に不採用の連絡が来た。
とはいえ、滋賀ファンは辞めなかったし、この後大学が決まり、企業の面接という非常に良い経験を早い段階でさせて戴いたことに感謝しているのはチームが活動休止している今も変わらない。
その後、もう一度手術をしたり、大学を辞めて滋賀県に引っ越してきたりと色々あったが、2年間取得出来なかった自動車運転免許の講習が今週から始まる。
運転免許を取得次第、改めて就活。
今は発作が無いとはいえ、運転中の発作が怖いので出来る限り運転はしたくないが、どうなることやら。
こんな事もあったなと後に見返せるnoteになっていますように。