ツンデレな父とビデオ通話をした話
5月のある日、父からLINEが届いた
緊急事態宣言下の今日このごろ、大きな懸念がひとつあった。この状態がこのまま続いたとして、離れて住む高齢の両親に、二度と娘を会わせることができないのでは?ということだ。
もともと頻繁に行き来があるほど仲が良いわけでもないし、お互い距離感を持った付き合いのある両親だけれど、もうすぐ2歳、可愛いさかりの孫娘の成長を見られないのは、さぞ残念だろう。
とはいえ父は江戸っ子らしく強情でぶっきらぼう、「仕方がないものは仕方がない」の人なので、無理を押して会いに行くのはお互い本位ではない。会えば喧々諤々の言い合いになるのは日常茶飯事だから、逆に会わないほうが平和とも言える。ならばテキストや写真、動画のやりとりだけになってしまうが、それらの情報で孫娘の成長を実感してもらうしかないのだろうか。
……と思っていたある日、父からLINEが届いた。
「◯◯(孫)ちゃんに会いたい」
だったら、ビデオ通話がいいんじゃない?
正直、本当に父からのLINEか?と目を疑うほどストレートな内容だったので驚いた。
そして「子供は子供、孫は孫でそれぞれ勝手に育っていくさ」と子育てにあまり干渉してこず、どちらかというと男の子である甥っ子たちのほうの成長に心を砕いているように見えた父の意外な連絡に、ひとしきり思案した。なんだかんだで孫娘はかわいいのだろう。しかも父にとっては初めての女の孫だ。わたしが思っている以上に、成長を楽しみにしていてくれたのかもしれない。
突然だがわたしの両親は聾唖で、通話で話すということができない。これもまた父とわたしのコミュニケーションを阻害する要因のひとつで、文章を書くのが苦手な父は、いつも短い文で必要最低限のことしか送ってこなかった。こちらから送る写真や動画にも短く「かわいいね」「大きくなりましたね」程度しか返信はこない。なので、そんなに孫娘に会いたがっているなんて思っても見なかったのだ。
対面で話せる手話でなら、表情や動き、手話そのものからかなりの量の情報を読み取ることができる。だが、文章作成が苦手な父にとって、LINEのテキストだけでは伝わらない何かがあったのかもしれない。そもそも父は70代を過ぎ高齢者なのだ。フリック入力はできないようだし、前に使い方をレクチャーしたときも、1文字1文字入力していくスタイルだった。文字入力ひとつ取っても、苦戦していたのかもしれない。
そこで思い至ったのが「ビデオ通話」だった。わたしと父との最低限なコミュニケーションにおいては必要なかった「ビデオ通話」だが、父とうちの娘だったらまた話は違うだろう。動画を送るのと違って、なんと言っても双方向性がある。手を振ったら手を振り返す。ただそれだけのことでも、娘がスマホの画面の向こうに人がいると認識していること、手を振れば振り返すことをわかって「バイバイ」というコミュニケーションが取れるまで成長したこと、などなど、かなりの情報が読み取れるだろう。
よし、ビデオ通話だ!ということで日時を娘の誕生日当日に定め、そこで事前に届いていた父から娘へのプレゼントを渡す、という段取りを組むことにした。
いざ当日!
最初「娘の誕生日にお父さんからのプレゼントを渡すので、ビデオ通話をしましょう」と送ったときの父の様子は、芳しくなかった。ありていに言うと既読スルーだったのだ。いいアイデアだと思ったのに、ノリ悪いな!と思いつつ、「じゃあ日曜の10時にかけるね!」と送って既読がついたのを確認した。ノーではないということはイエスと判断しよう。これはもう決行するしかないだろう。
時間を決めて背景を整え、いざビデオ通話だ!(と意気込むほどの操作ではないのだが)と準備をしてみたものの、お互いカメラがオフになっていたり、PCのインカメラがうまく使えなくて真っ黒い画面になってしまったりと四苦八苦。既読スルーだった父だったが、とりあえず画面の向こうで待機しているらしい、というのは分かったので、あとは画面をつなぐだけだ。
事前に検証をしていなかったため、父のタブレット、わたしのノートパソコンでの接続のせいでうまくいかないのではと思い、使い慣れたスマホアプリに切り替えた。すると無事に成功。お互いの顔が画面に映し出された。なんと画面の向こうでは両親が仲良く並び、狭い画面に入ろうと寄り添って、こちらを見つめている。
一方こちらはじっとしていられない2歳児を固定するのがやっとで、「じいじだよ!」「ほらばあばに手を振って!」と言ってもあっちへ行ったりこっちへ行ったり、落ち着きがない。夫にも協力してもらって画面を見せるが、インカメラに映る自分の顔に「◯チャン!◯チャン!」と興奮してしまっている。
「とりあえずもらったプレゼントを渡すところを見てもらおう!」ということで、父から事前に宅配便で届いていたプレゼントを開封し、中から出てきたかわいい熊のぬいぐるみを娘に渡した。娘がそれを受け取りぎゅっと抱きしめたところで「撮れ高オッケーだろう」と判断。父側もてんやわんやなこちらの様子を見て察したのか、「大変そうだからもう切ろう」と手話で示され、あっという間にビデオ通話は終了となったのであった。
あっという間の通話終了、でも……
ビデオ通話を切ったあとも娘は大興奮で、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの繰り返しだった。とはいえプレゼントのぬいぐるみは嬉しいようで「クマチャン!」と言いながら遊んでいる。まあこの様子を見せられただけでも十分か、と思いスマホの通話時間を見るとわずか4分弱。たった4分弱で夫婦そろってドッと疲れてしまった。
疲れたし、話せたんだか話せてないんだかよくわからない時間だったけれども、少なくとも「動く娘を見せ、バイバイという双方向コミュニケーションを取る」までは成功だったと言えるだろう。とはいえなんだか消化不良で、一緒に待機していた夫に「これでよかったのかなあ」とこぼしてしまった。もっとこう、テレビCMのように画面に映る祖父と孫!感動のコミュニケーション!みたいなのを自分で期待してしまっていたのかもしれない。
ただ、手元の状況を思えば、写真→動画→ビデオ通話と少しずつステップアップしているし、両親はどう思ったかわからないが、まあわたしの自己満足だったかもしれないけれど、良しとするか……と思っていたところ、父から一言「またビデオ通話をしてください」とLINEが来ていた。ほっとした。どうやら成功だったようだ。
ツールはいろいろ選べるが、そこに乗せたい気持ちはひとつ
父からのLINEは思った以上にわたしを安堵させてくれた。聾唖というハンディキャップがある以上、普通の家庭のように動画を送っても娘が何を話しているか、両親には伝わらない。それはビデオ通話だって同じで、娘が簡単な単語を話せるようになったことは伝わらなかっただろう。
それでも、娘が最後に会ったときと比べたらずいぶんしっかり立って動くようになったこと、手を振れば振り返せるほど相手の働きかけに反応を示すようになったこと、スマホの画面の向こうに「ジイジとバアバ」が居て、どうやらこちらを見ているのは理解していること……たった4分弱の短いビデオ通話でも、これだけの情報を伝えることができた。これはわたしがテキストで長々と説明するよりも、実際に動いて笑う娘を見てもらうほうが、1000倍伝わるだろう。
慣れないビデオ通話で準備や時間を合わせるのにずいぶん振り回してしまったし、「ビデオ通話」なんてよくわからないことを言ってきたな、と思っていたかもしれない。でも、どんなツールを使ったとしても、伝えたいことはただひとつで、わたしも夫も、娘もみんな元気だよ、あなたたちがつないだ命は元気だよ、ということだ。
娘を見ていると、たまに父の面影が見えるときがあって、ドキッとすることがある。まだ2歳で顔の造形もまだこれから変わるとはいえ、「あ、いまの表情は父の表情だな」と思う瞬間があり、そういうときに血のつながりを実感すると、普段、仲がいいとは決して言えない我々だけれども、孫娘、という存在で間違いなくつながっているんだなあと思えるし、両親にちゃんと感謝を伝えていかなければいけないなと思ったりもする。
「ビデオ通話をしていよう」と思ったとき想像していたようなリアクションがなかったとしても、テレビCMみたいな感動的なシーンがなかったとしても、それはそれでかけがえのない大切な数分だったのだ。「またビデオ通話をしてください」という短いLINEを何度も読み返し、今回やってみてよかったな、としみじみ感じた。
また新しいツールが出てくるかもしれないし、それを使って両親とコミュニケーションを取る日が来るかもしれないけれど、伝えたいことは「こちらは元気だよ、あなたたちのことを気にかけているよ」ということだ。それがより実感を伴って伝えることができるなら、これからもあの手この手を使い、手を尽くしていこうと思った出来事だった。奇しくもこの日は「母の日」。来月の父の日にもまたビデオ通話をしませんか、と提案してみようと思っている。
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