破産を意思決定した日

経営者として、破産を意思決定する日が来るなんて誰も最初は考えないでしょう。
誰も破産する為に経営をしていませんからね。
私は10年以上苦しんだ資金繰りから解放された日でもあり、非情な経営者として足を踏み入れた日でもありました。

意思決定した日は2022年の3月です。
それまで私は62期続く会社の4代目経営者として歴史の長い会社の舵を取ってまいりました。
売り上げ規模で言うと1億行かないくらいの小さな会社、業種は飲食を扱い、歴史ある門前のお土産屋さんなイメージが伝わりやすいかと思います。

2020年1月頃から日本では新型コロナウイルス感染者確認のニュースがテレビやネットを通し情報が入っておりました。私は会社の閑散期の為、資金繰りや営業活動を行っており、正直コロナウイルスについてその時は深く考える余地もありませんでした。

業種が飲食であり、直接お店に来ていただかないと売り上げが作れない会社でしたので、やれることはすぐに試しました。ホームページを作り、ネットから商品を購入できるようにしたり。テイクアウトや事前注文をもらいお弁当を届けるなど、その時使える資源を試行錯誤しながら、世間的なコロナに立ち向かっておりました。ですが、会社の資金状況は悪化を辿る一方です。従業員さんへの給与の支払い、毎月の固定費の支払いなど頭を抱える日々です。

※この段階で破産の意思決定をしておけば、多くの関係各所に迷惑を掛けることが少なかったと今は反省しております。

自分で最初から始めた会社なら、ある程度のところで見切りがつけれるかもしれません。
ただ受け継いだ会社であり、長い歴史がそこにはありました。私は会社を守ことが精一杯で冷静な判断がつきにくい状況になるのです。

2020年9月頃、地方裁判所より民事裁判の訴状が会社と代表者の私宛てに届きました。
原告側の言い分を聞くと、前代表時代の負債でした。前代表と私は親子関係にあった為、会社が関係なくとも不当性連帯者とみなされ、私は被告として判決を聞きました。大きな出費でした。差し押さえになるならと、私は個人から借りたお金で支払いしました。

会社の景気は全く良くなることなく、必死の毎日です。その頃から従業員さんへの支払う給与まで底をつき始めました。知り合いの社長さん方に相談しても、どの社長さんもコロナの緊急事態で、自社の経営に対し精一杯でありました。当然、私に貸していただける方は居なく、本当にギリギリの毎日でした。その頃の私のメンタル面はとても不安定で、睡眠を取りたくても寝れない。次の日が不安で不安で仕方なく、お金を借りてくることだけしか頭が回らなくなっている状況ですが。

なんとか今の状況をよくする為、会社を縮小させる方向より、出資や投資を得て今の状況を改善することだけしか見えてない私は、その後も従業員さんたちに説得をし会社に残っていてもらいました。結局、状況が改善することなく月日だけが流れていきました。

会社の対応に痺れを切らした従業員さんが労働基準獲得署へ未払い給与の相談に行きました。その後、会社に労基の職員さんが2名で来られ、状況の説明を行い、行政指導が入りました。ただ、行政指導が入ったからといって、会社の業績が上がるわけではありせん。どこからかお金を借りないと、営業停止処分になってしまうと、その時も必死で資金繰りに動きました。

一人の経営者さんからお金を借りることができました。その時は本当に神にも縋る思いで、必死に借入のお願いをしたのを今でも覚えています。ただし、このような状況の為、返済計画書通りに返せるわけもなく、またその経営者さんに迷惑をかけてしまいました。

この状況を変える選択肢は2つしかありませんでした。一つは従業員さんを解雇し事業縮小を行い会社の延命を第一優先に考えること。
もう一つは、新しく資金を得て新規ビジネスに挑戦すること。私の頭には後者が圧倒的に強かったです。これまでもたくさんの人に資金の相談をしていたので、またかと思われるのも嫌でしたが、会社、従業員さんを守るならと必死でアポを取り新規事業のプレゼンを何度か行いました。

中には投資家を呼んでくれて、複数名で私のプレゼンを聞いていただいたり。会食に呼んでいただき、そこでプレゼンを行ったり。それでも結果は上手くいきませんでした。
そんな時、一人の建設会社の会長様より貴重なご意見をいただきました。それは「君のプランは素晴らしい、面白い。だけど今ある負債を綺麗にできない経営者に誰がお金を出す?」との言葉です。
私はその時ハッと気づきました。今の状態で融資や出資を得ても結果的に負債の支払いなどに資金が流れてしまい、正当な所に資金を使えなくなることに気づきました。普通なら分かることが、その時の私には見えない状態になっていたのです。

その後、貴重なご意見をいただいた会長さんの元へ後日ご挨拶とご相談に伺いました。
相談内容は、経営者としての負債をどう処理したらいいかです。会長さんからの答えは、民事再生、破産手続、任意売却など色々なアドバイスがありました。その頃から少しづつ、負債を綺麗にしたいと強く思うようになりました。元々、受け継いだ会社の負債があった状態から経営者をスタートした私でしたので、負債はあって当然と思い込みもありました。

破産を考えるようになったのは、2021年11月頃です。破産を考えてまず何を第一に考えたかと言うと、100年以上続くお店と看板です。この店と看板を守る為に先代、先先代の社長達は戦ってました。私もお店と看板が残るなら、経営者としてどんな結果も受け入れる覚悟でした。こころの中は不安と迷いが駆け巡り、しっかりとしたプランも何もない状態だったのを覚えています。

2022年を迎え、相変わらず客足の戻らない状況に私は下を向く日々の連続です。この頃、従業員さんへの未払い賃金も二度目の遅れが出始め、1人、また1人と会社を去ってゆきました。会社を続けたくても資金が回らない。会社を辞めたくても、限界を超えてしまった今では、対処のしようがない日々です。

2022年3月、朝8時30分頃、複数名のスーツを着た人が突然会社にやってきました。労働基準監督署の職員さん達です。未払い給与が発生していたので、内部告発により捜査のメスが入りました。経営者として恥じる姿です。今回は二度目ともあり、事情を全て話すことになりました。未払い期間が6ヶ月以上続いてしまい、従業員さんの生活までも苦しめていた私は、国の支援制度を利用する事を決めました。

それが未払い賃金立て替え制度です。未払いの発生した従業員さんに対し、国が未払い賃金を立て替えてくれるという制度です。この制度を利用できる条件は、会社が実質的な倒産状況になっていることでした。
それまで一日たりともお店を閉めた事ない歴史に、閉店の文字が張り出されました。悔しい気持ちと、苦しい気持ちと、従業員さんに迷惑をかけたこと、受け継いだ会社を倒産させてしまうこと、全てが複雑に絡み合っていた、2022年の3月です。

会社が傾いてから破産の意思決定まで2年の時間がかかりました。この2年間、多くの人にお金を借り、会社存続の為に資金を使い。会社を守ってくれている従業員さん達には未払いの賃金を発生させ、一人一人の生活を不安定にしてしまっていた私は、非情な人間だなと、自分自身認識しております。

法人破産の意思決定は簡単なものではありません。ですが限界を超え、近くで支えていくれている人にまで迷惑をかけてしまう事がその後一番苦しいなんて想像できませんでした。

経営者として意思決定は最大の仕事です。
どんな状況でも冷静に物事が見れる人が、その時は非難されても結果的に傷口が浅くて済む場合もあります。僕の場合は、現実から目を背け。いい未来だけを見ていました。何より一番先に経営者として向き合う問題は、負債の処理だったのです。

意思決定が早ければ何かしらの対応策が生まれます。対応ができない状況になってしまうと、私のように多くの方に迷惑をかけてしまうことになります。会社の全ての責任は経営者にあります。
その事を胸に、今日も私は過去と向き合い、生きてきます。

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