川が氾濫してる
まるで濁流。濁ってるどころか逆に深く深く黒く底は真っ暗闇になっているんじゃないかとこわい。それともそんな大層なものじゃないのだろうか、私の心は。
私は頭も心も硬い。変に真面目なところがあるけれど自分には甘くて懐に入れた人には甘くて相手によっても気分によっても柔軟性が変わる。
今きっといちばん硬くなっている相手が今年から職場を同じくした上司。すぐに苦手になってしまって、傲慢にもゆるせないと思うことが多く、嫌いになってしまって、拒絶するようになった。
でも、寧ろその人を嫌っているなんてきっと私くらい。なんでそんなに?なんて聞かれるけれど、私は怠惰を笑顔で流されるのも傲慢を笑顔で隠している態度にも毛が逆立つような想いで見ていた。でもそれはあくまで私の主観なのだ。人は誰しも善人でも悪人でもない。そうであってほしくない。長所も短所も善も悪も抱えているものだと思うの。それらは表裏一体だから、見る目によって変わるものだから。
でも今日は駄目でした。耐えられませんでした。私のオブラートはその人にとっては棘のように感じたのかもしれません。尊敬もしていない、寧ろなんだこいつはと見下している上司に「お前」とか何とか言われてびっくりしてしまった。見下していた、拒絶を隠さなかった、その因果応報かもしれない。泣きたくないのに何故か溢れた怒りや憎しみが嗚咽と水分で出てしまった。散々悪意を込めた言葉を撒き散らしてしまった。
ここまでくると自分も貶めないとやってられない気もする。嫌ったり憎しみをもったり、それを悲しいことだといわれても、この世界からそういった感情が消滅することはない。上司の死を望んでしまう私を誰も否定することはできない。否定できるのはきっと私だけだから、はやく落ち着いて穏やかになってほしいと願う。神に死を願い、流れ星にその人の死を願い、その人の死をお願いする。しょうもない。くだらない。
気持ちを紛らわそうと思って、いまの私なら漫画がいいかもと思って漫喫に入った。本当はやけに肩が凝るからショッピングモールにある100円10分のマッサージチェアにお世話になろうって職場営業中からずっと決めていたのに、それよりももやもやを霧散させなきゃ家に帰れなかった。あたたかい温もりに汚い気持ちを持ち帰りたくなくて。
漫喫の大きなPCでamazarashiの月曜日のMVを観た。何週間か前から自分の新しく見つけたどん底を照らすのがamazarashiで、YouTubeの動画を一番最初のものから順番に再生していた。月曜日は特に好き。爽やかでせつない叫び。そして気になっていた月曜日の友達という漫画を読んで、苦しくてせつなくて泣いてしまった。漫画をおいてトイレに立った時なんかはその人の顔と声を思い出して不快で泣いてた。
深夜近い池袋の街並みを見下しながら帰った。なんて綴る自分がいちばんくだらなくて矮小かもしれない。
耳が痛いかどうかぎりぎりまで音量を上げてイヤホンで耳を塞いだ。amazarashiの月曜日。そしたら耳に入る音楽が現実で目の前の景色がフィクションになればよかった。よかったのに、よかったのだろうか。
書くことで冷静になれれば客観的にみれたらいいと思ったけど、きっとうまくいっていない。ただ表面温度が下がっただけだ。冷たく煮詰まっているだけだ。
憎しみや悲しみやつらいものを捨てる一番の方法はわかってる。でも生きる。好きなものがある。好きな人がいる。幸い家はあたたかい。冷たいことはない。バランスの取れない人生でも、生きることが当たり前でも、大事なことを大事だと抱えていかなきゃいけない。あなたにとってはちっぽけな私のこの想いも誰にも否定できないんだから。