思い出せないこと
君の日、二月、帰り道 https://g.co/kgs/V6vSHW
R先生が「先週で、ここに来るようになってからちょうど1年でしたね」と言った。ここに1年通ってみて起きた変化と、変化していないことについて話した。
私はR先生に「先生はどう思われますか」と聞かない。会話中にあまり「先生がどう思っているか」ということが気にならない。半分くらいは先生の顔も見ない。机や棚、ソファを見ている。先生は2メートル以上離れて座っており、さほど動くこともない。その場で思い浮かぶことを話していく自由連想法は、自分にとってはパワーが要るのか、反応を見る余裕がないし、ある程度話し切って、また思いついたら話す、もしくは先生が何か聞いてくるのに対してまた話す。
最近は、話している際中に突然涙が出ることは減った。以前は、ある一定の話題になると自動的に涙が出た。たいていは家族に関連する話題の時に涙が出た。もしくは何かを失う時。以前よりは生活の中で嫌な気持ちになることが減った。嫌な気持ちの大きさが小さくなり、ダメージを受けた後、早めに復帰できるようになった。頭痛と腹痛が減った。
私は両親について分からないことが多い。覚えていないことが多い。私は他人が言った内容は割と覚えている方だと思うが、父母の発言の記憶が抜けている。R先生に聞かれたことに答えられない。視力検査で「見えません」と答える時の気持ちになる。目が悪いので裸眼ではほとんど「見えません」と答える。単純に父母の発言が少なかったのもあるかもしれない。父や母が何を考えていたのかが分からない。
R先生は私の両親について「イメージを作ることができない」という。先生は臨床心理士なので、これまでに数多くの人の話、家族の話を聞いているはずだ。それなら私が未だ両親について分からなくても仕方ないと思えた。
うすうす思っていたのは、私自身が嫌なことや怖いこととしてとらえた出来事は、忘れてしまっているのではないか、ということだった。だから記憶が抜けている。実際に私は父を10年避け続けているし、母が亡くなったあとも自分が怒られているような気がしていた。父母は、嫌で怖いのである。
なんとなく妹に連絡して父母について聞いてみたら、「うちの環境は、ダメだったね」という内容の返事がきた。私から見て相当たくましい心身を持つ妹がそう思うなら、やはりそうなのかもしれない。姉妹の共通認識。ダメな環境だった。ふたりとも両親を恨んではいないが、恨みを持つに至るほどの情報が無いだけかもしれない。
あまり姉妹で父母の話をしたことが無かった。そろそろ妹も30歳になる。