克ちたい! 勝ちたい!
ー はじめに ー
湊中学校のグランドには、今日も朝日がさんさんと照りつける。
高周波工場の煙突から立ち上る煙。カタンコトンと万葉線の電車が走る音。残雪がうっすら白く立山連峰。内川の川面にきらめく陽の光。橋の上から見渡せば、ひしめき建ち並ぶ古い家々、川面に浮かぶいくつもの漁船。
これがこの物語の舞台の一つ、新湊だ。
ー 車イス生活から抜け出せない花子 ー
二郎は、湊高校野球部で日々、野球の練習に励む。近所には同い年の花子が住んでいる。先天性の足の障がいで車椅子生活。医師は治っている、と言うが歩けない。リハビリして一歩を踏み出す勇気が出ない。
二人は幼馴染み。二郎はやんちゃで、野球が日課。ある日スライディングして両足を大ケガ。車椅子生活をしばらくしていた。花子も車椅子の日々。それからだ、二人が仲良くなったのは。二郎はいつも花子にちょっかいをかける。花子は男まさりのガサツな口ぶりでやり返す。男同士のような会話。それでますますウマが合った二人。
そんなふたりは高校ニ年生となった。もちろん花子も地元の湊高(みなこう)に通っている。
七月下旬のある暑い日、二郎が玄関口で花子に怒鳴るように声をかける。
「花子〜。おわっちゃ、結構いい線いっとんがよ〜。夏はダメやったけど新チームで甲子園に行けっかもしれん。応援しにきてや。おわっちゃが頑張っとんが見たら、もっともっと元気になれるやろう。車椅子でも大丈夫やちゃ。付き添いしてもらわんなんやろうけど。」
幼い頃、つかの間とはいえ同じ病棟でじゃれ合いながら、心が触れあった二人ならではの気のおけない会話。
「あんた、ダラけよ。野球、野球ばっか言っとらんともっと勉強しられよ。野球バッカになるよ。」
「いいねかよ、野球バッカで。野球に命かけとっから俺はいいが。それより足の具合はいいがか。リハビリ行っとんぁか。」
「な~ん、あんま行っとらん。気が向いたらね~。」
「人のこと野球バカ、バカ言う前にお前もやらんなんことやれや~。」
「うるせーよ、野球バーカ。」
花子はなんとなくリハビリを再開しようかと思った。
ー 女子高生ピッチャー 麗華 ー
令和五年九月。富山県の秋季高校野球大会の準々決勝。県営富山野球場。木伏高校と湊高校との対戦。湊高校は優勝候補の一角。木伏高校が八回裏まで五対四と一点リード。
すわ、大番狂わせか?
八回裏、湊の攻撃を迎えた。伝令が審判のもとに駆け寄る。木伏は選手交代のようだ。ピッチャー交代。この回まで投げてきた先発投手に変わり、原 麗華。麗華は強面で割と素っ気ないが、いたって普通の女の子だ。
麗華の投法は右投げのオーバースロー。球速は最速でも百十キロ台後半。こんなピッチャーが、この終盤に出てくるのか、という驚きでスタンド中がどよめいた。
麗華は、遅い変化球を見せ球にし、速球との緩急をつけることで、打者をきりきり舞いさせる。なぜか麗華の変化球にはバットが空を切る。それが麗華にとって、たまらない快感だった。
得意な変化球はスライダー。手首のスナップを効かせることで、キレのあるタテのスライダーを投げることができると本能的に気づいていた。速球と変化球の投げ方を同じにすることで、打者が的を絞れず2ナッシング。気づいたら、勝負球のスライダーが来て空振り三振する、というのがよくあるパターンだった。
麗華は、物心つく頃から二歳上の兄と野球を始めていた。いつも試合ではピッチャーを買って出た。自分を中心に試合が進むことが嬉しかった。自分が主人公でいたかった。
ー 花子 リハビリが怖い ー
「怖い。歩くが怖い。リハビリ痛いしぃ。足折れっかもしれん。ほんまに歩けんようになったらどうしよう。」
花子の本音だ。
「なんであたしだけ、車椅子ながけ。なんで他のみんなと一緒に遊べんがけよ。あたし、なんか悪いことでもしたぁ。」
物心ついてからずっと、そう思ってきた。親の前ではいい子ぶりっ子。じゃないと安心してくれんもん。聞き分けのいい子、物わかりのいい子。勉強はちゃんとできて、足のこと以外なんの問題もない。でも友達はあまりいない。なんでって、一緒に遊べんかったから。外遊びは無理やし。
学校でも当然、車イス。まわりはみんな親切だ。でも、それじゃあホントの友達にはなれない。二郎だけだ、いじってきたり、ちょっかい出したりしてくれたのは。
心を許せる友達がほしい。一緒に遊んで、一緒に恋バナとかして、ギャアギャアとはしゃぎたい。
でも歩くのは怖い。勇気が出ない。リハビリは三日坊主、その繰り返し。
二郎は野球バカだけど友達だし、せっかくやからリハビリして球場に応援に行ってみっか〜。
こんな安易な思いから、花子のリハビリは始まった。
「お母さん〜、あたし、またリハビリ行くちゃ。先生に連絡しておいてよ。」
「どうしたん。あんなに嫌がっとったんに。」
「外でたいから、できたら歩いてみたいから。」
「わかったよ〜。先生に電話しとくちゃ。」
ー 麗華 登板 ー
いよいよだ。とうとうワタシの出番がやってきた。相手は優勝候補。力を試すには絶好の機会ね。
麗華は振りかぶって第一球を投げた。インコースへのナチュラルなシュートがボール1個外れてボール。横の奥行きを意識させるねらいだ。次は外の球が有効になる。
キャッチャーの浩太はボールを返しながら、「次は、アウトコースへのストレート。これで内外、広く意識させれる」と目論んだ。
バッターの小田は、くるくるとバットを回しながら、「へっ、女のピッチャーやと、舐めんなよ。俺らのこの一年半の猛練習に勝てるわけなかろが。」と心の中で悪態をついた。ボールは遅いし、キレもそんなに感じない。なんでこの大事な局面に登板してきたのかさっぱりわからない。
「たいしたピッチャーじゃないがにな~。」
第二球。アウトコースへのストレートがナチュラルにシュート。小田は強振したがジャストミートできない。バットがボールの下を擦ってバックネットに突き刺さるファウルボール。
「あれ〜、アジャストしたろ〜。なんで前に飛ばんがよ。おっかしーな。」と小田は舌打ちしながら呟く。
マウンド上でほくそ笑む麗華。帽子のひさしを触わり疾る気持ちを抑える。次はスライダーで追い込める、と踏んだ。畳み込むように第三球。外角へのスライダーがタテに変化しながら落ちた。小田は見逃し。手がでない。
「クソ生意気な。ストレートで勝負せいや。」バットをクルクル回しながら落ち着こうとする小田。
「フー、待て待て、熱くなったら負けや。ここは冷静にヒット狙いでいくか。」
キャッチャーの浩太。
あとは一球胸元にストレート、体を起こしてから、チェンジアップで打ち損じが狙える。よし、これで勝負や、と思案する。
ストレートは狙いどおりでボール。そして、勝負球のチェンジアップを投じた。
カキッ。
打球はサードゴロ。サードの宏人がなんなくさばいて一塁へ送球、ワンナウト。
「ちっくしょう、なんでやられたかな〜。クソッタレが〜。」
麗華は思う。
昔の武士の真剣勝負って、こんな感じだったのかな。腹の探り合い、駆け引き、押すと見せて引く。いろんな工夫をこらし、相手の強み弱みを見極めて勝負する。ただ、野球の真剣勝負は命までは取られない。正々堂々と立ち向かい、負けても潔くあきらめられる。また次の勝負に挑める。これって快感、やめられない。
ー 花子 最初の一歩 ー
最初の一歩が踏み出せない花子。
まずは立つ練習から。補助棒につかまるが立っていられない。まっすぐに立てない。補助棒が無かったら倒れてしまう。
「花ちゃん、大丈夫やから。三十秒、ガマンガマン。」
「怖い、倒れる。もうできん。」
「またそう言ってやめんぁか。高校生にもなっとって、情けなくないぁか。もうちょっとだけ頑張ってみぃや。」
「うっさい。あんたに何がわかんがけよ。あたしの気持ちがわかんがけよ。えっらそうに。」
「よし三十秒たった。よう頑張ったねか。もう一回。はい、ヨーイドン。」
「痛った~。イテテテ、痛いよ~。」
「ガマンガマン。あと十秒、九、八、、、三、ニ、一、はい終わりぃ。おつかれ〜。明日もまた同じ時間に来られよ〜。」
「ムカツク〜。明日は絶対に一歩でもいいからあるいてやる〜。」
とうとう最初の一歩を、花子は踏み出したのだ。
ー 麗華 強打者との勝負 ー
次は、四番の竹田。左バッター。危険な相手だ。最悪歩かせても、、、。ダメダメ、強気でいかないと気持ちで負けてしまう。ホームランじゃなきゃ打たれてもいい、バックを信じて勝負だ。
浩太のサインは?内角高めのストレート、やや上に外すくらいか。OK。麗華は頷いて振りかぶり第一球を投げた。狙いどおり決まってボール。コントロールには自信がある。コーナーの四隅をねらってストレートを投げ分けることができるんだから。これなら誰にも負けない。他のどんな男のピッチャーでも真似できないよ。メジャーの茂野吾郎が、大リーグで通用したのも、直球の精度を高めたからだ。漫画の主人公には生身のワタシは追いつけないが、まねすることはできる。へっ、どんなもんだい。心の中でイキる麗華。
第二球。どうしよっか、浩太。ん、タテスラでいくの。外角低めギリね、OK。
竹田くんの目線が怖い。ワタシを睨みつけている。負けるか、こっちだって、プライドがある。ワタシは女子球児の代表よ、湊が相手だからって、へっちゃらよ。
第二球を投げた。
カッキーン。
福田は変化球に狙いを定めていた。このピッチャーは変化球ピッチャーだ。生命線の変化球をかっ飛ばせばジ・エンド、だな、そう思っていた。打球はライト線ギリギリのファウル。「ちょいタイミング早すぎか。おっしゃ、次で決めてやる。」
「ヤバっ。」変化球が読まれてた。だったらストレートで押して、このバッターにはあの決め球で勝負するしかないか。浩太、内角低めのストレートね。
第三球。狙ったとおり内角低めの直球。ボール一つ外れてツーワン。
第四球。同じコースでボール一つ中に入れてツーツーと追い込んだ。
ここね勝負は。行くよ、浩太。とっておきの球で打ち取るよ。振りかぶって投げた。指のかかりはバッチリ。打てるもんなら打ってみろ!
フワフワ。スーッ。
「なんや、なんやこの球。」
竹田は焦る。
「コースにきとる、振らんな三振や。」
スカッ。
バットが空を切る。あっけなく三振。ツーアウト。
竹田は五番の宍戸に動揺したまま耳打ちする。
「あの球、あの、、、なんかわからん。揺れとった。チェンジアップじゃないわ。ナックルかも。」
「ナックル〜。そんな球打ったことないわ〜。見たこともないし。プロでも投げんやろ、そんな球。」
麗華は内心で力いっぱいガッツポーズ。
やった、ストライクゾーンにうまく行ってくれた。ちょっと早く投げることになったけどしょうがない。あとはこのナックルを見せ球にして最後まで投げたい。みんなと勝ちたい。入学したときに誓った。ワタシが投げて勝つ、と。
ー 花子 大暴れ ー
二郎に愚痴ったことがある花子。中学生の頃か。大声で叫び、大暴れした。
ボソッと呟く花子。
「なんであたしだけ車椅子ながかな。なんかわるいことでもしたかな。」
お互いしばらく無言。しゃべれない二郎。
「あたしなんかと遊んどらんと野球でもしてこられよ。そのほうがよっぽど楽しいやろう。」
「どうしたんよ。なんか機嫌悪そうやな~。」
「うるさーい。もう、なんもかんも嫌んなった。死にたい。あたしの人生、メチャメチャやわ。なんのために生まれてきたんかわからんわ。
歩けん、立てん、遊べん、走れん。運動会はボーッとみんなの応援しとるだけ。体育の授業は見学、見学、見学。
あたしもバスケしたい。リレーに出たい。フォークダンスもしたい。でもなんもできん。勉強しかできん。勉強はできるよ。でもつまらんわ。ちっとも楽しくない。
なんで、なんでけよ。なんでこんな病気にあたしがならんなんがけよ。意味わからんわ。」
手当たり次第に、二郎に物を投げつける花子。ため息をつきながら、物を脇によける二郎。
「そんなんおわにもわからんちゃよ。やけど、おわは野球が好きや。野球しとったらなんもかんも忘れてしまう。夢中ながよ。
お前もバスケしたいならリハビリせーよ。車椅子バスケでもいいねかよ。ほんとはもう病気治っとんがじゃないがか。とにかくなんかせーよ。できんと思っとることに挑戦せーよ。なんでもいいねかよ~。」
黙り込む花子。沈黙。
ありゃ、言い過ぎたか〜。花子の様子を覗う二郎。
「ごめん。病気のことよう知らんと勝手なこと言うて。でも、やりたいことやりやーいいねかよ。我慢すんなよ。」
「じゃキャッチボールでもしてくっちゃ。」
後に残される花子。すすり泣く音。涙があふれて止まらない。
ー 麗華 高校入学 ー
麗華は、木伏高校に入学した。木伏高校には、女子の野球部員の先輩がいたこともある。富山県で女子が高校野球に取り組める数少ない高校の一つだった。ここなら、思う存分自分の力を発揮できる、入学してから、改めてそう思った。
女子の野球部員かぁ~。それが監督の田辺の第一印象だった。はたして戦力になるのか、、、。熱意は買える。根性もありそう。問題は体力だな。
それよりも今年のチームづくりだ。背番号は三年生あいうえお順で一から割り振ろう。ポジションは関係無い。丁度ベンチ入り二十人が使えそうだ。エースピッチャーの背番号が十八でもいいじゃねーか。ベンチ入りのメンバーと応援席のメンバーは、いつも一緒に行動させる。球場でも一緒だ。別け隔てなく、ミーティングして、挨拶して、応援して。みんなが平等なチームづくりだ。ただ、女子のうちベンチには麗華しか入れられないけど、仕方ないな。
円陣は組まない。試合中は監督から指示は出さない。全部キャプテンの一郎にやらせよう。高校生なんだから大人と一緒だ。局面局面で、やるべきプレーを考えさせよう。練習からいつも考えさせよう。
ー 花子 懸命にリハビリ ー
リハビリ三日目。二日目で立ってることはできるようになった。次は歩きの練習だ。足の屈伸とマッサージも痛い。とにかく痛い。泣きそう。
おーし、片足歩けた。次、反対の足。左足を前に出す。棒に捕まっとっから大丈夫や。ちょっこずつ前に進むよ〜。
痛い、痛い。でも歩けた。もう一歩、もう一歩。なんか歩けとる。うわぁ~すごい。
でも、棒につかまっとらんと怖い。ま、いいか。先生のいうとおり、ちょっこずつ歩けるようになりゃぁいいがだから。ちょっこずつね。
棒に捕まって端から端まで歩けた。やった、やった、これで二郎の応援に行けっかもしれん。
でも、リハビリ疲れるわ~。帰ったらご飯食べてすぐ寝ようっと。
「ただいま〜。お母さん、ご飯にしてよ。」
「おかえり〜。リハビリどうやった。」
「うん、いい感じ。棒に捕まって端から端まで歩けたよ。筋肉つけんなんね~。しっかり食べるよ~。」
「良かったわ~。あんたこの調子で頑張られよ〜。」
花子のリハビリは続く。
ー 麗華 独白 ー
野球をしていれば、嫌なことをすべて忘れられた。
大人の権威に負けたくなかった。父親の横暴な振る舞いが許せなかった。弱いものいじめの構図。あたられるのは女と子供と決まっている。父親の高慢な態度に心の中で悪態をついていた。ワタシたちは犬や猫じゃない、言葉のわかる人間だ。言葉で言い聞かせてくれればいいのに、と思い続けてきた。母への暴力、度重なるののしり声、罵声。それが毎日のように続く。
死んでくれ、心からそう思った。そうすれば母子三人で平穏に暮らせるのに。毎日が憂鬱だった。よく塞ぎ込んでいた。気晴らしになるのは学校。そして級友と一緒に遊ぶ三角ベースの野球。家に帰りたくなかった。できることなら友の家に連れて行って欲しかった。どこか遠くに行ってしまえたらな~。でも子供の自分が一人で生きていけるわけないし。
東京から夜逃げして富山にきた自分たち家族。事業に失敗して、毎晩、金策に走る父親。こんな父親を持った自分を、そして父と母と兄と、家族全員の存在を許してもらいたかった。恥ずかしかった、自分たちが人並みでないことに引け目を感じていた。友達に、そして、大人の人達からどんな目で見られているのか気になって仕方なかった。親の不仲、家庭不和、すべてを忘れるために野球をし続けた。
そんな自分を見るに見かねて、いつも一緒に野球をしている一郎が言ってくれた。
「お前はお前でいいねかよ。親がどうであろうとなんも関係ないねかよ。」
救われた。この言葉に救われた。この友と一緒に野球に打ち込もうと決めた。来る日も来る日も野球に明け暮れた。勉強も、ゲームも、憧れたアイドルのことも、何もかもすべてを振り払って野球に没頭した。それで苦しい毎日をやりすごした。きっといいことがある。見てくれてる人がきっといる。そう自分に言い聞かせて。
ワタシはこの仲間とずっとずっと野球をしていたい。この幸せなひととき、誰にも邪魔されたくない。だから負けられない。勝ちたい。絶対勝つ。
ー 花子 二郎からの相談 ー
新チームで、自分のやるべきことが整理できず悩む二郎。花子にそれとなく相談する。
「毎日毎日大変や〜。外野リーダーも任されたし、自分の練習もせんなんし、とにかく大変ながよ~。後輩はなぁーん言うこと聞かんし。監督からはギャアギャア言われるし。」
「だって、やる、いうて言うたんやろ~。仕方ないねか。そのうち上手いこといくちゃよ。」
さらっと返されキレる二郎。
「人の苦労も知らんと気楽なこと言うなよ。おまえに何がわかんがよ。こっちは毎日毎日、戦いながやぜ。もういい、おまえには話さん。相談したおわがダラやった。
お前も人のこと偉そうに言う前にぃ~、リハビリもっと真剣にやれや。いつまで車椅子に頼っとるつもりなんよ。いいかげん自分の力で歩けよ。もうおわっちゃ、大人にならんなん歳やぜ。」
悔しい。けど言い返せない花子。
二郎が去る。
あたしだって、リハビリ頑張っとるよ。なんも知らんとうるせーなぁ。あ〜っ、はがやしい(あったまくる〜)。なんとしてでも歩いてやる。
歩けるようになって、『野球の練習、大変やね〜、あんたも頑張られや〜。
って言うてやる。
ー 麗華 八回裏ツーアウト ー
「五番、サード、宍戸くん」
ウグイス嬢にコールされ、宍戸くんが打席に向かう。
「ん〜、富山のナックル姫かよ。厄介やな、こいつは。」
麗華の第一球は内角高めのストレート、ボール一つ高めに投げてボール。第二球、ボール一つ低くして内角高めのストレート。ストライク。宍戸くんは打つ素振りを見せない。
ストレートはショボいな〜。でもナックルを打たんなん意味ね~よ。女にこれ以上、甘い夢を見させるわけにはいかんやろ。場外までかっ飛ばしてやる。
次の球、きっと打ちにくる。第三球。麗華は、ナックルを投げた。
スカッ。
なんで。なんで当たらんがよ、おっかしーな。こりゃ場外なんて無理。いつも監督の言うとおりジャストミート。ヒットでもいいからしっかり当てて振り抜こう。
第四球。遅い球。あの変な揺れが無い、チェンジアップか。
スカッ。
やられた。ナックルを意識しすぎた。敵の思う壺かよ。
スリーアウト、チェンジ。金星まであとアウト三つ。
木伏の応援席は異様な興奮に包まれていた。特に父兄。優勝候補の湊に勝てれば、北信越に行けるかも、まさかの春の選抜もありうるぞ。待て待て、とにかくこのリードで逃げ切ることだ。力いっぱい応援だ。
応援席は「盛り上がりが足りない」の声援一色となる。ベンチから補欠の選手も応援席前に集まって、飛んだり跳ねたりしながら声援を促す。レギュラーも補欠も父兄も、全員が入り混じって応援席の気持ちはひとつになって盛り上がった。
ー 花子 歩きたい理由 ー
「先生、あたし歩けるようになって、湊高の応援に行きたいが。友達が湊高で野球部なが。試合にも出とるみたい。野球バカやけどいいやつながよ〜。応援に来て、ってゆうから行ってやろうかと思って。」
「おう、この調子で頑張れよ。もう、病気は治っとんがだから。リハビリするだけやぜ。若いもんはいいのう〜、楽しみがあって〜。」
補助棒無しで歩く練習。倒れてもいいように両側に分厚いマットが敷かれている。その真ん中をゆっくりと歩く、そう、ゆっくりと。
「先生、怖ないようなってきた~。歩いとってもドキドキせんようになった。慣れかな~。」
「もう、足は治っとんがだから当然やちゃ。自信持って歩けよ~。でもちょっこずつな。そのうち、早く歩けるようになっから。若いから、成長も早いし。
花ちゃんには、やろう、って気持ちだけよ、足らんかったんは。もう、病気は治っとるし、心が強くなるだけよ。」
「でも〜。こないだ二郎と大喧嘩してしもた。リハビリをもっともっと真剣にやらんなんな~、って思たわ~。」
「喧嘩すんがちゃ仲がいい証拠やぜ。いいちゃ、いいちゃよ、応援に行ってこい。その野球部のやつも負けられん、と思うやろぅ。別にいいねかよ、声かけんでもいいがだから。観に行きたいがやろぅ。」
ー 麗華 チームメートの美幸 ー
木伏の応援席にはユニフォーム姿の野球部員が最前列に整然と陣取っている。その中には野球の歴史が好きな美幸がいた。中京商対明石中の延長二十五回の球史にロマンを感じる女の子。麗華と同じ木伏の硬式野球部員。一人じゃ入部するのは心細かったけど、麗華が同じ部でラッキー。
美幸は野球が好きで、下手だけど、ライトで八番のライパチでいつも野球仲間に入れてもらってた。野球ことはいろいろ知ってる。特に高校野球の歴史が好き。旅行で行った甲子園記念館の入口の最初の一球を見て、鳥肌が立つくらい興奮した。ゾクゾクした。これが最初の一球か。あのモノクロ写真で見た最初の試合で投げられたボールには心が吸い込まれるような何かを感じた。
自分は上手くないからベンチには入れないけど、力いっぱい応援して、みんなに勝ってほしい。特に麗華には頑張って欲しい。
九回表、木伏の攻撃はあっけなく三者凡退。
ー 花子 母との会話 ー
「お母さん、あたし、県営球場に行きたいが。二郎の応援に行くわ。クルマ乗せてってよ。」
「いついね~。」
「湊高の準決勝の日。」
「二十二日やね~。十時からか。わかったよ~。」
「あたし、もう歩けっから。車椅子いらんからね~。」
「え、車椅子なしで大丈夫ながけよ。」
「大丈夫、大丈夫。もうリハビリで歩いとっし。階段も登っとっし。」
「あんたね~、そんながやったら家でも歩かれよ。車椅子いらんがだろう。うちん中やったらつまづくところもないやろうし。リハビリにもなんねかいね。」
「お母さん、あったまいい。そうやね、そうすっちゃ、家ん中でも歩くちゃ。頑張っからね~あたし。」
とうとうこの日がやってきた。リハビリに本気になってくれた。良かった。待っとった甲斐があった。
感極まる母。
ー 麗華 湊の応援団 ー
湊の応援は、太鼓以外は肉声の、いたってバンカラな応援だ。有志の生徒も声を張り上げ応援する。存在感を示すのは三十人程度の野球部員の応援団。いつものハツラツとした応援を繰り広げている。
リーダーの浅尾がブツブツ呟き、ウロウロ歩いている。黒の学ラン、頭には白のハチマキに「必勝」の赤い文字。グラウンドを見やったり、敵側の応援席の一点に目をやったり、、、。
なんとかせんにゃ〜、なんとかせんと。ここは一発、盛り上がりが足りない、でやり返すか。田中、ボード出せ。最初のかけ声も頼んちゃ。
「も、もり、もりあ、盛り上がりが足りない。」
サブリーダーの田中の声が球場内に響き渡る。
続けて全員で絶叫する応援席。
「も、もり、もりあ、盛り上がりが足りない。」
応援に来てくれている陸上部の女子生徒や有志の男子生徒も含め、声援が巻き起こる。
ベンチ入りしてる選手達は活躍したら褒めてもらえるが、俺ら応援団を褒めてくれる人は誰一人としておらん。でもいいがよ、自分のためにやっとんぁだから。あっつい(暑い)けど学ラン着て応援して汗だくになってもいいねか、応援しすぎて声が出んようになってもいいちゃ。俺らの声援でナインの背中を後押ししてやりたいがよ。勝ってくれや、頼む。最初のバッター、塁に出ろ!
ー 花子 母の思い ー
可哀想な花子。先天性の病気で歩けんかった花子。頭が良くて聞き分けが良い子。きっとやるせない思いを抱えて生きてきたことやろう。
病気が治った、と聞いたときはホントに救われた思いやった。生まれてきれくれて良かった。これからあの子の人生が始まる。何のハンデもない自由が、ようやくあの子に与えられたんや、と神様に感謝したもんやった。
でも、長い車椅子生活があの子をダメにしたがかね〜。車イスから離れようとせんがよ。リハビリを嫌がるがよ。せっかく病気が治ったがに。
でも、無理強いはできんわ。イヤイヤやらせても、すぐ止めるやろう。
あの子の人生やもん。自分で責任を取らせるしかないがよ。あの子が本気で病気を克服する気になったら全力で支える、どんな名医にでも診てもらう。それこそ死にものぐるいで働いて治療費くらい稼いでみせっちゃよ。だってあの子のためやもん。
ほんま、ジロちゃんのおかげやわ、あの子が花子を助けてくれた。リハビリも行くようになったし。いい友達やね~。ありがたいことやわ〜。
ー 麗華 最終回のマウンド ー
投球練習を終えた麗華。いよいよ最終回、この回で締めくくってやる、と意気込む。
スライダー、チェンジアップ、ナックルを駆使してどの打者も追い込むのだが、球が軽いせいか、指のかかりが甘くて変化が鈍いからか、バットに当てられヒットにされてしまう。単打二本で無死一塁二塁。ピンチを迎える麗華。浩太がタイムを取り、マウンドに向かう。内野手も全員マウンドに集まる。
「もうやだ。最後はストレートで勝負する!変化球でかわして打ち取れる打線じゃないよ。ワタシに考えがあるの。相手は右打者だし、追い込んだら最後はインコースのナチュラルシュートをキレ重視で力一杯投げたい。敵はストレートだと思い込んでるから、打ち損じるよ、きっと。ワタシの変化球だと球威がないから、当てられたら外野の頭を超えてっちゃう。そしたら終わりだよ。あと一歩のところまできてんだから、ワタシの思うように力いっぱい投げさせて。」
サードの宏人が麗華に詰め寄る。
「お前だけの試合じゃないやろが。おわっちゃ全員の試合やぜ。一人芝居もたいがい(いい加減)にせーや。」
ショートの良純が言い返す。
「いいねかよ、ピッチャーが勝負したいがやから、いっちばんいい球、投げさせたれよ。」
マウンドで揉めるナイン。ついに宏人と良純の取っ組み合いが始まる。外野から、キャプテンの一郎がダッシュで駆け寄ってくる。
「お前らいい加減にせーよ。審判に怒られんねかよ。ここはバッテリーに任せようや、な、浩太。」
「ふざけんなよ。なんでこんなやつに試合の最後に投げさせんがよ。監督はなん考えとんがよ。」と、捨て台詞を吐き捨てて守備位置に戻る宏人。
監督は何も言わない。ただ見守るだけ。審判に何と言われようが動かない。たとえ試合後に高野連から苦情を言われ、注意を受けても構わない。あいつらが自分達でこの局面に立ち向かえばいい。大人になってもきっとある、こんな揉め事くらい。
やっぱ、みんながどう思おうが関係ない、だってワタシの真剣勝負だから。
最後まで自分の我を貫く麗華。したいようにすることにした。
試合は、湊の八番バッター佐藤に逆転サヨナラ3ランを打たれる劇的な幕切れとなった。思惑どおりナチュラルシュートを打ち損じさせたはずが、力でフェンスを超される打球となった。
「しょうがないよ、力いっぱい勝負したもん。」
麗華はサバサバした様子。
帰りのバス。誰も何も喋らない。シーンと静まり返っている中、さっき言い争ったばかりの宏人が麗華に近づいて来て言った。
「お前のことは絶対許さん。でも最後の直球はいい球やった、それは認める。打たれたがはしょうがない。向こうが一枚上手だったがやろ。」
ムッとする麗華。でも言い返せない。
心のなかでは、、、。
うるせーな、お前になにがわかるんだよ。絶対許さん、なんて何様のつもり。ピッチャーは試合を作ってんだよ、野球はピッチャーが投げて初めてバッターが打てるんだよ。後ろで守ってるオメーらに何がわかるって言うんだよ。
ー 花子 準決勝に進んだ二郎と ー
「二郎〜、おる〜。」
玄関口で呼びかける花子。まだ車椅子に乗っている。
「お〜、どうしたん。さっき帰ってきたとこや。今日も勝ったぞ。おわのサヨナラホームランで大勝利や。」
「えー、スゲー。大活躍やん。」
負けたくない。絶対に、絶対に二郎には負けたくない。あたしだって生きとんがよ。あたしの人生これからながよ。自分ばっかり野球に青春賭けて。見とられよ。もっともっと頑張るからね~。
今日も病院でリハビリ。
「先生、もうだいぶ歩けるようになったから、外歩いてみてもいいけ〜。」
「お、やる気満々やの〜。おっし、おわも一緒に行ったっちゃ。」
外を歩く花子。風が、そよ風が吹く病院の庭。初秋の季節の花が咲く。ほんのりとそよぐ芳香。そうや、今、秋真っ只やねか。今まで気づきもせんかったわ、そんなこと。
いいな~、外は。
犬が散歩してる庭。
あたしも犬欲しいな~。一緒に庄川の河原で犬とダッシュしたいな〜、万葉線の電車を見ながら。犬なんかに負けんもんね。もちろん二郎にも。あれっ、なんで二郎が出てくんがだろう。あ、そやった、県営球場に行かんなんがやった。準決勝か、勝てば北信越やったっけ。勝てたらいいな~。
ー 麗華 気づく ー
木伏ナインは日々の生活に戻った。
今日も練習が終わりトンボかけに取り組む麗華。寝ても覚めても、試合後の宏人のキツい言葉が頭から離れない。
ふと、麗華のトンボがけの手が止まる。そんな麗華を怪訝そうに見つめるチームメイト。
「どうしたん、麗ちゃん。なんかあったん、ボーッとして。」
美幸が声をかける。
「なんでもない。気にせんでよ。」
美幸はいいやつだ。試合にも出れないのに、毎日毎日、朝から晩まで練習に来て。何が楽しいんだろう。
練習が終わり、美幸と二人で家に帰る麗華。
「野球はいいわ~。みんなが本音を言い合って、練習して、泥だらけになって。部活が終わったら、ジュース飲んだり、アイス食べたり、バカ話したりして。
今やよね、今しかないがよね、こんなふうにしとられんがも。卒業したら、あたし、働かんなん。
妹たちがまだ小さいし、母さんが共働きやから家のことも手伝わんなんし。あたしがやらんなんから。」
美幸が話すのを上の空で聞きながら、歩いていてふと気づいた。
自分が人のために何もしてないことに。そして、父親と同じ我儘な振る舞いをチームメートにしていたことに。
愕然とした。
エッ、ワタシはあの嫌な父親と一緒ってこと。ちょっとまってよ。そんな〜。
じゃだめじゃん。ワタシってダメダメじゃん。ショック〜。
そうだよ、何も言い訳できないよ。みんなのこと無視してさ。皆んなと一緒に勝ちたい、とか言ってたくせに、ろくにみんなの言うことも聞かないでさ。独りよがりもいいとこじゃん。ワタシってそんなにダメなヤツってことか〜。あ~、最悪〜。
こんなワタシでいいのかな。自分のことばっか考える自己チューなワタシで。
考え込む麗華。
でも、負けたあの試合の最後のあのピンチは、今でもあれで良かったと思う。だって、あのまま変化球を投げてても抑えれる相手じゃなかった。
チームワークって、馴れ合いとは違うよね。人の言いなりになることじゃないよね。皆んなは心配してくれたけど、あたしの意見と違う配球を考えてくれた人はいなかったよね。そう、あれで良かったんだよ。
でも、聞く姿勢は持たないと。それは反省だな。そうだ、ホントのチームワークをこれからみんなで作り上げるんだ。とにかくやらないと。やる気を見せないと。ウダウダ言ってても始まんないよ。そうだそうだ。
一からやり直しだ。自業自得だ、しょうがない。みんなに許してもらえるよう、練習するっきゃないね、頑張ろう。
ー 花子 克ちたい! ー
来たよ来たよ、県営球場。なんちゅ古めかしい球場ながけよ。えーっと、湊の応援席は一塁側か。
「ソレソレソレソレ、オー湊、湊、湊、湊〜、ハイハイハイハイ。オー、、、」
やかまし〜い。もう、応援始めとっぜ。湊の野球部はこんなんばっかりや。野球バカ、ほんとに野球バカ。でもすごいけどね。野球一筋やもんね。尊敬するわ、ホントに。
ゆっくりね、ゆっくり歩いていけばいいがだから。どっだけ歩く練習したかわからんわ~。野球部の練習量には負けるけど。
ここで最大の難関がやってきた。
階段だ。
スタンドに入るには二十段ほどある階段を登らなければならない。
キッツ〜。これ登らんなんがけよ。負けんもんね。応援に来たがやから絶対に登ってやる。どんなことしてでも登ってやる。
「手ぇ貸そうか、花ちゃん。」
「いいが。あたし一人で登るから。大丈夫、見とってよ。」
一段目。右足から登る。しんど〜。ここまで駐車場から歩いてきただけでもしんどいがに。
おっし、二段目。
これがあたしの勝負やから。負けんからね、野球部に負けてたまるか、二郎に負けてたまるか。あたしは克つ。克ってみせる。
三段目、四段目、だんだん慣れてきた。二十段くらい屁でもないわ。
五段目、足は痛くない。リハビリで階段の登り降りもさんざん練習した。いける。
十段目、半分まできた。残り半分。焦らんと、ゆっくりと。ちょっこずつ、ちょっこずつね。
十五段目。あともうちょい。十六、十七、十八、十九、二十。
「着いた〜。登れた〜。やったぜ~。」
うわぁ~、外野の芝生の緑がキレイ〜。
風が吹いとる〜。
あ、トンボが飛んどる〜。
陽射しがまぶし〜い。
あたし、自分でここまで来れたんや。あとは、二郎の応援や。頑張られよ二郎。あたしも頑張ったからね。あんたも勝たれよ。
ー 麗華 準決勝のお手伝い ー
準決勝の朝、球場の周りにはユニフォーム姿の木伏の野球部員がいた。もちろん麗華もいた。宏人や美幸も一緒だ。彼らは県の高野連からの依頼で駆り出された大会運営スタッフなのだ。
宏人たちは自動車の誘導などに真摯に取り組んだ。観戦に来たお客さんから、たまに「ご苦労さま」と、ねぎらいの声をかけてもらうと戸惑ってしまう。観客の中には足の不自由そうな女子高生がいた。母とおぼしき付添の方と一緒だったことに美幸は気づいた。
「足の不自由な人も観戦に来とんがだ〜。親戚かなんかかな~。」
ー 花子 二郎のキャッチボール ー
湊の相手は高商学園。県内屈指の古豪。いつも甲子園への壁として立ちふさがる難敵だ。
キャッチボールを始める湊ナイン。
二郎が相方と近距離のトスを始める。徐々に距離を取りキャッチボールに移っていく。
「おわ、ゾーンに入っとる気ぃする。昨日のサヨナラホームラン、なんでかしらんけどスタンドまで行ったもん。無心無欲やね。」
「ダ〜ラ(バ〜カ)、なん調子にのっとんがよ。浮かれとったら痛い目に遭うぞ~。」
快晴。
白球が行き交う。真っ青な秋の空に。
シュッ、パン。
ヒュッ、パシッ。
球児は皆、外野の芝生の上で思い思いに躍動する。
二郎をじっと見つめる花子
「ジロちゃんに声かけんでいいがけよ。」
「いいがいいが。もう、疲れたし。ゆっくり観戦するわ。」
「変なが。」
花子の母が二郎を見つけて声をかける。
「ジロちゃ〜ん。頑張れ〜。」
気づいた二郎。花子の母に目を向ける。
あれっ、隣におんがは誰や誰や。花子か?車イスじゃないぜ。どういうこと。歩いた?、歩けた?。
力一杯ガッツポーズする二郎。そんな二郎を不思議そうに見つめる相方。
「どぅしたん、なんかあったんか。」
「なんでもないちゃ。こっちのことや。気にせんでや。」
おーし、こっちも頑張らんなんな。負けられっかよ〜。
ー 花子 準決勝 ー
二郎は奮戦した。その様子を翌日の地方紙から転載してお伝えする。
『令和五年九月、県秋季高校野球大会の準決勝第一試合は高商学園と湊高校の対戦となった。
球児が爽やかに躍動する県営球場には、時折、飛行機が飛び立ってゆくジェット音が響く。秋とは名ばかり。残暑の強烈な日差しを浴びて観客はみな汗だく。
強豪校同士は互いに譲らず、序盤戦は膠着した状態が続く。三回裏に先取点を奪ってからは湊ペースの中盤戦。
試合が動いたのはクーリングタイム直後の六回表。湊のエースがマウンドで足をつった。回復を試みるが叶わず投手交代。
高商は八回表の好機を逃さず二点を奪って試合を振り出しに戻し、勢いのまま九回表になだれ込む。一死三塁、スクイズで手堅く逆転。さらに追加点も奪って、湊の反撃を許さず逃げ切った。
一つだけ印象に残った点を付記したい。
湊ナインは皆、四球を選ぶと一塁側に一歩くらいの同じ位置に丁寧にバットを置いて一塁に向かっていた。石川県で同じ振る舞いをするチームを見たことがあるが、県内では初めて見た。嬉しい驚きだった。』
ー 花子 二郎と約束 ー
準決勝は終わった。
県営球場のスタンドの外は人だかり。二郎を探す花子。
「おった。」
一塁側スタンドの脇にいた二郎。やや意気消沈した様子。二郎の背後に近寄り、肩をポンポンと叩く花子。満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに話しかける。
「お疲れ〜。あたし、歩いてスタンドまで応援に来れたよ。頑張って歩いたよ。階段も登ったよ。二郎が頑張っとんがを見て、あたしも負けんように頑張ってリハビリできたよ。
あたし、一人で強くなったよ。」
「おう、そうか。頑張ったねか。これでバスケもできるようになったらいいの〜。また応援に来てくれや。」
頷く花子。
「今度は絶対勝つ。応援に来てくれたら今度こそ勝つから。そや、夏の決勝戦に来てくれや、な。」
「いいよ。夏の決勝戦やね。約束やよ。」
薬指を差し出す花子。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます。指切った!
照れくさくてたまらない二郎。友の目が気になる。
「じゃね、こっで(これで)帰っちゃ。」
ふり返らず、帰宅の途につく花子。
ニコニコしながら見送る二郎。自分がかなりハードルの高い約束をしてしまったことも知らずに。
ー 麗華 許してほしくて ー
秋の大会が終わり、木伏高校の校下周辺はすっかり秋の気配。冬に近づくこの時期は、雨模様の日が続く。ぬかるむグランドを避け、体育館の下でティーバッティングなどに励む。
バットを持つ麗華の手袋が赤い。手袋を外しタオルで血を拭い取る麗華。気づいた宏人が麗華に声をかける。
「もう、やめとけや。血マメ破れたんやろ。しばらく練習休め。」
「ううん、やる。みんなに許してほしいから。」
宏人がめんどくさそうに話し出す。
「誰が許さんゆうとんがよ。そんなやつおんがなら連れてこい。お前は頑張っとんねかよ。何を許してほしいがよ。皆んなわかっとっちゃよ、お前がチームのために尽くしとることは。」
絶句する麗華。
気づかなかった。まさか、あの宏人がそんなふうに思ってくれていたなんて。嬉しい。頑張ってきてホントに良かった。
「監督はおわっちゃに考えさせとんがよ。あの試合もわかっとって放ったらかしにしとったんよ。おわっちゃに自分等で解決させたかったがよ、そうに決まっとっちゃ。そやろぅ、マズい思たら、強制的に命令すりゃぁ済むことやねか。おわっちゃが揉めることはわかっとったがよ。高校生を試すやとかして、人が悪いよな〜監督も。
こっで(これで)わかったろ〜。ハイ、ケガ人はもう帰れ。手ぇ治ったらまた練習始めりゃいいねかよ。」
翌日。
麗華はバットを振らずに、球拾いやトンボかけ、ボール磨きなど裏方の仕事に率先して取り組んだ。一分一秒を惜しんで。まるで人が変わったように。そう、人が変わったのだろう。野球の鬼になる、そう決めた麗華。でも、独りよがりはもうしない。仲間と声を掛け合って、チームの一員として頑張ろう。麗華は強く心に誓うのだった。
ー 克ちたい! 勝ちたい! ー
あたしは、
ワタシは、
みんなが頑張ってるから負けないように戦った、そして、自分に克てた。
自分も戦うからみんなにも頑張ってほしい。この世の全ての人たちに頑張ってほしい。そして、みんなに負けないように、自分も頑張る。
自分もきっと誰かの力になっているはず、そう信じて。
自分に克ちたい。
そして、もっともっと大きなものに勝ちたい!
克ちたい! 勝ちたい!
完