私がオンラインで失ったのは「隣の人」だった
今度の月曜はコレ↓に参加予定です。
FBのイベントページで事前に問いかけがなされるスタイルも面白いなぁ。私は会話した後から、アレを言っとくべきだったみたいなのがポコポコ出てくるので事前に投げてくれてると予習できて助かります。
で、中野民夫さんからの問いは「オンラインでもできることはたくさんあるけど、失ったものは何?」
IT勉強会からWRAP(元気回復行動プラン)からあっちゃこっちゃのコミュニティイベントに好奇心の赴くまま飛び込んできたけれど、今年はそれが一気にオンラインへ変わってしまったから、モヤモヤゆらゆらと違和感はある。違和感はあるが「失ったもの」か…何が無くなってしまったんだろうと、ボーッと布団の中で考えてた。
そうすると、昨日とあるオンラインイベントでレゴシリアスプレイの講習中の対話が起きた場面の写真見せて貰ったなぁと。そういや自然に対話が始まる瞬間って昔、私の目の前でも見たなあと。こういう自然発生的に起きる対話の空間ってめちゃめちゃ好きだなぁと。
オンライン会議は「恋人」の構図であって「パートナー(夫婦)」の構図じゃない
この写真にあって、オンライン会議にないものって何かって思った時、ふっと「お隣さん」だと気がついた。
オンライン会議は、「ビデオをONにして」「表情豊かに」「ジェスチャーたっぷり」を心がけている。確かに相手にあなたの話を聴いてますよとなるだけ伝えようとすると私は自然にそうなる。で、それをお互いがやって画面で受け取ると、相手を正面に据えて相互にガン見の状態になる。これはツールの構成上どうしても避けることのできないものだ。
ただ、オンライン会議のこの構図って「恋人」の立ち位置だよなぁと。
恋人ってお互いガン見な位置関係取りたがる。だって、一緒に居る時は限られてて、「相手を知りたい」「相手に良く思われたい」「好きだと伝えたい」「好きだと感じたい」って必死。でも、もういい年なので「恋」ってしんどい。想いの伝え方が筋肉質っていうか、真っ向勝負っていうか。伝わるものは少ない(と思う)のに真面目になろうとすればするほど圧が高い。
オフラインの頃、対話が自然発生する時って話題提供な人の周りに自然に輪になったり塊になったりして同じ方向を向いてその人の話に聞き入っている「お隣さん」が居た。重い辛い話題は皆んなで分かち合い、楽しい話題は皆んなで倍増させる。一つの話を色んな人が色んな人生を経て色んな事を感じて、それを共有したいからこそ隣に近寄ってくる。一緒に目の前の事を味わいたいヒトが居る。あえて言うなら妻のようなヒト。サロンで出会ったような方々。
だから、「パートナー」のように一緒に問題を眺めてる隣の人が欲しい。
ユルく自然体で圧はない、「横を向いたらそこに真剣な笑顔がある」そんなのが欲しいなぁ。
圧の無い「お隣さん」感をどう演出するか
これまでオンライン会議でなんとなく感じていた(まぁ随分と慣れたけど)ドギマギする感じは「恋人」のようなコミュニケーションスタイルを強要されるからだったのかも知れない。(50前のオッサンに「恋」はキツイw)
と、オンラインでの信頼や対話をここんとこ色々考えているわけだけど、何か「お隣さん」感のような、「話題 対 私達」のような、同じ方向を向いていますっていう構図を演出できると私はぐいっと惹きつけられるのかもしれない。(ので、何か試さなければ)