noteに書き出して一年。
昨年の2月5日からnoteに想いを書くようになってから一年たった。
今からだと。18年前に『14才の母』で春馬くんに出会ってしまったからずっと応援してきた。年齢からして私が人生を全うするまで応援できると思いこんでいた!
初めはテレビドラマでの出会い。それから映画。舞台。写真集でいろいろな春馬くんにたくさん出会ってきた。
私は熱中もするけれど。あきやすい面も。音楽が好きで。というか音が好きなのかもしれない。楽器が好きで小さい頃はオルガンから始まりピアノを。中学一年になるとソフトボールに夢中になりピアノをやめてからは特に楽器に触れ合うことはなかった。
大人になって子育て中に子どもたちが子どもの合唱団に入ってからまた音楽の楽しさを思い出し。自分も混声合唱団に入り歌ったり、末娘が吹奏楽部に入ると、演奏会に行くことも増えて自然に娘が出ていない器楽の演奏会へ。
自分もずっと合唱をしている関係で合唱の演奏会に行くことも増えてずっと音楽まみれの生活だった気がする。それはほんとに楽しかった!楽器は胡弓、クラリネット。ウクレレ。お茶碗楽器の演奏。今はカリンバにハマっている。こんなにいろいろと気が移るのに、応援してきた表現者はずっと春馬くんだった。
早々と、天国に行ってしまった母は専業主婦で料理も好きだったからご飯を作っている時に何かの歌をいつも口ずさんでいた気がする。私が高校生の頃ステレオを買い昔からの映画音楽を買ってその頃習って着物の仕立てをし始めた時にその映画音楽を聞いていた。きっと若い頃どこかで海外の映画を見ていたんだろうなと思った。
結局私は音楽があればとても幸せな気持ちになる人になった。
春馬くんは役者だったけれど舞台でのキラキラ光るような歌声を聞いたとき、ファンであることは不動になった。もしかしたら歌わない春馬くんだったらこれほどまで、夢中にならなかったかな〜。いや夢中になったと想う!
18年前からのリアルで観てきたテレビ、映画、舞台そして写真集での言葉。
作品に対するすべての想いを、この一年で書いてきた。途中に会いたいために偲ぶための旅や、気配探しとか自分で言ってその様子も、書いてきた。そこに春馬くんがいたと思うだけで会えたような気持ちにもなれた。
私としても春馬くんがいなくなってしまってからの自分の気持ちをなんとかするためにも必要なnoteへの投稿だったと想う。ずいぶん心の整理はできたし備忘録としてもとても大切。
それでも書ききった今。また寂しくなってきている。いなくなってしまってから3年半経ったにかかわらず。今初めていなくなったことに向き合い始めた気がする。やっぱり一緒の世界で生きていたかったな〜と思ってしまう。春馬くんが幸せな家庭を作っていることや春馬くんによく似た子どももみたかったな〜。と想う。
春馬くんの人生は春馬くんのものなんだから。他の誰もが何も言う権利はないのに。未来の幸せな春馬くんもみたかったな〜。と想う。
春馬くんの作品をみて。春馬くんが残してくれた言葉を読んで。三浦春馬という素敵な表現者と対峙することができるけれど。
やっぱり春馬くんの人として幸せを想いたくなる。
きっとこんな感じで浮き沈みしながらも春馬くんのことを覚えていてnoteやXでつぶやき続ける私だと思う。
それでも、今は寂しくて仕方がないけれど。今世で春馬くんに会えたことは私にとってはとてもラッキーなこと。今は寂しくても会えて良かった!これからもnoteやXで素敵だった春馬くんのことをつぶやき続けてずっと覚えていたいと想っています🌸🐎
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