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海外、ゲイ、一人暮らし、匂いと記憶

海外に引っ越してから、8ヶ月が経とうとしている。
はじめは自分の海外生活への適応能力の低さに絶望していた。でも、少しずつここでの生活にも慣れてきた。
なんだ、意外と適応できてんじゃん。
と、絶望とおさらばできたかと思えば、それとは引き換えに一人暮らしの寂しさが浮き彫りになった。

今度は寂しさに打ちひしがれている。
絶望したり、打ちひしがれたり、感情が騒がしい。

引っ越してから変わらない唯一のことといえば、マッチングアプリであまりにもマッチングしなさすぎてブチギレそうになることくらい。

「こんなにマッチングしないなら“マッチングアプリ“なんて名前つけるべきじゃないだろ」と思わず独りごちたら、僕の中のもう1人の自分が、「マッチングしないのは本当にアプリのせいなのか?(お前自身の問題では?)」と囁いてくる。
それを無視して、「アジア人って人気ないんだなぁ。」と独りごちたら、今度は、「マッチングしない理由は、本当に”君がアジア人だから”なのか?(お前自身の問題では?5秒ぶり2回目)」と囁いてくる。うるさいなぁ、もう。

絶望したり、打ちひしがれたり。はたまたブチぎれそうになったり。
もちろん楽しいこともあるにはあるんだけれど、まぁ、そんなことは書いてもしょうがない。

他にも8ヶ月で変化したことはいくつかある。

引っ越してきたばかりの頃は、異国の地下鉄やスーパーの独特な匂いがどうも苦手だった。日本とは違う救急車の聞き慣れないサイレンの音がどうしてもイヤだった。身の回りの全てのものを自分の体が拒否している感覚があった。環境があまりにも大きく変わったことに、身体がちょっとしたSOSを出していたのかもしれない。自分で希望して海外に来たのに、情けない。


ただ、時の流れに身を任せ、とはよく言ったもので、8ヶ月ほどたった今では、なんだかんだ地下鉄の硬いシートが変にしっくりくるし、スーパーの品物の乱れた陳列が妙に心地よい。

匂いもそう。

でも、匂いに関しては、しっくりきたり心地良くなったりというわけではない。「感じなくなった」が正しい。いつのまにか、引っ越してきた当初に感じていた異国の独特な匂いをほとんど感じなくなった。感じ取れなくなってしまった。

今日、地下鉄に乗ったときに、この国に来たばかりの頃に感じていた独特な匂いがふわっと香った。
最近はほとんど感じないのに。不思議だ。
あぁ、そうそうこれこれ。と、おばあちゃんちの畳の匂いをふと嗅いだような、懐かしいようななんともいえない気持ちになった。

そこにある匂いは変わっていないはずなのに、いつも嗅いでいると気づけなくなる。もう少ししたらこの匂いもさらに感じ取れなくなるのかもしれない。そう思うとちょっと寂しい。あんなに苦手な匂いだったのに。

匂いと記憶はやけに結びついてしまうから厄介だ。

金木犀の匂いも、新しい本の匂いも、花火のあとの焦げ臭さも、いろんな記憶と結びついている。思い出したいことも、思い出したくないことも、こちらの意識とは関係なしに匂いによって引っ張り出されてしまう。
それぞれの匂いにどんな記憶が結びついているかなんて野暮な話はしないけど。


ここでの生活はあと2年。
このなんともいえない独特な異国の匂いは、どんな記憶と結びついていくんだろう。



さて、何を書きたかったのか。いつものことながら文章の締め方がわからない。とりあえず僕はマッチングアプリで少しでもマッチングできるように筋トレ頑張ります。

今日も良い1日を。




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