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もっと普遍的な「しあわせ」の話

仏教の有名な教えのひとつに、「足るを知る」という言葉がある。人間の欲望にはきりがないから、いい加減なところで満足できた方が幸せだという意味だ。しかし、「じゃあ今日から晩ご飯はおにぎりひとつで満足しよう」と言っても、そううまくはいかない。ぼくたちはどうすれば足るを知ることができるのだろうか。

ぼくは寿司屋でバイトをしていた時に、食べては帰っていくお客さんを見ていて、おもしろいなと思うことがあった。高級なネタをお腹いっぱい食べていくおじさんよりも、安めのネタを数皿食べていくお兄さんの方が幸せそうに見える。そういったことがよくあったのだ。

同じものでも、満足できる人とそこまで満足しない人がいる。その人にとっての「これくらいが普通」という基準が人それぞれだからだろう。こういった、満足のラインを満たす、もしくは超えることで得られる満足感は、たしかにどこまでもきりがないように思える。

しかしそれが全てなのだろうか。ぼくは欲望を満たすことで得られる満足感とは別に、心が満たされることで得られる満足感というのもあると思う。例えば、コンビニ弁当ばかりを食べていたサラリーマンが、久しぶりにおばあちゃんのあたたかいみそ汁を食べたら、いつものようにお腹いっぱいにはならなくても、心がぽかぽかしてきてそれで十分だと思えるみたいなものだ。

このような満足感は、欲を満たして得る満足感よりも普遍的である。足るを知るには、この"心を満たす満足感"がそばにあることが大切で、それこそが豊かさなんだとも思う。来週は「豊かさ」でよろしく。

2023.10.11 いぬつか ゆうき

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