![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118666064/rectangle_large_type_2_5c37f94e519f04f30dd09a637b1d0061.jpg?width=1200)
もっと普遍的な「しあわせ」の話
仏教の有名な教えのひとつに、「足るを知る」という言葉がある。人間の欲望にはきりがないから、いい加減なところで満足できた方が幸せだという意味だ。しかし、「じゃあ今日から晩ご飯はおにぎりひとつで満足しよう」と言っても、そううまくはいかない。ぼくたちはどうすれば足るを知ることができるのだろうか。
ぼくは寿司屋でバイトをしていた時に、食べては帰っていくお客さんを見ていて、おもしろいなと思うことがあった。高級なネタをお腹いっぱい食べていくおじさんよりも、安めのネタを数皿食べていくお兄さんの方が幸せそうに見える。そういったことがよくあったのだ。
同じものでも、満足できる人とそこまで満足しない人がいる。その人にとっての「これくらいが普通」という基準が人それぞれだからだろう。こういった、満足のラインを満たす、もしくは超えることで得られる満足感は、たしかにどこまでもきりがないように思える。
しかしそれが全てなのだろうか。ぼくは欲望を満たすことで得られる満足感とは別に、心が満たされることで得られる満足感というのもあると思う。例えば、コンビニ弁当ばかりを食べていたサラリーマンが、久しぶりにおばあちゃんのあたたかいみそ汁を食べたら、いつものようにお腹いっぱいにはならなくても、心がぽかぽかしてきてそれで十分だと思えるみたいなものだ。
このような満足感は、欲を満たして得る満足感よりも普遍的である。足るを知るには、この"心を満たす満足感"がそばにあることが大切で、それこそが豊かさなんだとも思う。来週は「豊かさ」でよろしく。
2023.10.11 いぬつか ゆうき