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昼寝の天才に学ぶ、この息苦しい社会の過ごし方

「どれだけ充実した人生を送れているか」という指標が、「どれだけ生産的であるか」と同義になったのはいつからなのだろう。
私たちは幼い頃からしばしば「ダラダラするな」と叱られてきた。この年齢になって人からそんな言葉をかけられることは皆無だが、私は依然として、この社会からそのような囁きが聞こえてくるのだ。
「何者かになれ」「何かを生み出せ」「生産的でないなら生きてる意味はない」

生産至上主義のこの世界では、目に見える成果しか生産的だとは呼ばない。
年収、偏差値、学歴といったものから、本を何冊読んだか、ゲームのレベルはどのくらいか。
他人と比較しやすいものばかりに目を向けて、人としての価値の優劣をつけていく。
しかしながらそこには、自分だけが感じる、心が温かくなること、幸せだと思えること、無心で手を動かせるものなど、他人と共有できないことは含まれない。
自分や社会が価値だと認めるものでしか良し悪しを判断できない、薄っぺらい人生の充実度。

そんな思想に違和感を持ちながらも、染み付いてしまった感覚はなかなか消えない。
なにもせずに1日が終わってしまった時のなんとも言えない罪悪感、授業にも出ずに飲み歩く大学生に対する嫌悪感。それらを感じるたびに、自分が生産至上主義に取り憑かれていることを実感する。

そんな時に、のび太くんを思い出す。彼はこんなことを言っていた。

「ことしは、計画的になまけていたんだ」

お母さんからダラダラするなと叱られ、先生からテストの点が悪いと廊下に立たされ、友達からはスポーツで活躍できないから怒られ、、、生産至上主義のど真ん中に立たされているのび太くんは、そんな世界から離れ、昼寝やあやとりが大好きな自分を肯定している。

こんな息苦しい世界を、のびのびと生きているのび太くんを見習って、好きな音楽でも聴きながら、一日中芝生に寝っ転がって空を見上げたい。
少しの罪悪感なども抱かずに。

来週は「音楽」でよろしく

2023.10.28 はる


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