わたしへの手紙 NO.2
アルバムの中では、このわたしの満面の笑みの数十分後に撮った写真はどれもブスっとふて腐れ顔ばかりだった。
これはわたしが七五三の3歳の時の写真。洋裁の仕事をしていた母が作ってくれた新しいワンピースを着てご機嫌で近所の神社へ。新しいワンピースに白いタイツ。きっと幼心に、七五三というイベントで、自分が主役なのを感じてワクワクしていたんだと思う。
しかし、神社で目の前を同じ年頃の女の子が七五三の華やかな着物を着て歩いてすれ違った時、わたしのスイッチが入ったのだ。
「なんでわたしは着物じゃないのっ?!」
もちろん、単純に華やかな可愛い着物を着たかったんだ。でも、それだけじゃなかったと今のわたしは思う。
きっと、同じ舞台のはずなのになぜ自分はワンピースであの子は着物なんだ!わたしだって本来着られるはずでしょ?!という自尊心から悲しくて悔しかったんだと思う。
わたしの主星は、偏印。主星とは四柱のうちの月柱にある、社会での自分の顔や仕事に関することをみる、自分を構成する星たちの中でも表面に出やすいとても重要な星。
偏印は知性の星。人が知らないことを知りたがる好奇心旺盛な、破壊と創造を愛するクリエイティブな人が多い。風の時代と言われている現代を象徴する星の一つだと思う。
オシャレな人や人とはひと味違うセンスを持つ人は偏印を持っていることが多い。偏印の人にとって、自分なりのユニークさや自分の世界観にマッチした服を着ることや部屋を作ることは、生活の中でとても大切なことなのだ。
だから、3歳の頃のわたしのように着飾ることへのプライドの高さは偏印ならではのもの。晴れ舞台には、自分が100%満足する完璧な装いで挑みたかったはずなんだ。
そして、主星は適職や天職を考える際にもみる。偏印は、占いと縁の深い星。小学生の頃、マイバースデイという占い雑誌を毎月順番に1冊買って放課後3人で夢中になって読んだ。人見知りだったわたしは、たくさんの人と直接話せなくても、その人がどんな人なのかにとても興味があった。
そして現在は、その占いを仕事にし始めた。たくさんの人が生まれた来るときに自分で決めた人生の地図を渡す役目を担うことを決めた。
わたしの自星は、食神。自星とは四柱のうちの日柱にある、プライベートな自分を示す星。
食神は、通称5歳児の星と言われている。素直で、自分の気持ちに正直な愛されキャラの星。表現することが好きで上手な人が多い。心地いい、気持ちいい、美味しい、楽しい、嬉しいの感情が顔にでやくすくわかりやすい。永遠に5歳児の心を忘れないからか、大人になっても実年齢よりも若く見られる人が多い。
以前、イチローが言っていた。『25歳に見える45歳もいれば、45歳に見える25歳もいるでしょ?僕は前者の心持ちで生きているから。』この言葉を聞いてから私の中での年齢へのブロックは崩壊した。年齢はただの数字、背番号みたいなものなんだなと解釈したからだ。歳を重ねるごとに滲み出てくる、人としての思慮深さは大切にしたいが、私の中の食神が刺激してくるワクワクには素直に反応していこうと思っている。
食神は体を動かすことが好きなのも特徴だ。かくゆう私は、アラフォーになって突然サーフィンに目覚め、20代のコーチに教えてもらいながら一回り歳の違う仲間とサーフトリップに行く。何かを始めるのに遅いということはない。やりたい!と気持ちが動いた時こそが、始めどき。その人のベストタイミングだと、純粋に思う。