Live in the moment.〜瀬戸内の旅〜
先月、わたしは友人と二泊三日の瀬戸内の旅をしてきた。
出発の日は幸運にも、梅雨の晴れ間となった。
この旅の始まりは、3月にさかのぼる。
わたしが、会社の懇親会で瀬戸内にある宿の宿泊券を当てたことから始まった。
生口島にある、知る人ぞ知る高級お宿、Azumi Setoda。
神様からのご褒美だと思った。
わたしは、旅をするとき細かい予定は立てない。
いくつか目的地だけを決めたら、あとはその時の流れ・タイミングに任せる。
そこで何が起きるのかを楽しみにしているからだ。
今回のメインは、Azumi Setodaに泊まることと、しまなみ街道を自転車で走ることだった。
旅を終えてから気がついたことが、この二つのメインにある共通点だった。
それは、『この瞬間を感じて生きること』だ。
Azumi Setodaは、製塩業や海運業を営んでいた堀内家という豪商の邸宅を改修し宿として再生した。
部屋は、水回りも含め、ほぼヒノキでできていて、部屋に入った瞬間ヒノキの香りに包まれるなんとも贅沢なつくりだ。
無駄なものは一切目につかないようになっていて、もちろんテレビはない。
部屋の真ん中には大きなベットが配置されていて、その周りにソファや長机とベンチがある。
この部屋が意味するのは、『くつろぐ』ことだ。
それは、五感を休めることだった。
ヒノキの香りで癒され、テレビのない時間で脳を休める。
そして、無駄なものが置かれていない部屋で目にストレスを与えない。
本来なら一泊10万円の宿だ。
それは、その空間に身を置いて、感じることに支払われる金額なんだと体感した。
(そこに、無料で泊まったわたしは、人のふんどしで相撲を取ったような気分だったが、それも運を掴んだ、ということにしようと思うことにした。)
儚い一泊の限られた時間の中で、わたしは精一杯、この宿の空間を味わった。
しんと静まった廊下や、歴史と新しい世界を融合させた『間』を尊重したつくりと自分が一体になった気がした。
それが、なんだかわたしには心地よかったのだ。
二日目、わたし達は、自転車をレンタルして、しまなみ海道のサイクリングに出た。電動タイプは乗り捨てができないので7段ギア付きのシティサイクルで。
三つの大きな橋を渡る、約47キロの道のり。
橋というのは、見ているときはわからないが、橋のたもとは急な坂になっているし、橋の前後は緩やかな坂がだらだらと続いているのだ。
下りは、まるで仮面ライダーのように颯爽と駆け抜けるのだが、上りは地獄だ。
わたし達は、しまなみ海道を完全になめていたようだ。
それは、6時間半の過酷な修行だった。。。
スタートして数キロで、股が悲鳴を上げた。笑。
この日は夏日で、炎天下の中、ひたすらこぎ続けた。
道の駅ごとに休憩し、こまめに水分をとりながら。
景色が美しいと感じる心の余裕はなかった。
それでも、まるで何かに取り憑かれたかのようにわたし達は目指す今治までの道のりをひたすらこぎ続けた。
途中で諦める、という選択肢はなかった。
禊ぎのような1日だったが、人生のなかでもかなり貴重な経験と思い出になった。
こいでいる間、何も考えることができない。
その瞬間、こぐこと、進むことだけに集中した。
まるで瞑想状態の6時間半に、わたしは、『今、ここにいる。』
という感覚を身をもって知った。
宿での時間にしても、しまなみ海道のサイクリングにしても、
今回の瀬戸内の旅で、わたしは
『今、この瞬間』に意識を向ける、いわゆるマインドフルネス的な在り方を体感した。
今、ここに居続けることは、なかなか難しいものだ。
ついつい、周りに気が取られて、答えを探し求めてしまう。
本当の答えや、本物の望みは、自分のなかにあるのに。
わたしは自分のなかで何か循環が始まった気がした、そんな瀬戸内の旅立った。
わたしの意識の大冒険と言えるかもしれない。
晴海 たお