[随筆]冬と過去
東京で暮らし始めて半年ほど経った頃、祖父に「東京でも星は見えるのか」と聞かれた。
新生活に浮かれ、そこそこ慌ただしく過ごしていたその頃の私は、その質問で初めて自分が一度も夜空を見ていないことに気づいた。
孫が暮らしている街の夜空を気にする祖父の感性がうらやましくなった。
それからはふと思い出したときに空を見上げている。
しかしまあ23区じゃたいして星は見えないようだし、私は星座を全然知らない。
唯一わかるのがオリオン座なので、冬は「オリオン座あるかな」という気持ちで夜空を見る。
空を見上げる瞬間は祖父のことを考えているが、オリオン座を見つけると思い出すのは高校生だったころのことだ。
私の人生において高校生活というやつはそこまで楽しいものではなかったため、戻りたいと思う気持ちや思い出は少ないのだが、生徒会役員として過ごした放課後の時間はわりと楽しかったなあと思う。
毎日遅くまで生徒会室にいて、役員の仕事をしたり一切仕事をやらずにみんなであそんだりしていた。
高校から家までの長い田舎道を自転車で帰る途中、一つめの大きな坂をのぼるときにオリオン座は見える。
坂の下から見上げる空は思っているより大きくて、毎日同じメンバーで帰り、毎日夜空を見ても飽きなかった。
あのころ一緒に過ごしていた友人のほとんどは、今どこで何をしているかわからない。
現在を知っている友人も、遠方で働いていたり誰かと結婚していたりでなかなか会うことがない。
会社員として生きた年月より学生だった時間のほうがまだまだ長いのに、「学生時代」は自分の感覚よりも遠い過去になっていて、思い出を引っ張り出そうとしてももはや鮮明でないものも多い。
ついこの前一緒に星空の話をしたと思った祖父は、年始に会ったときには少し忘れっぽくなっていて、以前と比べて受け答えがかなりぼんやりとしていた。
ずっと似たようなことを繰り返して生きていくんだと思っていたのに、変わってほしくないことからどんどん変わっていく。
ゆずの「友達の唄」「シュビドゥバー」「もうすぐ30才」が自分の心情に染みこむ形で理解できるようになった。
身の回りで起こる良い変化と悪い変化に振り回されているうちに、きっとまた長い年月が経つんだろう。
どうやって生きてもすべて過去になるのだから、どうせなら振り返ったときに楽しい過去になるように生きたいと思った。