「200字の書評」(367) 2024.11.25
こんにちは。
秋の深まりを木々の移ろいで知ります。朝晩は冷え込み、床暖のスイッチを押すことが多くなりました。半面、日中は小春日和とでもいうのでしょうか、散歩をすると上着が不要なほどです。秋と初冬が行ったり来たりです。立冬、小雪を過ぎこのところ急に気温が低下して、本来の気候に戻りつつあるようです。でも南方洋上にはいまだに複数の台風が発生しているとやら。温暖化故でしょうか。油断大敵、冬支度怠りなく。
さて、今回の書評は一種のメディア論です。
及川智弘「外岡秀俊という新聞記者がいた」田畑書店 2024年
新聞は社会の木鐸と自負していたが、部数も権威も危うい。しかし、現場には記者としての矜持を貫く外岡がいた。学芸部社会部海外特派員など多彩な部署を経験し、出世欲は無く社内抗争に与せず、世相や政治に右顧左眄する経営陣には距離を置いた。ジャーナリスト魂を貫く、朝日新聞を体現する一人であった。文学賞を受賞する作家でもあり、その文体は流麗にして硬質であった。凋落する新聞界を支えるべき稀有の人材であった。
<今月の本棚>
半藤一利/保阪正康「失敗の本質 日本海軍と昭和史」毎日文庫 2024年
戦前軍国日本を主導したのは陸軍であり、海軍はスマートであったとする風潮が流布している。果たしてその実像は。戦後一人の将官が存命中の提督(将軍)たちを訪ね、当時の状況を語ってもらった。その記録を中心に他の残された文書や資料を参照しつつ、二人の歴史家が日本海軍の姿を丹念に解き明かしていく。海軍省と軍令部、作戦、装備、人事、教育、政略など明かされるのは、負けるべくして敗れた必然性であろうか。
平野貞夫「衆議院事務局 国会の深奥部に隠された最強機関」白秋社 2020年
自治体職員なら議会対応を経験し、議会事務局の役割は承知していると思う。議会運営を下支えする役割で議長、委員長などの会議運営に欠かせない次第書を作成するなど、円滑な運営を担っている。議員の質問通告書を執行部側に届けたり、時には議員の動きと傾向を示唆してくれる。国会の事務方は雲の上のようで、その実像は想像しにくい。地方議会とは規模と役割に天と地ほどの違いがあるのだろうが、議事法と議事規則、前例などに基づいて動く基本は共通するはずだ。平野は長く衆議院事務局に勤務し、議長秘書や委員部長などを表稼業にしてきた。その調整能力と前例・故事来歴に通暁しているので議員や政党関係者から相談を持ち込まれ、知恵を貸し舞台回しの役を務めている。歴代首相が抱えた難題に国会はどう動いたのか、裏側を覗くことができる。退職後は郷里の高知県より参議院議員に選出され、小沢一郎の懐刀であった。本書には驚くこと多し。現在YouTubeで佐高信、前川喜平と「3ジジ放談」を展開している。とにかく異色で、忖度なく政治の裏側を抉っている。お勧め。
谷津矢車「二月二十六日のサクリファイス」PHP研究所 2024年
二・二六事件とは何だったのか。関係する人物とその秘められた意図を思わぬ人物が探る。憲兵軍曹が協力を命じられたのは、何とあの満州事変の首謀者でエリートの石原莞爾。その憲兵は戒厳司令部参謀石原の思惑に振り回されつつ、事件の背後に蠢く、勢力の複雑な絡みに気づかされる。登場人物の性格と役割は想定外であり、皇道派対統制派の対立という定番の設定ではない、意外な結末が待っている。
石井千湖「積ん読の本」主婦と生活社 2024年
本の増殖に手を焼いているのは本好き、読書家共通の悩みである。まして作家評論家などにとっては深刻な問題であろうと想像に難くない。彼ら彼女らはどうしているのか。それを覗いている。ここで積ん読は悪いことではない、何が悪い。山ほど抱えていることに快感さえ覚えるひと群れの本好きがいることに安堵する。今読んでいる本、待っている本をどうしようかと悩む必要はなさそうだ。とは言え狭い自宅、書架はあふれているどうしようか。
冨田宏治・北畑淳也「今よみがえる丸山眞男―『開かれた社会』政治思想入門」あけび書房 2021年
直近の選挙と政治動向に民主主義そのものへの危機感を感じてしまった。もう一度基本を確認しなくてはと思いたった。それではやはり丸山眞男だろうと本棚を眺めた。膨大な十数巻の「丸山眞男集」は重すぎる、眼についたのが本書。2年前に(317)で取り上げたが、読み返すことは本当に勉強になる。目の前を通り過ぎただけだったものが、今度は胸に落ちてくる。丸山がライフワークにしていた日本の古層、執拗低音と呼ぶものの正体も説かれていた。さらに官僚の通弊である無謬性ゆえに誤りはありえず、それゆえに謝らない由縁の解明もされていた。これらはいずれも興味深いが、今は紹介にとどめたい。今日の事態を見越していたかのように、蔓延する陰謀論の危険性は民主主義の危機であるとしていた。また大衆の台頭はポピュリズムを常態化するとも見越していた。彼の言う「戦後民主主義の虚妄」に、私も賭けてみようと思う。
【霜月雑感】
▼ 53.85%。先の衆院選挙の投票率である。深刻な事態だと思う。衆議院選挙の結果の受け止め方は、それぞれの立場によって違う。自公が過半数割れし、野党が多数を占めた。政治の新しい形が実現するのだろうか。それを期待したいのだが、名ばかり野党もあって、そう簡単ではなさそうだ。かつての細川政権は8党派の連合によって成立したのだが、その実現には相当な政治力と腕力に加えて、担ぐに値する人物が必要であった。求心力という人望と支持をまとめ上げる力量を持った陰の主役は見当たらない。主権者がそれなりの自覚と見識を持つことこそ社会の基本だと思うのだが。もう一つ気になるのは、右派ポピュリズム系の伸長である。既存の組織政党が埋没する一方に、SNSを駆使してナショナリズムを煽り一定の支持を集める。どこか、この心情に戦前につながる不穏さを覚える。歴史の繰り返しは螺旋状なのだろうか。
▼ アメリカ大統領選挙も決着した。大方の予想は大接戦との見立てであったが、トランプの圧勝であった。メディアの偏りが明らかになったのだろう。私は民主党を積極的に支持するのではないものの、トランプのあの下品さ、自国中心主義、キリスト教原理主義、人種民族差別などには距離感を持つ。ウクライナ戦争、イスラエルの暴虐、対中関係、地球温暖化などなど懸念は泉のように湧くばかり。衰えが見えるとはいえ、世界の覇権国、影響は多大であろう。欧州などとはどのように付き合うのだろう。中露北をはじめ各国が彼の一挙手一投足を固唾をのんでも守るはずだ。日本には防衛負担増を迫るのだろうか。それを呑めないなら防衛しないというなら、日本から出て行ってもらえばよい。我が国は独自の哲学を示すべきだ。蛇足ながら民主党の敗北は、民主党自体の選挙戦略にあったとみている。高齢のバイデンの任期中に後継者を育てず、80歳を超えたバイデンを候補者にしたこと自体が問題なのだと思う。凡庸なトップは後継者を育てたがらないものだ。
▼ Eテレ「100分de名著」のファンである。続けて興味深い作品を取り上げているので、録画して熱心に見ている。まず『ドリトル先生航海記』である。まだ小学生のころだと思うが、母が買ってくれた。動物の言葉がわかって会話し、大変な物知りなんだという印象だった。少年とともにあちらこちらに冒険の旅をする、大カタツムリの殻に入って海底散歩すらしてしまう。夢のような話の展開に、小学生の心は弾んだ。テレビ画面の向こうに、幼き日々が母との思い出とともによみがえった。本好きになったのは環境のせいだろうか。
もう一つ、『百人一首』の巻だ。技巧や背景など文学的な解説は画面に任せて、昔の思い出に浸っていた。北海道の冬、家族や来訪者が室内で遊べるのが百人一首だった。下の句読みの下の句取り、取り札は木製。これが定番だった。中学生かせいぜい高校の頃までだったろうか家庭でカルタ取りをしたのは。テレビや遊び道具の普及はカルタ取りを後景に追いやってしまった。木札と読み札一式を未だに大事にしまい込んでいる。下の句に対応する上の句は何だろうと、興味を持って調べていくつか好きな句ができた。この季節なら「奥山に 紅葉踏み分け なく鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」(猿丸太夫)、「かささぎの 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける」(中納言家持)などが思い浮かぶ。
▼ 兵庫県知事選挙。民主主義の危うさと脆弱性が、またも露になった。何が事実か、政策の是非は?などは後景に退き、デマと虚言、事実確認ではなく印象操作、世代間対立と分断が持ち込まれたように見える。良くも悪くもSNSの威力が示されたようだ。米国のトランプ現象、都知事選の石丸現象に通じるものがありそうだ。特定の候補者による暴走も看過しがたい。豊かな言論空間を創造するはずのSNSを個人攻撃やデマと扇動に使い、あまつさえ視聴回数を稼ぐためには倫理を無視している。あの熱狂を見ると民主主義はファシズムを生む、とした識者の言葉が浮かぶ。プラトンは民主政は衆愚政治に陥りかねないと説いたという。時勢に抗して、事態を客観視できる<知性>が求められるのではないだろうか、と昭和人は思う。
☆徘徊老人日誌☆
11月某日 恒例の不良老人会、いつもの銀座ライオンにて開催。各自の最寄り駅からは交通上の結節点が銀座。自宅からは相互乗り入れの東上線有楽町線で一本なので便利。有楽町駅付近~数寄屋橋交差点~銀座7丁目まで人ひとまた人、それだけでお疲れモード。ライオンには早着の仲間が来ていた。その中には空路駆けつけたT岡氏も。今回のメンバーは6人、常連2人は所用で欠席、残念だ。話題は尽きないが、主に語ったのはそれぞれのルーツ。鋭い時評の筆を執るI石氏は綴る「皆元気で安心しました。話の中ではご先祖様の話が面白かった。淡路、新潟、岐阜、香川など幕末から明治にかけて、全国から北海道に開拓に入り、そこで北海道に文化を作っていったことが非常に面白い。わずか200年足らずの間に、いろいろあったでしょうが、多様性の文化が根付いたのが北海道だといってもいいでしょう。これからは、外国の多種多様の人々と、文化・言語・宗教を認め合っていく事が必要であると思いますが、世界の指導者たちはうまくやれるだろうか。そんなことを考えました。」と。共感します。そんなわけで、いつも大杯を干して昔話に興じていたり、世相を嘆じているばかりではないのだよ。それにしても広い北海道の各地から上京し別々の大学に通っていたのに、ほぼ60年を経ても集って語り合うとは縁の不思議さを感じる。1960年代、ややバンカラの残り香を感じる学生寮の良さだろうか。そんな語り合いの余韻に浸りつつ次回を約して、それぞれ新橋方面と有楽町方向に分かれて人ごみに溶け込んでいった。
11月某日 坂戸祭りのお知らせには、山車・神輿の巡行があり、山車の曳っかわせもあるという。当日駅前の辻に見に行った。交差点に5台の山車が集まって囃子と踊りを競っている。なかなか壮観だ。川越祭りの豪華絢爛な山車に比べるべくもないが、全部で9台の山車があるそうだ。各旧村と町内には山車に加えお囃子と獅子舞などの伝統芸能が保存されている。住民の熱意とそれなりの経済力があったことを証明している。この祭りはまだ2回目。こうした形で発表の場を設け、市民にアピールするのは大切である。転入者が多数を占め、郷土愛が育ちにくい土地柄では地元の伝統芸能に触れるのは市民意識を養う機会になるであろう。
11月某日 秩父ミューズパークへ家人と出かける。コロナ禍の時期には行けなかったので、数年ぶりの見物になった。銀杏並木と紅葉が見事だった。ミューズパークは西武グループが総合的なリゾート運動施設として開発し運営していたが撤退して、現在は秩父市と埼玉県が運営している。園地は尾根沿いに造成されていてかなりの高低差がある。園路の長さは約3kmに及び銀杏が金色に輝き、薄紅色の冬桜も存在を主張していた。その並木を往復すると1万歩を越し、折から吹き寄せる一陣の風に舞う銀杏吹雪は幻想的でさえあり、映画の一シーンを思わせる(「第三の男」の最後のシーン、墓地の出口で待つジョセフ・コットンの前をアイダ・ヴァリは無表情で通り過ぎる。その並木の深い焦点から歩んでくるシーンは印象的)。秋の深まりを実感した。帰りにひと山越えて風味絶佳のソフトクリームを、と思い秩父高原牧場を目指したが、すでに暮色迫り閉鎖していた。
寒風が吹き抜け北風小僧がやってくる時期を迎えました。どうぞ暖かくしてお過ごしください。