クリスマスページェントとお朔参り
今朝、子どもを幼稚園に送って行った帰り道。
とある信号が赤だったのでふと、横道に入って、近所の神社に行ってみようって気になった。家から一番近い神社の割には、氏神さんという訳でもなく、あまり足を運ばないんだけれど、手水舎が水琴窟になっていて、きれいな音が聞こえるので割と好きな神社でもある。
手水舎で手を清めて、水琴窟の音に癒されていると
ドン、ドン、ドンドンドンドン・・・ドン!!っと太鼓の音が聞こえてくる。
御祈祷でも始まるのかと思ったけれど小さな神社の小さな拝殿で、中には神主さん一人だけしかいない。
参拝客もわたしだけ。
そして、祝詞の奏上が始まった。
かしこくもなんやら・・・ついたちのなんやら・・・
あぁ、そうか、今日は12月の月初め、朔(ついたち)だ。朔に行う神事にたまたま居合わせたんだ。私はそのまま、拝殿の前で手を合わせた。お祓いをする時に、私の存在に気づいた神主さんが、私に向かってもお祓いをしてくれて、なんだか本当に御祈祷してもらってるようだった。なのに私はサイフも携帯も持たずにいたので、賽銭もなしにこんな神聖な儀式に立ち合わせてもらって申し訳なかった。
さらに、最後にもう一度祝詞のようなものを上げている時に、はっきりとしたセリフは覚えてないけど、"今参拝している者にも"罪や穢れを落としうんちゃらかんちゃらって言ってくれてて、神主さんの采配に心打たれた。
とても清々しい気持ちで神社を後にして家に帰ったけど、すぐに"やっぱりお賽銭入れに行こう"って心の声が聞こえて、こういう心の声は聞いた方がいいなと思って、お金を手にして引き戻したのだった。
あぁ、これでさらにスッキリした。
朝からのこの間髪入れないタイミングのよさにびっくりしたのと同時に、あ、昨日と今日で何かスイッチが切り替わったかもって思った。
そして、おもしろいことに、子どもは今日、幼稚園でクリスマスページェントがあった。キリストの誕生祭。またしても、キリスト教と神道がごちゃまぜの一家だけれど、神様に見守られているのは同じ。
今日の佳き日に感謝なり。
かしこみ、かしこみー。