硫黄山

津別町

北海道の東の方。いわゆる「道東ードウトウ」の地域にある林業が盛んな町というイメージ。豊かな大自然に囲まれた町です。
札幌から直線距離で227km。道程だと300kmを超え、車で約4時間半程かかります。(グーグルマップの計算なのでもっと早い人もいるかも知れませんが笑)
場所的にはここ⬇︎北見市の近くです。

一度だけ観光バスでここを通ったことがあります。

確か足寄(松山千春さんの地元)から網走へ抜けるためだったと思う。
足寄→美幌町→網走へ。
本当に大自然だけのシンプルな町で観光バスが寄るとこがないため、かなりレアなコースといえばそうなる。近くには阿寒湖や摩周湖、その昔クッシーがいると噂された屈斜路湖があるので、大抵はそちらを通ります。

もちろんツアーの行程を確認してる時に「津別町を通る」ということはわかっていたけれど、案内の原稿にも記述はほとんどなかったため「何もない」と思い、ツアー出発の前夜はその先にある美幌町や道東の歴史などの案内を復習していたのでした。

そして当日。お客様に北海道の歴史や雑談など諸々な話をしている時にはっと気づいた、というか思い出しました。
実はここ津別は父親の出身地で。と言っても父親も幼少の頃のみでそんなに長くはここに住んでおらず、その後は札幌市から車で一時間程の所にある江別市へと移り住みました。

広ーい北海道の移動中、時間はたくさんある。
そして確かにここ津別町には目立つ案内出来るものもない、本当に北海道ならではの自然に囲まれた林業の町、という感じでした。
なので堅い原稿の案内だけではなくこんな私事も雑談に交えながら喋ってました。

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「〜私の父は家系のルーツを調べていていろんな書物を取り寄せたりしながら<四国から来ていた>というとこまで調べていました。そこから先は現地に行かないと詳しいことがわからない、と。先祖は四国から来てここ津別に根を下ろしたようです。
 北海道は明治8年から30年代頃まで入ってきていた屯田兵で開拓されています。私のルーツを辿るとその中には屯田兵の1人としてここ北海道へ入植した人なんだと思います。
 開拓した土地は自分のものになる、豊富な土地があるので漁業や農業、豊かな実りが自分のものになる、という政府が出した甘い条件を信じてやってきた本州の方はたくさんいて、主に東北の人が多かったようですが次いで四国や九州、北陸の方が多かったそうです。逆に東京や神奈川、大阪の人はほとんどいませんでした。そちらは自分たちで十分商いができて富を得ることができたからでしょうね。
 いざ開拓に入ってみると実際には昼間でも暗いぐらい鬱蒼と生い茂る樹々と大小の様々な岩が転がる荒涼とした大地。一年の半分は雪の中で、食料も少なく寒さをしのげる建物もない、お腹を空かせたヒグマを刺激しないように…そんな厳しい環境と戦いながら、とても畑にもならないような状態の土地を開拓させられました。
 でもそんな状況でも移住したからには開拓するしか道はなく、厳しい自然や環境と戦いながら開墾しそれは現在の北海道の礎となったのです。」

<知床横断道路より羅臼岳>


 「例えば北海道日高地方にある「浦河町」は、九州にあった「河浦町」と友好都市になっています。というのもその昔、河浦町の人たちが現在の浦河町へと開拓に入ったという繋がりがあるからです。(河浦町はその後合併し、現在は天草市)
 以前、「地名の文字が上下逆になっているのはただの偶然です。」との浦河町町長の記事を見かけた事があります。それが正解なのだろうとは思いますが、個人的には入植した方達が故郷を偲び、でも「全く同じには出来ないから…」と逆さまにしてつけたのではないかと思っています。故郷の神社に似た形の社を建てたりしているのも帰るにも帰れない郷土への想いがあったからではないかと。北海道の地名はアイヌ語が由来のものが多いですが、こういった開拓者たちの出身地に因んだ地名も多いです。」

他にも広島からの入植者によって開拓された札幌市の南に位置する「北広島市」や、奈良県十津川村からの入植者によって開拓された「新十津川町」などがあります。

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そんな話も混じえながらその日の宿に到着。
一度ツアーに出ると滅多にしない電話を宿の赤電話からかけました。

ガチャッ。チャリンチャリン。ジーコ、ジーコ、ジーコ…プルルルルル

「もしもし、お父さん?今日ね津別通ったよ。通り過ぎるだけで止まって観ることはなかったんだけど。道路沿いに材木がたくさん置いてあったよ」
「おお!そうか^^ 何もないところだからな。でもいいとこだっただろ?」
「うん、今度はゆっくり遊びに来たいねぇ」

なにもない、と言いながら嬉しそうに話してた父の声を覚えてる。





*TOPの写真は摩周湖の近くにある硫黄山。

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