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知らない穴だ

1ヶ月ぶりの通院電車

 手持ちの薬が切れていた。無くても寝れるかなと思い寝てみたが空になったカルピスの原液ボトルに水を入れてシェイクしたような味わいの睡眠になってしまい、自分はまだ剤が必要だなとしんどさを諦めて通院電車に乗った。
 桜も葉が見え始め、気温も夏へ傾いてきた。上着は無くて正解だったなと思いながら電車の吊革に捕まりボーッと車窓から外を眺めていた。ふと上を見上げると一時期は穴だらけになっていた車内広告が桜が咲いたかのように全面埋まっていることに気がついた。少しは景気も良くなってきたのだろうか、ひきこもり暮らしの病人にとってどこか違う世界を眺めているような気分で眺めていた。

 その中に知らないコンテンツ、多分ゲームかアニメか、そこら辺りのキャラクターが描かれた広告があった。どうも新発売らしいがそういう意味で”知らないコンテンツ”と思ったわけではない。今まで、といってもいつからかは断絶していたことになるが電車の広告に出てくるほど拡張しているコンテンツであれば男性向けや女性向け、媒体などはほぼ関係なくどこかで作品名やキャラクターの名前、立ち絵などを何かしらで見かけることがあった。それがどうしたことか、今そこに入っている広告に描かれている作品名やキャラクターの立ち絵は何一つ見覚えがない。まさに文字通りの知らないコンテンツがあった。これがインターネットならばここまで記憶に残ることもなかっただろう、しかし事は電車の車内広告だ。暮らしが浮世から離れているとはいえ、こうして電車に乗って気づくまで何一つとして知らなかったコンテンツがあったということは古い言葉になるが自分のアンテナが低かったどころではなく、全く自分の視界には入らない盲点、ある種の底の見えない穴のような空白がかなり大きくなっていると思えた。

認知戦の外

 この一年通しで追っている分野では「認知戦」という言葉が使われている。ざっくり述べれば対象や事象について「どう知られるか?」や「どう知られないか?」、解釈されるされないを争っている際に使われる言葉だが自分は世の中から離れることで街という空間で行われている認知戦の外へ出てしまったようだ。
 先ほどのコンテンツに限った話でもなく、歩いてみるとそれまで自分には届いていなかった情報が膨大になっていることに気がつく。寒かった頃の空きテナントには工事が入り、あったはずのファミレスはジムになり、一時期は毎日のように経由していた駅のホームにもドアが付いていた。これはきっと街の中でも大きな部類に入る変化であって小さな変化はさらにたくさんあったのかも知れない。しかし大きな変化すら目新しい自分にとってはその大きな変化を感じるだけで精一杯となり小さな変化へ目がいくことはなく、どうにも刺激がという範疇ではなく疲れてしまい手足の震えを感じながら帰路につくしかなかった。

情報過多、あるいは穴だらけ

 今こうして文字を打ちながら歩いてきた街を思い出している。だがどうにもこれ以上に言語化できる感覚がない。何か一つ、それか組み合わせであればとりあえず言葉にできたはずがどこか困惑している。端的に述べれば空間を掴めなかった。その証拠に持ち出したカメラを構えるタイミングはただの一回もなく、ただ通院して帰ってくるしかできなかった。自分はいざファインダーを覗く前に肉眼である程度の構図に当てはまる空間を探してながら街や川のそこかしこを歩いている。この時に50mmならこのくらいの枠内、300mmなら、35mmならとレンズの画角に入る空間とその空間から構図に不要な要素をどう差し引きして空間を一枚の写真へ変換できるか考えてもいる。それが大きな変化に目を取られて意識も向いてしまうとどこかにあるはずの空間が全く見えなくなった。何も野生動物を探しているわけでもなく、ただ静的なモノや位置が構図を作っている空間を見つけるだけのことが他のことへ目や意識が吸われると全体把握すらできずに脳内は大きな変化を感じるだけで精一杯になっていた。

リハビリ

 きっと元の感覚を取り戻すには二つのハードルがあると思う。一つは出歩くことのリハビリがハードルであり、越える必要がある。長いこと画面を見ることが起きている時間を消費していた。今回はその弊害が出たのだろう、歩くにせよ構図を見つけるにせよ体力が必要であり周りに集中しながら歩いて見つけたらすぐに撮る体の動きもやり直しが必要だと感じた。そしてもう一つは街に慣れることがハードルに思える。何も変化だけが街ではなく変化と未変の組み合わせが街であり、また街であるからには人間が動いている。今の自分にはそれら全てが疲れてしまう要因になっていて、レンズを向ける隙間一つ見つける余裕がない。結論としては歩こう、となるが歩く場所を選んだ方が良さそうではある。きっと今は駅の周辺とかより街の縁、睡眠と起床が明確に分かれず喫水域のようになっている空間から身を慣らしていくのが良いのだろう。これから暑さで体力が削れる季節がやってくる。蝉の声が降る前に人間の姿を取り戻したい、初夏のような暑さに嫌気を覚えながらまた一つ諦めて出かける気持ちを作っている。

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