モース贈与論からみる返礼の重要性
前提
マルセル・モースによれば贈答文化には三つの義務があるという。贈る義務、受領する義務、返礼する義務である。世界中様々な地域で見られるこの三つの義務は時として神々や精霊、祖霊などを交えた文化儀礼として見られる。
背景と問題設定
本稿で主張するのは上記の三つの義務の中で「返礼する義務」の重要性である。なぜこの義務に着目したかというと多くの贈与論に関する議論は贈ることによる作用を検討しているが返礼することによる作用の検討が不十分であるという問題意識からである。例えば日本においては様々な贈答の場面が存在する。お年玉、お年賀、お中元、お歳暮などの風習からクリスマスプレゼントなどの文化もある。これらの風習や文化を誰に贈るかの視点で分類すると返礼を期待するか期待しないか、で分けられる。子供への贈与であるお年玉やクリスマスプレゼントを行う大人は子供からの返礼品を期待しない。対して大人から大人への贈与であるお年賀、お中元、お歳暮は返礼品とまではいかないがお礼の葉書などを送る義務や期待がある。またご祝儀や香典などを頂いた際は返礼品を贈ることが慣習として存在している。この子供への贈与と大人への贈与はどう意味が違うのか。
共同体の構成員としての義務
結論から述べれば返礼(贈答品やお礼状)を期待する場合は相手が共同体の構成員として認められている成人である場合であり、期待しない場合は共同体の構成員として認められていない未成年である。返礼品を期待する場合を正規贈与、期待しない場合を非正規贈与と仮定して考えると正規贈与は共同体構成員として認められる成人にのみ行われる。そして正規贈与の特徴としてさらにあげられる点は送り状の宛名を(相手家族や会社などの)共同体の代表者にする点である。この宛名指定は相手の共同体代表者を宛名指定することで相手方の共同体を丸ごと尊重することができる点がその作用として考えられる。また宛名で共同体代表者とみなされた者は返礼の義務が生じる。なぜならば共同体代表者としてその個人が贈り物を受けた、ということはその共同体が贈り物を受けたということであり、尊重を受けたことを意味している。モースが主張する義務関係に照らし合わせれば贈り物と尊重を受け取った時点でその共同体と代表者は返礼の義務が生じる。対して非正規贈与は共同体の代表者を宛名で指定しない。あくまで一個人への贈与である。そして非正規贈与では返礼品を期待していない。期待したとしてもその場でのお礼の言葉である。お年玉をあげたからといってお礼のお菓子の詰め合わせを求めることはない。
返礼とは何か
返礼とは受けた尊重を正当化する行為である。会社や家族を代表して受け取った品物は物品以上に尊重の意味を強く持つ。こうした尊重を受け取った場合は相応の返礼品で応じなければならない。なぜならば返礼こそが受けた尊重を正当化する作用があるからだ。尊重を贈与された場合、返礼することは贈答者の主張を正しいとする意味合いがある。あなたとその構成員(家族や社員)を尊重しますよ、と贈り物が来たら「その尊重は正しいですよ。私もあなた方を尊重します」と返礼品によって応じる。この尊重の贈答、受領、返礼の過程にはこうした意味合いがある。正規贈与関係においては単なる物品の送り合いより尊重の認め合いが重要である。
返礼しないとは何か
正規贈与に対して返礼しないとは上記の理論に照らし合わせれば相手方を尊重していないことを相手方へ示すことになる。これまでの議論で共同体への贈与は尊重の贈与であることを主張したが尊重の贈与に応じないことはその尊重を正当化しないことを意味する。中国王朝文化には朝貢という諸民族から王権側が贈り物を受け取る文化があったがこの王と民の相手の贈答関係にあっても王朝側は返礼品を民族側へ与えていた。つまり王と民の間であっても尊重の関係性構築は形成されていた。そして返礼するということは王朝の信義にも関わる重要事項であった。なぜならば相手側からの尊重を受けてそれを返礼によって正当化しないということは自ら王朝の権威を否定するようなことである。これは別段、王朝に限った話ではない。家族や会社などの現代の共同体においても正規贈与に返礼で応じることは尊重を正当化するために欠かせない文化であると考えられる。つまり正規贈与に対して返礼しないとは相手方へ「尊重しない」という意思表示と共に「自らへの尊重を正当化しない」ことも意味しているのである。
結論
返礼するとはつまり自らのためである。自らへの尊重を正当化するためには返礼が欠かせない。正規贈与を受領したのに返礼しないとは一言で言えば無礼であるが詳しく述べれば自らへの尊重を無かったことにする意味合いと相手への尊重を示さないことを意味している。返礼しないことにどんな理由があれ、こうした意味を相手に伝えてしまうことは回避できない。場合によっては関係断絶が起きてもなんら不思議はない。円滑な人間関係と共同体関係を維持するには正規贈与を受け、受領した場合は必ず返礼しなければならない。
以上