石を見つけろ
コンセプトアイテム
物語にはその世界を規定するアイテムが登場する。聖書であればパンとワイン、桃太郎であれば桃がそれに該当するであろう。その他にも指輪や石板、武器、文書などその物語の世界を決めるアイテムが多々ある。そして登場人物たちはそのアイテムを巡り冒険したり命を張ったりする。
石
古くから人類は石に特別な意味や価値を見出してきた。材質的な意図ではなく石そのものにだ。大きな石に何かを掘り込んだり石自体を並べる巨石文化ないし信仰は現代の日本でも存在している。神社の御神体が山の中にある巨石、というのも珍しい話ではない。また石それ自体が趣味というわけではなくても石庭や枯山水といった庭園などを作り生活に隣接した場所にも人間は石を置く。小規模でも床間に石を飾る家もあるだろう。そのくらい人間は石に魅入られている生き物といえる。似たようなところでラッコもナイスな石をとても大切にするし、失くすと落ち込むらしい。人間とラッコは石で分かり合える。
いろいろと水槽の中を飾ってみたが水草や流木だけではどうも何かが欠けている。ホームセンターの水槽コーナーにある置物類を見ても心に響かず、さりとて今以上に水草や流木、まして生体を増やすというのは思うところとは違うように感じた。アクアリウムの写真や動画を見てもこれを真似しようと思うアイデアは見当たらない。ただよくよく見てみると他のアクアリウムや水槽にあって自分の水槽に無いものが一つあった。石だ。
奇跡の一品
川を見ると上流はごつごつとした岩や石があり、下流に移ると丸い石が増えてくる。また地域ごとに地質が異なるため石がその土地の特産品だったりもする。江戸城の石垣普請に際して各地の大名はどのような石を贈るか、どう切り出しどう組み、どの面を見せるかなどを競い合ったともいう。天下に石という形で自らの土地や力を示すためには妥協するべきではないし、実際にしなかった。
そしてここからが重要だ。石は天然素材であり、同じ形や模様が存在しない。つまり一人の人間が自らにとってナイスな石を見つけられる確率は極めて低く、出会い手にいれることができればまさに奇跡といえる。ではこの水槽にぴったりのナイスは石はなんだろうか?
ナンバーワンでありオンリーワンなグレートワン
石の主張は強い。小さな石を一つ部屋に置くだけで自然とそこへ目がいく。石は沈黙のうちに人間へ自らを主張する。侮れない。強敵ともいえるだろう。そんなアイテムを幅30cm高さ24cm奥行20cmの中に入れるのだから悩みは深くなる。見た目だけではない、入れる石の種類によってはpHや硬度といった水質に作用してしまう。これは中にいる生体や水草の命にも関わることであるから尚のこと石選びを困難にしている。石を入れない、という選択肢もあるだろう。だが何時間と現場の水槽を眺めていても腑に落ちない以上はやはりこの水槽世界には石が必要だと思う。
しかしどのような石にするかが全く想像できない。形、模様、配置、数、水草や苔を付ける付けない、どう石に負けないよう人為を加えるかいくら思案しても石の姿すら見えてこないのだ。これは自分が石を知らないからだろうか。男一匹生まれ落ちて30年、初めて石について思い悩んでいる。石とはここまで難しく、実態を掴めず、あるものであり無いものだったのか。
俺の天竺はどこだ
玄奘三蔵は経典を求めて天竺へ向かった。天竺という場所があり、そこには経典があるという確信が彼にあったから行動できたのだろう。しかし今の自分には経典にあたる石も知らず、ましてどこへ行けばいいのかもわからない。子曰く、三十にして立つという。自分の水槽には石が欠けており、石を求めて自分は立たねばならないということだろう。この世には石が数多とあるがこの水槽と自分のとってのナイスな石は一つしかない。それを見つけることにどれだけの月日や費用、思い悩みがかかるかはわからない。だがナイスな石を見つけたとき、自分はようやく自分にとっての満足を得られるのだろう。