第三者による間違った正義感
悲しい事件があった。テラスハウス出演中の木村花さん死去の訃報だ。
非常に痛ましい事件であり、ご親族や関係者の方々は悔やんでも悔やみきれないだろう。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
しかし私は一連のこの流れを見ていて、いちプロレスラーの自殺としてとどめておくことは出来ないと感じた。それはこの事件に現代の直視しなければいけない課題が潜んでいるからだ。
SNSを使って、画面越しのアカウントという仮面をかぶりながら、言葉の刃を突き付ける。そこには心のない言葉ばかりで、悪意すら感じる。
そのような事をしている人は少ないと思う。2:8の理論のように、ごく少数による大量のツイートが罪のない人をぐさぐさと傷つけている。持ちうる時間のほぼすべてをインターネットに費やしているような人たちだろう。
しかし、彼・彼女らには悪意はそこまでないだろう。溜まったフラストレーションを、正義感を盾に発散しているにすぎない。これがどれだけ卑劣で、矛盾した行為かを知る力もないのだろう。
木村花さんを誹謗中傷したアカウント・人を特定し、曝し上げる事も、やっていることは本質的には同じことだ。
それにも気づくことの出来ないのだろう。自分達のしていることがなんと自分勝手で傲慢なことなのか、知る由もないのだろう。
次エントリではそのような現象をどうやって解決していくか、その糸口を探ってみることにする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?