五・一、福岡の記憶
画像は福岡のファミレスに思いを馳せ調理したフレンチトースト。
福岡は二年後リトライしたのだが、なんと空港のリニューアルによりファミレスが消えた。思い出の味、消失。私の人生は虚無でできてんのか?
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※ひとつ前の福岡旅行の追記。
刀に関係ないことしか書いてないので読み飛ばして問題はない。
さて、あまりにも陰気なオチにしてしまったのだが実際の旅は楽しかった。そんな面白エピソードを書き記しておく。いま自分の手でハードルを上げたので多分面白くない。
よくわからない、というお前もうちょっとましな感想をでっちあげることぐらいできるだろ、という感想を抱いたままその後の展示を見ている最中、突如見知らぬ少年が駆け寄ってきた(この時点で警戒心マックス)
私たち二人の前には、展示ケースの中で静かにしている一口の刀があった。どんな刀だったか記憶が薄いが、小ぶりだったことを覚えている。
少年は言った。
「この刀、妖刀ですよ。すごくないですか?」
来た、と思った。
私はこれまで生きてきた中で、子供とのコミュニケーションほど碌なことが起こらないことがない。大体精神を滅多打ちにされて終わるのだ。その気配がこの少年からもビンビンに発されていた。
妖刀と聞いてまず最初に思い浮かべるのは皆誰しも「村正」だろう。私もそう思った。しかし展示ケースのキャプションにはそんなことひとつも書いていないのだ。この少年は類稀な純粋さでもって刀という魅力に引き寄せられているか、あるいは私を騙して遊ぼうとしている。
私はよく騙される人間だった。様々な騙されエピソード(「赤ちゃんの頃にあんたを川で拾うてきた? また誰かにしょうもないこと言われてきたんやろ。言うてたその子も川なんかで拾われてないで。ほんまやって。川なんかで拾ってくるわけないやろ。あんたは百貨店のバーゲンセールで買うてきたんや」等)を体験してきた私が、この少年は危険だと警鐘を鳴らしているのだ。
絶対に騙されない!
でも本当に妖刀だったらどうしよう。私の知らない都市伝説がこの博物館に存在するということは十分ありえるのだ。だいたい都市伝説と小学生はワンセットである。私も小学校の頃は根も葉もないうわさ話をたくさん聞いたではないか。紫の鏡という単語を二十歳まで覚えていると死ぬとか。可能性は否定できない。
妖刀(かもしれない刀)。
「へぇ~~~……そうなんや……」と相槌を打っちまう私。
もうアホを通り越して馬鹿なのかもしれん。余談だが近畿圏の人間はアホといわれるより馬鹿といわれるほうが精神的ダメージを受ける(私調べ)。
ていうか少年は展示ガラスにべったりと張り付いていた。
展示ケースにべったり触れるのはやめたまえと注意したかったがそれで泣かれたりキレられたりするのが怖かったので無理だった。
子供というのは自由奔放な生き物だ。何者にも縛られず、人間社会というガチガチに固まった世界の中で唯一奔放に動き回っている。
突然少年は駆け出した。さよならということである。
「じゃあおばさん、さよなら」
ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!11
ま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~とにかく一気に叩き落された。瞬く間に奈落の底である。展示室のライティングが遥か頭上高く、星のようにちらついている。ここは暗く、寒い。恐ろしい場所だった。なにもかもを奪っていく。私の身にはなにも残らない。記憶、思考、やがて肉体さえも……。
マジでつらい。わざわざ大阪くんだりからたった一日限り足を伸ばしてきたこの私をピンポイントで選び抜きおばさんとのたまう少年の類稀なる観察力たるや。
しかも更につらかったのは、その少年で見事オバカウントが「3」に達してしまったということだ。
小学校の頃、公園でブランコをこいでいると幼児に「おばさん、かわって」と言われた。
高校生の頃、中学生に「おばさん、写真撮ってください」といわれた。
そして今、この瞬間、私は少年に、おばさんという判子をポンと押されたのだ。
私の顔は生まれついてのおばさんであり、顔を構成する全てのパーツにあらかじめ数十年の時間がプリインストールされているのだ。
その事実に、すっかり、完膚なきまでに、打ちのめされた。
朝からの疲れ、謎の発疹(しかも乳首)の地味な痛み、足指のささやかな負傷、治らない口内炎、おばさん。私の背中にネガティブ妖怪が一斉に飛び乗りおんぶしておんぶしてとじゃれついてくる。こんな……こん……ハァ…………マジか?
そんな私の目に、美術展のフライヤーが飛び込んできた。
モネ展だ。
存在は知っていた。なぜ福岡に? モネ展は巡回展だったのだ。スタート地点が福岡だったのだ。
そうだ、美術館に行こう。
あの美しい睡蓮を見に行こう。
明日は明日の風が吹くのよ。
このとき私はスカーレット・オハラだった(言うまでもなく違う)。
私はクロード・モネが好きで、印象派や抽象絵画を見るのが大好きだ。だからといって特に何の活動もしていないし勉強もしていないが、好きだ。それでいいのだと気づくのはもう少し先になる。
モネ展は素晴らしかった……。巡回展だったため大阪でも見たのだが、なんというか、モネの絵画と福岡市美術館の温かみある建築がよく合っていた。美術館のゴツンとしたボディが重く聳え立つさまは一見厳ついイメージを抱くが、近付いてみるとその肌はレンガ作り(多分、レンガ造り風)。北欧の山深くで作られたチョコレートケーキのような、素朴な優しさが伝わってくる。山深いのにチョコレートあるんかい。
多くの睡蓮も素晴らしかったのだが中でも一番感動したのはバラの小道という作品である。
モネも、睡蓮ばっかり描いているわけではないのだ。
そこかよという感じだが、私の目に睡蓮以外のモチーフは鮮明かつ鮮やかに写った。もちろんモネはバラ以外にだっていろんなモチーフを描いている。当たり前だ。しかし私は、バラの小道が気に入った。赤を中心とした色彩がギュッと詰まった絵画が、合計三枚、横並びに展示されている(三枚だったと思うのだが、大阪では二枚だった。記憶違いだろうか)。睡蓮から漂う静謐で亡羊としたイメージとは打って変わって、落ちた花弁の混ざった泥が雪崩れ込んでくるような、迫ってくる気迫があった。
その後となりの福岡城址を見学し(どうやら自分は日本の城郭建築が好きっぽいぞ、ということに気づけた)、タイムリミットが近付いていたのでバスに向かった。そこで偶然、モネ展帰りの審神者さんと知り合った。
まさかこんな場所で(博物館とはかけ離れた場所だったので、本当にすごい確率だ)よその本丸の審神者と出会うとは思ってもみなかった。行き先も同じく博多駅のため、バスの中でも楽しくお話させていただいた。彼女は燭台切光忠推しだった。私も推しなので、盛り上がった。
博多駅に到着し、審神者さんとお別れした。彼女はどら焼きを買ってから帰るそうだ。大阪から来た私の岐路を心配までしてくださる、とても優しい方だった(この数日間、福岡の天候は大荒れだったのだ。翌日も仕事の私に「大丈夫なんですか!」と驚かれていた)。
遠路はるばる帰宅したときは日付を跨いでいた。
初めての遠出はいろんな出来事があり、とても楽しかった。思い返せば思い返すほど、あの少年は長崎の審神者さんに会わせてくれた神様なんじゃないかと思う。もしかしたら、あの刀の付喪神だったのかもしれない。少年はわざわざ「さよなら」と口にしたのだ。お前にはまだ出会いがあるのだから、ここでモタモタしていると機会を逃すぞ、ということだったのかもしれない。
少年、ありがとう。
長崎の審神者さん、ありがとう。
数日後、福岡市博物館の内部がグーグルで観覧できるようになったという告知ツイートが流れてきた。
虚無。
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