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二、乱藤四郎を見に行く(大阪府・大阪歴史博物館・短刀 銘 吉光(号 乱藤四郎))

画像は全然関係ないフローズンビールの登頂(梅田・ヨドバシカメラレストランフロア)(今まだこの店があるかどうか知らない)
ヨドバシカメラへの入出国にはパスポートとビザが必要。
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 二○一五年・五月。過ぎ去りし春の名残を青々ときらめく枝葉が滅する頃、「乱藤四郎が展示されている、一緒にどうか」とのお誘いを友人Bからいただいた。私が友人Aと石切丸を見に行ったことを聞いての流れだったと思う。

 二〇一六年ごろだったか、乱藤四郎のニセモノ騒動がネット界隈を駆け巡ったことは記憶に新しい。記憶に新しいくせにいつ頃か覚えてないんかい。
 あのときに知られた方もいらっしゃるかと思うが、乱藤四郎は個人蔵の刀である。めったに見れない。このとき誘ってくれた友人には感謝してもしきれないが抱いた感想に関しては後述。
 ※めったに見れないと書いたが、二○一八年一月、福岡で大倶利伽羅と共に展示された。乱と同じく大倶利伽羅もまた個人蔵の刀だ。全ては持ち主のご好意あってのこと。大変にありがたいことである。

 大阪歴史博物館。
 ……?
 というレベルで知らなかった。大阪生まれ大阪育ち、大阪から出ると死ぬ身体をしていると友人Cにまで言わしめる純度の高いナニワ結晶体の私であるがその知識の偏りたるやすさまじく、こと外出先に関するそれは引きこもりココに極まるというレベルで微々たるものである。そんな私にお出かけのお誘いをくれる友人たち、菩薩か?
 大阪歴史博物館には、大阪市営地下鉄(2018年4月1日に大阪メトロに改名するという奇行に走った)のむらさき色の線に乗っていく。他にも大阪市営地下鉄にはピンクの線、緑の線、赤の線などさまざまな色の線が寄り集まっており、糸の集合体こと市営地下鉄は重厚なつくりのベルト状に編み上げられており、大阪の大地を上部マントルに係留するための重要な機構のひとつとなっている。くだらない嘘をつくのがやめられない。
 
 大阪市営地下鉄・谷町線に乗った我々は谷町四丁目で下車し、出口へ向かった。
 遥か昔は四季のあった日本も最近ではすっかり熱帯じみており、冬冬冬冬春夏夏夏夏夏秋冬冬冬冬! という有様。この日も大変に暑く、汗が止まらなかった。博物館に到着した我々はちょっと浜寺のプールで波を浴びてきましたといわんばかりに汗みずく、化粧という化粧は全て落ちた。
 ひとつ失敗談として有益な情報を記述しておきたいが、谷町四丁目から博物館へは必ず九号出口から向かったほうがいい。このとき我々は二号出口から向かったが、歩く距離がおよそ倍違う。おまけにこのへんはこれといって日差しを遮るような樹木がないので(道の幅が広いため昼間に行くと影が皆無である。我々は昼間に向かった)、二号出口を選ぶということはすなわち発汗エクササイズを行うということだ。老廃物の蓄積が気になる場合は是非こちらのルートを試してほしい。

 大阪歴史博物館はでかい。なんでこんなにでかいんだよと思うぐらいでかい。博物館というと恐竜の骨とか置いてるところでない限りなかなかここまでデカいものはないんじゃないかと思う(但し書いてのとおり私は無知極まりマンなのでこのように巨大な博物館は全国津々浦々そこそこあるはず)。なんでこの博物館がでかいかというとNHKとの複合施設だからである。いや、わかんない、それが理由ってわけではないかもしれん。わからん。でもNHKとひっついてるから、NHK側から入ると放送中ドラマのでっかい垂れ幕とかある。
 
 名は体を現す、という教えのとおり、館内はひたすら大阪の歴史を辿るつくりとなっている。最上階まで上り、順に降りていく形式だ。
 この、上から順に降りていく系の展示をしているところはアタリだと思う。石切丸の項目では坂道を登って向かうことをお勧めしたが、建物の中に入って見るものに関しては断然、上から降りていったほうが楽なのだ。ワンフロアをじっくり観覧したあと、ひとつ上のフロアに上がるというのは気持ち的にしんどい。
 大阪が誇る巨大水族館こと海遊館も一番上から坂道を下るつくりになっているのだから、これは私個人の感覚ではなく偉い建築家とかの研究の結果だと思う。というかそういう感じの文章をネットのどこかで読んだ。
 下から上への移動問題をクリアできているのは大阪だと中の島にある国立国際美術館しかないと思う(但し書いてのとおり私は無知極まりマンなので以下略)。地下三階が目玉の展示、地下二階が大体常設展なのだが、あそこは上下の移動がエスカレーターなので苦痛が少ない。また天井が高いかつエスカレータ―部分は吹き抜けで圧迫感がなく、階同士の移動にあまりストレスを感じない。ストレスがなさ過ぎて地下二階の常設展示が半々ぐらいの確立でスルーされている。有名な画家の展示の際、顕著になる現象。
 
 刀の話少なすぎない? とお思いの方がいらっしゃったら申し訳ないが全てこの調子なので早々に見切りをつけて読み飛ばしてください。

 大阪歴史博物館を面白いと感じるのは私が生粋のナニワ結晶体であるからといえなくもないが、まあ面白い。なんと写真をとっちゃっていいのだ。ありがたい(乱は撮っちゃだめ)。めちゃくちゃ写真をとりまくったのだが、一年後の私を悲劇が襲ったためデータはどこにも残っていない。まあいつでも行けるしまた行ったときに撮ったらええやろと思っている。これを俗に油断と言う。

 乱藤四郎の展示は、驚くほどにあっけなかった。
 平日に行ったせいかもしれないが、ほぼ無人だった。がらんとしたフロアの、エスカレーターを降りて順路を進み始めたその空間に、ぽつん、と縦長の直方体が設置されている。そのちいさなガラスの向こう、白い小山の上に、乱藤四郎は「ちょん」と澄まして座っていたのだ。
 たったそれだけだった。
 近付いて、よく見た。
 乱藤四郎は小さかった。小さく、儚げで、けれどもぎらりとした光を持つ、立派な刃物だった。
 刀剣乱舞にはまってたったの数ヶ月、私の中に形成されていた日本刀のイメージは、あらゆる物語の中に登場する「持ってるとなんかかっこいいアイテム」から「付喪神」にすっかり変質していた。厳かであり、畏怖すべき対象であり、信仰すべき対象であると思わせるような、異質な気配を宿したなにかなのだろうと思っていた。
 が、乱藤四郎を前に私はそういった感情を一切抱くことがなかった。ただ物体として目の前に刃物が存在する、その刃物は遥か昔に生まれた鋼から形成されたものであり、多くの人の手を渡り、今も持ち主の自宅に、その持ち主の所有物として存在している……という事実だけが押し寄せてきた。
 展示物をここまで強く「物」として感じたのはこれが初めてだった。
 せりふとして書くなら
「……?」
 というかんじ。
 私の中で、なにか違うのではないか、という疑問がこの日から育ち始めることになる。

 余談一・本当は最初の最初に刀を見た瞬間に抱いた感想が別にあるのだが、あまりにもひどすぎるため一生私の胸の中に閉じ込めるほかない。我ながらクソだと思った。というか上記よりもむしろこっちの感想のほうが自分に対するふがいなさや疑問を覚え始めたきっかけで、自分に審美眼が備わっていないということを強く感じた瞬間だった。くやしかった。
 なおまったく価値のないネタバレとして、ひとまず旅の終わりを迎えた今もこのくやしさは全く解消できていない。腹立たしいし泣けてくる。情けない。

 余談二・まったく不思議なめぐり合わせだと個人的に感じているのだが、乱の展示時期と合わせて、同フロアには日本号の写しが展示されていた。月山貞一作。ゲームで日本号が実装されたときは心底驚いた。あの時見たアレじゃん!(写しなので厳密には違う)

 余談三・誘ってくれた友人に失礼な書き方となってしまったこと、弁解の余地もない。刀の展示というものに敏感になるきっかけとなったのは間違いなくこの日であり以下略。とにかく感謝している。友人A・Bは私の生活をかなり変えた。本当にありがとう(ここで言っても意味がない)

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