三、佐藤拓也に釣られる(京都府・京都国立博物館・琳派誕生四○○年記念 琳派 京を彩る)
画像は全然関係ないカメレオン(ニフレル https://www.nifrel.jp/ )
カメレオンときくと星のカービィスーパーデラックスを思い出す。
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もしもこのnote記事を読まれた方が刀剣乱舞をご存知で無い場合のために書き記しておく。
なんか最近ニュースとかで刀剣女子がどうのこうのとか言われる回数が増え、そして少なくなってきているが、あの隆盛はブラウザゲーム「刀剣乱舞」のせいである。せいであるというか刀剣乱舞がきっかけとなった。
刀剣乱舞がどういうゲームかというと、2205年(という設定)、ユーザーが審神者というなんか霊能力者みたいなやつになって刀の付喪神たちを顕現させ、歴史改変をもくろむ悪の組織・歴史遡行軍に立ち向かい正史を守ろう! というやつである。
でまあそのゲームに出ている刀は実在していて博物館に収蔵されていたりするので、現物を見てみたいオタク女がみなSIRENの海送りのごとく博物館や展示会へ向かうのである。
刀剣乱舞ひいては刀剣ブームの説明を終わる。
さて刀剣乱舞には燭台切光忠という刀(太刀)の付喪神がキャラクターとして登場する。その声を当てているのが声優・佐藤拓也なのだが、二○一五年秋、京都は東山、琳派というどう考えても大量の一般客が押し寄せるであろうビッグな展示の音声ガイドに佐藤拓也が抜擢された。
抜擢、などと書けばアンタがさとたくの何を知ってんのよ! と怒られるかもしれない。許してほしい。ごめん。
しかし最近、そういう流れがあるな、とは思う。
つまり、美術展や博物展の音声ガイドに声優が使われることが増えた。
ちょっと前までは大体アナウンサーだった。最近はアナウンサーと声優の二本立てで、まあつまり、そういうことだ。
ただひとつ言わせてほしい。大変申し訳ないが、声優によっては展示に集中できない。これはほんとにほんと。
私が最も面食らった音声ガイドは二○一六年に行われたピカソ展の池田秀一である。
弁解しておくが池田秀一は好きだ。ただただ、私が悪いのだ。私はガンダムSEEDシリーズに魂を縛られ続けている女である。ガンダムSEEDの続編、ガンダムSEEDデスティニーには、池田秀一が出てくるのだ。そうでなくとも池田秀一といえばシャア・アズナブルである。私にとって池田=シャア・アズナブル、そしてギルバート・デュランダル議長。ファーストガンダムを見ていなくても、そうなのだ。なので、まったくピカソに集中できなかった。そもそも池田秀一の話以前に、ピカソの絵画を前にしてフムフムこの筆致が云々、この表現は当時の云々、などとまともな感想を抱ける人間なら今こんなダメ人間になっていない。なんかもっとアーティスティックな職に就いてアートに生きている。しかし実際の私はこの有様だ。ただピカソの絵画を前にポカ~ンとするだけの私の耳を池田秀一の囁きがビームライフルの如く狙撃していく。私の脳は崩壊するメサイアだった。
前置きが長くなったが、まあ似たような理由で、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、集中できなかった。というか耳元で佐藤拓也に囁かれてなお正常な精神を保っていられるオタク女がどれほどいるというのか。少なくとも私は地獄の窯に投げ入れられたお砂糖菓子の如く、迅速かつ丁寧に神経の融解処理を施された。最高だった。佐藤拓也に、いや燭台切光忠に、主と呼ばれた(※曲解)(補足・プレイヤーはゲーム中で燭台切光忠に「あるじ」と呼ばれることがない。ほんとに主なのに、ない)。
話そらしの達人なのでスッと話を戻す。
琳派という単語を教科書で知った人は多いのではないかと思う。私はそうだった。テストの空欄にとりあえず聖徳太子、とりあえず国分寺、とりあえず徳川家康、とりあえず狩野派、とりあえず琳派。試験の最低点は四点の私だが、教科書のカラーページ以外で見ることのなかったものを肉眼で見れる、そして骨喰藤四郎を見ることもできる、そして音声ガイドに佐藤拓也と来られては、行かずにいる理由がない。あとなんかフライヤーのデザインかっこいいし。
デカいとこは大体フライヤーとかポスターがかっこいい。かっこいいと行きたくなる。かっこいいものが好きだからしょうがない。
京都国立博物館は駅からすごい近い。なんか最寄り駅降りてちょっと歩いたらすぐ入れる。そのかわり、他の場所もついでに観光しちゃお~、というのは難しい。あ、でも向かいに三十三間堂がある。
というか京都は一度に複数の観光がしにくい。観光スポット各所が絶妙に分散しており、一日に数箇所巡ろうと思えば綿密な計画立てを余儀なくされ、その計画は実行当日、複雑な交通網により粉砕される。わけがわからん。理解不能。金のある人間はタクシーを使ったほうがいい。
骨喰は展示の四番手だった。
光悦町古図写、本阿弥光悦坐像、本阿弥行状記ときて、突然その場に現れた。経路の照明を極限まで落とした館内、真っ黒い展示ケースに煌く雪山、その頂で静かに観客を見つめている。
ゆるやかなカーブ、美しくまとまった切っ先、大勢の客を前にガラス一枚を隔てて悠然と構える姿。
初めて刀を格好いいと思った。
骨喰を見るまでに結局前述の二回しか刀を見ることはなかったわけだが、その二回で既に「自分には審美眼もなく、ツイッターで流れてくるようなしっかりとした感想を抱くことができない、他人に倣うだけで学の無い人間なのだ……」と尻込みしていた。一応刀の本とかも買って勉強してはみたものの付け焼刃の知識が現物を前にトリガーとなるわけもなく、覚えたことを全て忘れてちんぷんかんぷんな頭で刀を見ては「ふーん……」と感じるだけ、というあまりのふがいなさ、情けなさに自分で自分に嫌気がさしていた。
しかし、骨喰藤四郎を前に、私は反射的に、格好いい、という感想を抱けたのである。
今になって思うと確実に展示の仕方がかっこよかったからそう思っただけだ。絶対そう。これは言い切れる。つまりこのときの私は、京都国立博物館に助けられたのだ。この助けがなければ、後に続く無茶な計画も存在しなかっただろう。
京都国立博物館はすごい。
あと佐藤拓也がめっちゃよかった。
全国の展覧会に言いたいが、音声ガイドのデータは商品化すべきだ。
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