「春夏秋冬の冬」 何かに足を引っ張られる/優しいコーンポタージュ

 冬という季節は本当に良くない。
寒いし肌は乾燥するし、着るものが多くなるから洗濯物も増える。クリスマスやお正月というビックイベントがあるとしても、冬を好きになるにはまだまだ足りない。
ただ冬がいかに嫌いかという話をしてもつまらないし陰鬱な季節が加速するだけなので、今回は冬にまつわる素敵な思い出を紹介しようと思う。

何かに足を引っ張られる話

 「足を引っ張られるからやめなさい」
寒さのせいで足が冷たくなると靴下を履いたまま布団に入ろうとする私に母が放った一言である。最初に聞いたのは小学校に入るか入らないかの子ろだったと思う。
今考えれば子供を嗜めるための作り話だったのだと思うけれど、無駄に想像力豊かだった私は大変恐怖し、母にいろいろと質問をした。誰が足を引っ張るのかとか、引っ張られるとどうなってしまうのかとか。
必死の私に、母は明確な答えをくれなかった。知らないとかわからないとか言って、一度もちゃんと答えてもらった記憶がない。
知らないというのはそれだけでとても怖いことだ。お化けが足を引っ張るとか、あの世へ連れて行かれるとか、そういう明確な言葉が一つもないがゆえに恐ろしい。靴下を履いて眠らない以外に対処法はなく、自分が怖がっているものの正体もわからない。幼い私の心にはよくわからないけれど怖いという感情だけが残ることになった。
結果として母の目論見は成功したのだと思う。私は靴下を履いて眠らなくなった。恐ろしくてお昼寝の時も靴下を脱いでいる。
ただ子供騙しだと理解できた今になっても得体の知れない恐怖に震えた記憶は生々しく、靴下を履いて眠ることはできない。

優しいコーンポタージュ

 旦那がまだ彼氏だった時の話である。
私たちが出会ったのは私が19の時。埼玉には障害を持つ人々が職業訓練を受けられる施設があり、私たちは同じ時期に入所した。敷地内に寮があり、お互い寮暮らしだったため、多くの時間を一緒に過ごした。
付き合って初めての冬、施設内の自動販売機に缶のコーンポタージュが追加された。早速明日にでも買いに行こうと思っていたところ、飲みたいという話をした夜に旦那がコーンポタージュをゲットしてきてくれた。
お礼を言って強要の階段踊り場まで受け取りに行くと、渡されたコーンポタージュは昼間に買ったはずなのにほんのりと暖かかった。驚いて理由を尋ねると、「あったかい方が美味しいと思ったから温めてきた」とのことだった。レンジに入れるわけにも行かないので、わざわざお湯で温めてくれたらしい。
それを聞いた時、私はこういう種類の優しさがあることを初めて知った。私にはきっと一生思い付かないタイプの優しさだ。
私にとって優しさは学ぶものだ。人から優しくされた経験を積み上げて、誰かに優しくしたい時はその経験の中から最適なものを選び出して実行する。所詮誰かの真似をしているだけで、私のオリジナルなんてほとんどない。
だから暖かいコーンポタージュを渡された時に、この人は自分で優しさを作り出せる人なのだと思った。嬉しくて、ほんの少し羨ましくなってしまった。彼も昔誰かから温めたコーンポタージュをもらったことがあるのかもしれない。
結婚をして一緒に暮らしていれば気持ちがすれ違ったり相手の言動に失望することはたくさんある。きっとお互いにそうなのだろう。最良のパートナーではないと思ったことも、離婚の2文字が脳裏をよぎったこともなん度もある。
でもたとえ一緒にいられない日が来ても、温めてもらったコーンポタージュのことを私は忘れないと思う。そして今度は私が誰かに温めたコーンポタージュを渡すのだ。

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