*017 習い、倣う
自分で決めた仕事を、自分の裁量と師匠との闘争でやりくりしてきた。16年間。仕事は教えてもらったり割り当てられたりするものではなく、降って湧いた難題を、どうにか攻略する様なものだと思ってやってきた。エキサイティングで、祭りで、捩れるほど考えて準備をして、怒涛の現場を終えると様々な方向で少し筋力が付く。そういうものだった、かつて。
最高に楽しくて、ずっと面白いと思ってきて、結構幸せだった。
その後1年近く勉強をして試験を受け、そろそろ働こうと思った時に先ず考えたことは、自分が人の作った環境や業務の中で働けるのか。という事だった。誰かがしてきた仕事を、以前からずっと続いてきた方法に倣い、毎日同じように従事することが果たして出来るのだろうか。
そして、これからの自分はそういうことが出来る者になっていきたいと思った。新しい要求にいつまで順応出来るのだろうかと不安を感じてもいたし、それの上で、楽しく生きられる様になりたかった。出来ることなら、どんな状況に追い込まれても、働いて暮らしていくことを楽しめる力を持っていたい。
で、昨年の秋くらいから朝4:00出勤のパン屋で仕込みのバイトを始めてみた。3:30に起きて準備をして、主にその日の食パンの生地の仕込みと、朝一に販売する分の様々なパンを成形する。
結論から言うと、私は充分に順応し、過酷さはあれど相当楽しんで暮らしている。粉を測り、水を測り、正確に、同じコンディションで繰り返す。
清潔で明朗で、していることに疑問はない。シェフの作りたいパンを作る為にひたすら手を貸す。
そういう朝の時間を過ごすうちに、裁量や結果の大きさは自分にとって本当に取るに足らないものだったのだとはっきり分かった。誰かがやろうとしていることに手を貸し、その成果物を楽しみにしている街の人たちが居ることの健全さは、これまで自分の周りにあった「何か凄そうなことをしている感じ」を簡単に砕いてくれた。それは、とても清々しい景色だった。
仕事をしてきた中で身についた沢山の技術や知識、考えた事柄は、私の日々をとても愉しいものにしてくれ、今も私を助けている。それ以上でも以下でも無く、私は充分に幸せだと思っている。