#054「シン・ゴジラ」
この映画は、私の中では一つの答えと言うか、答えと同時に問題であって、理想、延いては楽園そのものの定義。
自分がいつどの瞬間に幸せで、私そのもので開放されているか。ということについて考えてみると、私が一番私であるのは、例えば手元に集中し過ぎて、自分が走っているんだか泳いでいるんだか分からなくなる時とか、思考の中に入り込んで何かを手繰り寄せている時であったりするのだけれど、それって、常に一人で居る空間で起こっていて、笑ったり喜んだりという表現とはかけ離れているけれども、確かに最高に楽しいと感じているし、無表情にこんなに幸せで良いのだろうか。と、恍惚と思ったりしている。一人で。
別に笑いも泣きもしないけれど、映画の中の専門分野の人間達は、それはそれは楽しそうに見える。一端を担うということの美学と快感。不謹慎かと思う程に、実はテンションが上がっていて、絶望的であっても新しい発見には、ひたすらに脳内が躍動している。
楽しいということはどういうことか。を明確に当たり前に、ど真ん中に描いていて、こんなことが描かれる作品てあっただろうかと思う。勿論、それだけが描かれていた訳ではないけれど、もしかして、そんなことは描いていないのかも知れないけれど、私にはもう、それしか見えなかった。
そして、閉じた中でしか開放出来ない自分をどうしましょうよ。と、思った。
全っ然関係無いけれど、人の好意に違和感や嫌悪感を覚えたり、褒められた言葉を素直に受け容れられないのとかは、完全に自分を偽っているからで、本来の偏執的な幸福の中に居る自分に共感して欲しいと思っているからだ。と思い当たる。今。
そういう自分を社会の中で見せられるのは、ひたすらに勇気と強さで、そういう意味で、勇気ある人々によって作られた、勇気ある人々の話なのだ。
ストーリー上の色々な感動や、謎や、面白かったところとか、エンドロールの偏執具合とか、とにかくこんな観た事のない、庵野監督にしか作れない、邦画でしかあり得ない作品を、スクリーンで観られて、最高に幸せだった。
私も勇気を出して、いい年して本当は偏っている自分のままで生きていきたい。かも。