#068「勝手にふるえてろ」
感情の合意は戦い。
論理的な合意については簡単なことよ。
あーそうですね。そこに問題点ありますね。こうすれば上手くいきそうですけれど、現実的ではありませんね。ここまでは妥協できますけど、こうなってしまったら本末転倒ですし。んー、もう少し上手いやり方がありそうかな。ちょっと検討したいですね。次回スケジュール決めさせて頂けますか。あー、じゃあその日程で。それまでに何かあれば都度ご連絡させて頂きます。ではありがとうございます。以下次号。
感情は、全く別の筋力でやり取りしなければならない。
分解して、比較検討して協議しようとしても、多分、無理。
他者の好意を受け容れることは、嫌悪感とか違和感とか、言葉で説明できないものを含めて、一旦まるごと受け容れることだ。
つい、え、この何が入っているか分からないものを全部飲み込むの?とジョッキ片手に悩む。そして、悩んだ時点でもう飲み込めない。逃げ出したくなる。
好意を差し出すのだって怖い。100%同じ気持ちで、自分も!!なんて都合の良いことは、きっと無い(と思っている)から。
どこかで自分に差し出された勇気みたいなものを信じたくて、えいやっと飲み込むのだろうと思う。
差し出す方も受け取る方も、なり振り構っていられなくて、それは、愛だ。
全力で自分の愛を振りかぶって、肩壊して投げ込んで、ようやく得た関係の中で、改めて分解して、比較検討して協議するのが本編かと思うけれど、それはまた、別のお話。