
*009 投票について
選挙になるといつも分からないことがある。「選挙に行こう」「あなたの大切な一票」。選挙業界側のそういう呼びかけは分かる。業界の動員として聞いている。今回の投票率は55.93%。それが彼らにとって十分な数字なのかどうかは分からない。統計的には戦後三番目の低さだそう。
高齢化していく日本で、投票率が上がっていくことはないのではと思うので、数字ってなんかインチキに使われがち(数字に罪はない)。
で、選挙に行った人達の、「選挙に行こう」ひいては、「行かないなんて最低」という声がいつも何かひっかかる。「あなたは行ったんですか?」と聞けば「当然行った」と。なら良かったですね。と思う。「あなたの大切な一票」は無事に行使されたのだと思う。で、なぜそこから二票目以降に干渉しようとするのかと思う。悪意はなくて、本当に長年疑問に思っている。
他者の大切な一票は他者のもので、なんの関わりもないはずだと思う。
投票に行っても行かなくてもそれは個人の自由だ(これも他者の票に干渉している)とか言いたいんじゃなくて、他者の一票に関わるべきではない。と思う。
選挙権が無い人が投票に行きたくても行けない場合、どうして行かないの?あなたは行けるのに。という気持ちにはなるかも知れない。
どこかの党員で、自分の政党を勝たせたいというのならば票を集めたいと思うのかも知れない。
そうでない人の動員意識ってなんだろう。選挙には行かなくてはいけないという同調圧力みたいに見えてしまうから、日本の選挙って自由を感じないんだろうな。
こんな話、嫌われるんだろうけど、私にとって政治の話っていうのは尊厳と直結しているから、これまで上手く言えなかったけれど、なんか書き始めてしまったので続けてみる。
政治をどうこうしたいと思う人は、選挙に出て政治屋になるんだろうけど、私たちに求められている投票ってなんだろう。ただ動員されるだけなら下らないと思っている。選挙演説で語られていることはほんの一部だし、なんならそれは選挙演説であって政治とは関係ない。
個人的には、国の運営って物凄く膨大でジャンル広過ぎて、誰もが想像できる範囲を超えていて、そんな簡単なものじゃないと思っている。
政権交代って簡単に言うけど、やったことない人たちが急に舵取り出来るもんなの?と普通に思う。
選挙期間中に大きな声で語られる大きな理想なんかよりも、日々の小さな業務の方がずっと凄いんじゃないかとか。政権変わっても霞ヶ関や市ヶ谷の人々は変わらないから、円滑に日々を回せるのかも知れないけど、だったら、上は彼らが円滑に仕事出来るように采配してあげられる良い上司になって!とか思ったりする。
結局、選挙演説的なことが彼らの全てであるなら、政治家って何の為に存在していて、なんの為に私が選ばないといけないのか分からなくなってくる。
で、政治に直接関わらない私が政治そのものを見渡して投票するなんて無理だし、どんな国にしたいかなんて本当はない。戦争はしない(ことになっている)日本をいい国だと思っているし、日本は世界の中で日に日に貧しくなっているけど、それをどうやって改善したらいいかはまだよく分からない。
夫婦だけで子育て頑張っている世帯が抜本的に楽になったらいいなぁとか思うし、病気や障害を抱えている人たちが、本当に望んでいることを国に全力でサポートして欲しいと思っている。
で、私は出来るだけ精一杯働いて、私が想像しきれない様な困っている状況に使われますように。と、祈るような気持ちで出来るだけ多くの税金を納めることにしている(反節税が弊社のモットーです)。
私が自分で選んでどこかに寄付をするよりも、微々たるものでもフェアに届くのだと信じたい。目立ったら勝つ世界観はどうしても嫌なのだ。
アメリカで、中絶禁止の法律がどんどん進められていて末恐ろしいことになっていて、沢山の反対活動が行われているけれど、そうやって声を上げる一般の人々に賛同する形であったら、もっと投票にも意味を感じられるんじゃないか。
オープンキャリーが認められるような街で子供とは暮らせないと思うし、中絶禁止に賛成する様な州知事が居たら、その人を次回当選させるわけにはいかないと思うだろうし。
大声で語られる理想に賛同する形じゃなくて、誰にも聞いてもらえない様な、小さくて何かを切実に変えなければと思っている人たちの声を政治に届かせようとすることが投票だとするならば、例え政治全体を見渡せなくても「私の大切な一票」を、誇りを持って投票出来る。の、かも。