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#079 「もう終わりにしよう。」

初めて新文芸座のオールナイトを観たのが、チャーリー・カウフマン4本立てだった。今思うととんでもないオールナイトデビューだけれど、映画に叩きのめされる、スパーリングの様な、それはそれは特別な体験だった。
3本必死について行って疲れ果てた後の4本目(挙げ句「脳内ニューヨーク」)、もうストーリーを追うことが出来なくなった身体で、ただただスクリーンから映画を浴びる。もはや、自分はスクリーンの中でその世界を味わうしかない状態になった。
あの時に、「分からないものを目撃する」ということの凄さに辿り着いたと思う。自分には理解できないものが、なんだか分からない方法で確かにそこに成立しているのだ。ということに、漠然とした救いを感じる。
あぁ、世界はこんなに広くて見渡せなくて、果てしなくて、私には分からない何かを理解し合う人たちも居るのだ。ということを理解することは、つまりなんというか、「世界平和」みたいな(なんだそれ)。

本作品は、そんな4本目のチャーリー・カウフマンを1本で充分体感出来る、もの凄い作品だった。私は、数日間ずっとこの作品の後処理に追われることになった。
どうしてどうにもならないところばっかり焦点当てて、頭おかしくなりそうになるのをギリギリのことろで表現に落として、わざわざそんなに辛い思いしなくても良いのに、だけど、そういう表現を人は必要としている。
呼び水としての物語。観る人の中に眠っている、膨大なトピックスを引きずり出させる。
自分の中に浮かび上がるものを次々とひっくり返されて、見終わった後に、あーもうこんなに散らかして。と、シャッフルされたカードを並べ替えながら、ふと気がつく。
あれ、私ってこれで良いんだったっけ。